障害=困る、できないじゃない!

この1ヶ月私の中で

もやもやしていたこと。

昨日少し目の前が晴れたような出来事がありました。

学校に、『読み書き障害』の診断書を提出したとき

私はこう言いました。

医師の説明によると

読み書きが苦手な子は文字を見ると、思考がフリーズしてしまい、考えることができなくなってしまうそうです。

なので、文字を介さない学びなら

もしかしたらできるようになる可能性があるのかもしれないと少し希望が持てました。』

と伝えました。


そのあと、先生から

返ってきた言葉が

『いやー、知的の、軽度中等度もありますね』

とサラッと一言言われました。


すごく悲しかった。

すごく悔しかった。

数日思い出しては、涙が止まらなかった。


読み書きに関しては、できないという自覚はあったので、診断をもらって多少ショックではあったんですが

すこし希望が見えた矢先の


まさかの考えてなかった知的障害があります!との言葉にびっくりとショックで。


この1ヶ月、

支援学校に行かせてあげた方がよかったのかな?

でも、日常、学校の勉強以外の面では本当に困ったと感じたことがなくて。


でもさ、

半年娘を見てきてくれた先生

他の子どもたちをみてきて先生が言うのだから

私の思ってることが勘違いで

先生が言うことの方が合ってるのかな?と

眠れないほどに考えてしまう日もありました。


子どもの障害を受け入れるというのは、簡単ではない。


ずっと、気持ちを持ち直しては、また落ち込み、受け入れれない現実と本当にそうかな?と頭の中が大忙し。


昨日、発達に関してずっと娘を見てくれている主治医の先生が

良さそうな療育がみつかりました!と連絡をくださったので

『うちの子は、学習障害があることはわかりました。

それとは別にいろいろ学校生活で難しさを感じるのは、知的障害も有るのでしょうか?』

と恐る恐る聞いてみました。


すると、

『日本ではまだ、学習障害について勉強ができないから、知的障害であると言われることがありますが

娘さんは知的障害ではありません。

学習障害なので、適切な方法で学ぶことができたら、今より格段にできるようになる可能性があります。』


と教えてくださいました。


『お母さん、お母さんの感じているまんま、理解してもらって大丈夫ですよ』

と言っていただけたのが心強かった。


年齢相応のことができない

周りの子が簡単にできてることができない

このくらいできるのが普通に当てはまらないとき

『障害ですね』と言われてしまうことがいつも悲しいなと思う。

そして、『障害=困る』『弱者である』という視点から話が進むのもすごく悲しいなと思う。


『障害』って本人がそれがあることで困りごとを感じたとき、障害になると、私は思う。

周りと比べてできないから、障害であり、困るではないと思う。

どんなにできないことがあっても、周りの理解やそれを助けてもらえる環境があれば

その子にとっては障害にはならないかもしれない。

他に得意なことを活かして生きていけたら困らないかもしれない。

できない=障害ではない。

障害=困るではきっとない。


今の社会で生きる中で、

ここに困りごとがあるとわかれば

少しずつ自分が生きやすく過ごせる環境を整えていけたらいい。

前例がないというなら、作ればいい。

それがきっと同じように悩む人にとっては、新しい道にきっとなるから。

障害を克服するのではなく

それも自分の一部だと受け入れて

そんな自分の生きやすい場所をみんなで作っていけばいい。


この1ヶ月のモヤモヤから

『障害』という言葉にとことん向き合い

今、現在思うこと。


障害じゃなくて、さまざまな特性が個性であり、多様性っていえる社会になるといいな。


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