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記すということ|茉記

わたしの名前の一文字、「記」。
案外、気に入っている。
10代の頃だったか、父に意味をたずねてみた。
文字通り「記す」という意味が込められていた。
けれど、かえって「記す」場からわたしは遠ざかっていった。
わたし以外の家族は書くことが好きで、また長けていた。
‘わたしが書いたものは、いつも選ばれない’
そんな幼い頃のちいさな積み重ねは、ずいぶんと長い間、わたしの中に残っていた。
それでも「名は体を表す」ならば、人生のどこかで「記す」ことをした方がよいのではないか…とも感じてもいた。わりと大真面目に。

多趣味だった母方の祖父は、自宅に暗室を構えるほど写真が好きだった。
遊び方のお手本のような祖父から、フィルムカメラ受け継いだことをきっかけに、わたしも写真に夢中になった。
幼い姪の愛らしい姿や、たっぷりの陽射しや翳りから生まれる言葉にならない美しさ、静止している写真から風や湿度をふと感じたり
ちょっとしたことが写真にもたらす大きな変化が、夢中にさせてくれた。
仕事柄、広告で目にする写真を制作する側になり、たくさんの誰かの暮らしを作りながら、自分なりのひとつの答えたどりついた。
写真も「記す」ことのひとつかもしれない。

20年近く暮らしていた都会を離れ、海と山があるまちに住み始めてからというもの、目がいくようになったのは日々の暮らしとそれを取り巻くものだ。植物の存在をいろいろな角度から大きく感じて、ずいぶんと助けられたり
あまりに美しい夕焼けにいそいそとして、海まで走ったこともある。
ここでの時間の流れでやわらいでいくなかに、さまざまな出合いがある。
そんな瞬間を少しずつ撮っていたら、言葉はなくとも日記のようになった。
季節のうつろいとともにある、いまのわたしの本当の暮らしを
尊い仲間と、安心して記すことができる場に恵まれた。
気負わず、おおらかにていねいに、わたしのすべての感覚を信じていこう。

リレーエッセイを5人で紡いでいくという新しい習慣から、どんな響きあいが生まれるのだろう。楽しみでならない。

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