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遊覧船 | saki

朝、何時からか何処からかはじまる蝉たちの鳴く声で目覚める。街で育ち、夏といえば流水プールによく連れて行ってもらった。

暑い日差し、むせ返る熱風、乱反射する水面。ジリジリと火照り焼ける肌が、水の冷たさでクールダウンする。
プールに行っても泳ぐことより、浮き輪でプカプカ浮かんで水の流れに身を任せるのが何よりもきもちが良かったし、楽しかった。

しかし、学校のプール検定で15m泳がなければならず、なぜそんな判定や測定が必要なのか意図が全く理解出来ず、検定日まで毎日憂鬱で億劫だった。
学校の一日の締めくくりに『手のひらを太陽に』を歌っていたのだがその歌詞が、その時その瞬間の波打つ自分の心境にドンピシャ過ぎて、心身くまなく音が沁みて涙を堪えていたことを思い出す。 

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ      

「手のひらを太陽に」

 
今住んでいるところに越して9年目。この時期になると涼をとるのは、川だ。
川に初めて触れたのは小学生の頃、祖父母の家に遊びに行った時。山々を縫うように抜けた先に祖父母の家はあり、向かいには川が流れていた。
学校のプール検定では、たった15mでさえも腰が鉛のように重かったが、絶え間なく流れる川には恐怖心よりも不思議と安心感があった。
川に全てを委ね流れに抱かれる。そんな、ゆりかごに揺られる心地良さがあった。

街の景色から、クネクネとぐろを巻くような山道を登ると、木々や土の湿った匂いと冷んやりした風が衣の隙間を抜ける。
透き通った清流には小さな川魚たちが泳いでいる。
様々な生物や植物が息づく岩肌。剥き出しの地層や岩壁には時が織り成し刻まれる、自然の造形美を感じる。記憶が、風景が重なる。
バーベキュー、スイカ割り、魚釣り、花火、フェス…。夏の風物詩、「夏といえば」なことを謳歌、満喫することも、それはそれで愉しい。

わたしにとって海、山、川に、ただ身を置くことは、心も解放される。知らず知らず覆っていた街の緊張が解れて緩み、川辺で昼寝せずにはおれないほど、くにゃくにゃになる。
ただただ、滲む汗と共に川に涼む。
ただ、それだけで、ひたひたと心のコップが満ちていくのだ。

こうしてリレーエッセイを通して人から人へと、ゆるやかに繋がっていくこともまた、自然に運ばれる心地に似ている。


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