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いま、インスタでバズる写真とは?

写真おもしろコミュニティ「ふぁらおキングダム」に入って得た気づきを残す。


今のインスタは閲覧者側の目が肥えすぎている

Instagramは2019年6月の時点で、月間アクティブアカウント数が3,300万人を突破したそうだ。それも日本国内のみで。(世界だと10億とか)

ユーザの中には、写真を生業としている人も、そうでない人も混在しているが、各個人のフィードに表示される写真はごく一部の超すごい写真に集約されるため、皆ちょっとやそっとの写真で驚かなく(いいねを押さなく)なってしまっている

バズるにはまず目立つ

Instagramの他人の写真をどのくらいの時間みて、いいねボタンを押す/押さないを判断するだろうか。

おそらく、平均数秒ではないかと推測する。

プロ級の写真がズラリと並ぶフィードを高速に流し見する中で、ふと目にとまるような写真 でなければいいねはつかない。インパクトは必須条件になると考えて良いだろう。

誰にとってインパクトのある写真か

普段スマホカメラだけで"撮影する人"にとっては、
一眼カメラの写真はそれだけでインパクトのある写真となる。

普段APS-Cのカメラで"撮影する人"にとっては、
フルサイズの写真はそれだけでインパクトのある写真となる。

では普段ナショジオや有名アーティストの写真を"観る人"にとって、
インパクトのある写真はどういった写真だろうか?

こう考えると、見る人が写真に対してどの程度の造形があるか、見る人が普段どういった写真を観ているのか、といった背景が、見る人の関心のある分野と同等レベルに重要と気づかされる。

これまで私は「フルサイズカメラを初めて買ったときの、これまでのスマホやAPS-Cとは比べ物にならない描写性能を目にしたときの感動」を伝えるためだけにInstagramに投稿を続けてきたと自己分析する。(無意識で)

大多数がフルサイズカメラを保持する「ふぁらおキングダム」に於いては、フルサイズで撮影した写真 というだけでは当然驚かないわけだが、その様子を見て再認識したが、ガチ勢に対してはインパクトゼロだ。

非ガチ勢であっても「美しさ」に敏感な鑑賞者層は、撮影技術レベルなどを鑑みた忖度(趣味にしては頑張ってるやないか等)が出来ないこともあり、フラットに評価する。
故に、写真としての美しさだけで言えば、弱い。

この場合、鑑賞者側の嗜好(被写体の品種が好き、季節性を感じれて好き)や、Instagramを見るの周期と投稿のタイミングが合うなど、鑑賞者側の都合に依存した理由でいいねを貰えるかもしれないが、投稿者目線ではこれは運ゲーだ。

  • "誰に"インパクトを与えたいのか(◯大衆 ✗機材オタク)

  • その人達は何に惹かれるのか(✗機材)

  • ズレたことをやっていないか

P.S.
ただの高級機材作例おじさんに成り下がってはならない。

いいねを押す人の目線

Instagramはどういう使われ方をするだろうか。

特定の関心事に特化して観ると決めているユーザは恐らく少数と推測される。暇つぶしツールという位置づけだろう。

暇つぶしなら、大多数は「美しい!」と思う写真ならなんでも良いはずだ。

ただし
「◯◯が写っているとつい見てしまう」
「◯◯は全く関心がない」
といった関心の重み付けは人によって必ずあるので、行動履歴からこれをMeta社のアルゴリズムが解析し、ユーザに特定のカテゴリ特性が付与されていった結果、客観的には特定の関心事に特化した写真ばかりを観るアカウントとなっていくと思われる。

であれば、2つのことが言える。

  1. 心に刺さったらいいねはもらえる

  2. Meta社のアルゴリズムで重複した競合と並べて見られる

それぞれについて詳細を説明する。

1.心に刺さったらいいねはもらえる

これは投稿者目線で自戒のためにも覚えておきたいことだ。

いいねが貰えなくるのは、アルゴリズムなどのシステムのせいじゃない。
単純に、閲覧者に対し、写真に"引き"がなくなっただけだ。

特定のカテゴライズが付与されていて、表示優先度でフィルタリングされているのは確実であるが、ユーザの実態は写真好きの生身の人間だ。

だから、アルゴリズム云々の前に、まずはまっすぐに最高の写真を撮ることを第一に考えるべきである。ハッシュタグの工夫や投稿時間は二の次だ。

2.Meta社のアルゴリズムで重複した競合と並べて見られる

これは、ライバル(敵)の明確化に必要な観点だ。

私のInstagramアカウントはほとんどの被写体が草花であり、私のフォロワーは一定割合、草花に関心の高い層が占めている。

「草花に関心の高い」の写真がひとつのフィード上に並べられた時、全てにいいねを押す人は少ない。

並べられれば、誰だって比較して良い方に賛辞を送る。ならば、勝利すべき相手は、同一カテゴリで、よりインパクトがあって、魅力的な写真をアップするアカウントだ。

良い写真を撮れるようになったら、Instagramの詳細な仕組みについて学んでみたい。調べると、2023年5月頃、本家HPで大量の情報が記載されていた。

神から学ぶ【随時更新】

前述を踏まえ、「結局どういう写真を上げればよいか」について考察する。

まずは同一カテゴリではないかと思われる神々のお写真を分析し、どういった写真が「草花に関心の高い」ユーザ層で人気なのかを調査する。

ku.3776様

フォロワー数1.5万の「ku.3776」様のお写真から3枚ほど。

初見であれば、1,000人が見て999人はいいねを押す/押しそうになるだろう。そう断言できるほどに、この写真たちは圧倒的なインパクトがある。

いずれのお写真も、一輪のお花を主題とした、非常にシンプルなもの。
いや、要素が"異常なほど"排除されている。

鑑賞者は主題(お花)に集中する。茎部分でさえ、枠に近づくにつれて消える徹底ぶりだ。

唯一、背景の光のボケが副題となっているが、この副題の入り方が極めてささやかで、丸ボケの数もかなり抑えられている。色のグラデーションもまるで絵画の如く恐ろしくなめらかに表現されていて、主題を邪魔しない。

ここまでくると非現実的といえる。
一般人にはどうやって撮ったのか どころかCGにしか見えないだろう。

だがこれを目指すものとして、頑張ってもう少し踏み込んで考えてみる。

花が本質的に持っている美しさは特段いじらずそのままである。
「これは写真だ」と脳が認知はするものの、背景その他の演出が現実離れして要素がないため「これは本当に写真か?」という感情が同居する違和感に、惹きつけられる効果があるように感じる。

表現が極めて繊細で、一見控えめな印象を抱くため、恐らくじっくり分析することがなければ、なぜこの写真に吸い込まれるのか理解ができないまま、自然といいねを押しそうになるかもしれない。

あえて一言でこの写真の魅力をまとめるなら、下記だろうか。

  • 主題と副題が明確に表現されている

  • 主題を邪魔する要素(シェープ、色両方)が完璧に排除されている

  • 写真全体に非現実感、異世界感がある
    (ご本人のハッシュタグにもあり、意図的に…)

  • 非現実感がある一方、花の質感が生々しくリアル

yoceantoi

写真の直リンクは許可されていない様子だったのでホーム画面へのリンクのみ。

https://www.instagram.com/yoceantoi/

yoceantoi様は単一の手法ではなく、様々な手法で撮影されたお写真をアップされており、一口に分析はできない。

ざっといくつかのパターンに分類して、それぞれ分析する。

  1. 主題の花以外の花が存在しないパターン
    特性としては「ku.3776」様と非常に酷似しており、主題以外の要素が徹底して除外される傾向にある。ただし、主に黒バックを背景とする「ku.3776」様と比較すると、青空・草木の緑・同系統の花弁の色を背景色に利用されていて、全体的に明るい印象の写真が多い。背景の色合いで写真のイメージなり、季節感を演出している。

  2. 主題が花の群生の中の1つであるパターン
    特性としては1.と同様。
    但し、主題の花は明確化されている一方、副題となる花が、花の群生として認識できる程度には明確化されている。ポイントは、副題以外の要素は相変わらず徹底して排除されている点か。

  3. 花の群生全体が主題であるパターン
    ごく一部だが、群生全てにピントがあっている作品も見受けられた。あえて被写界深度を広めにとって平面的に見せることで、絨毯やタイルのようなデザインパターンのように花を表現しているように見受けられる。

  4. その他のパターン
    昆虫やカタツムリなどを主題とする作品も一部見受けられた。これらも私から見れば超一級品だが、恐らく御本人からすれば遊びだろう。
    恐ろしい。

あえて一言でこの写真の魅力をまとめるなら、下記だろうか。

  • 主題と副題が明確に表現されている(ku.3776様と同様)

  • 主題を邪魔する要素が極力排除されているが、背景の色合いのバランスで写真全体の印象を操作し、主題を引き立てるために活用している

  • 写真全体に非現実感、夢見心地感がある

  • 花の質感の表現も比較的ファジーで、夢見心地な世界観を壊さない程度に調整されている印象がある

jakubcervsk

フォロワー数4万の「jakubcervsk」様のお写真から。

初見の印象は「もはやハリーポッターの映画の世界」

インパクト・世界観という意味では圧倒的である。
jakubcervsk」様のお写真を観る99.9999%の人は恐らくそこで思考停止して手が勝手にハートを押すように人間はできている。

私もそこに浸っていたいが、撮影者として学ぶべく考察を勧めてみる。
※述べることがあまりにも多いため、1枚目だけを分析する。

主題のお花と背景の大きな玉ボケは恐らく撮影時のものだと思われるが、全体に散らばっているオレンジ色の小さな玉ボケは合成されたものだと推測される。(大きい玉ボケと異なり、小さい玉ボケはオールドレンズの独特の玉ボケのように、完全な円でなく楕円に近い形状になっているものが散見されるため)

背景の大きなボケも、色味が極端に異なることから何らかの処理が行われているとも考えられる。

主題となっているお花も明らかに現実には存在しない色味であり、相当オレンジ色に寄せたものと推察される。
(確証はないが、元の花弁は白に近い色ではないだろうか)

夕日のオレンジ色に照らされた白い花と、木の隙間から漏れるオレンジがかった玉ボケをベースに、(恐らく異なるレンズで)別撮りした玉ボケを強めのオレンジ色で合成し、まるで妖精が羽ばたいている世界のような光の粒子を演出したと、勝手に分析する。わからんが多分。

色味の観点で見てみると、低明度〜高明度のティール、低明度〜高明度のオレンジ、黒 のたった3色ほどしか使われていない。徹底したティール&オレンジだ。

よく見ると、中央の花の茎の緑はほぼ原型の緑を残さないレベルで暗く処理されているし、左側の花の茎に至ってはオレンジ色になって透けているようにさえ見える。神よ、無茶しやがって。。

光の観点で見ると、これは背景の玉ボケが合成でないなら太陽は撮影者と相対する方に位置しているはずで、中央以外の花も基本的に影がかかっていることから、中央の花にライティングが行われて撮影したと思われる。実際の現場は暗がりだったのかもしれない。
(このライティングの結果として中央以外の花の、コチラ側を向いている面以外に影ができているのかもしれない)

推測が間違っていたとしても、大胆な現像編集が行われたことは確実だ。

結果として、まず全体的な印象では、圧倒的な非現実感を醸し出すことと、色が3色ほどに限定されスッキリと洗練した印象をもたせることに成功している。

主題の中央の花に注目してみても、高明度の花弁が極めて柔らかい印象を抱かせる一方で、かなりの低明度に抑えられた土台の葉っぱ部分が重く・固そうな印象を抱かせる。まるで鉄製の土台に生の花弁を添えたように見え、重量的な安定感・安心感を感じさせることにも成功している。

見れば見るほど、実験的な現像が行われていることに気付かされる。
ここまで来るともはや絵画である。

多少細かい部分が矛盾を起こしていたとしても、表現を振り切らせるこのお写真は、まさに海外のダイナミズムあふれる表現だと感じた。

戦略1:主題の明確化の徹底【必須】

主題副題以外の要素の排除(物/色/光/他)

  1. 主題と関係ないオブジェクトの排除

  2. 主題を活かす要素とならない光の排除

  3. 主題を活かす要素とならない色の排除

  4. 主題以外への視線誘導となる要素の排除

補足4.
視線誘導を甘く見ては駄目で、下記の記事で実験した通り、良かれと思って含めた花が、実は余計な視線誘導をうんでいることもある。

主題の強調(被写体選定/被写界深度/色/光)

  1. 魅力的な被写体の選定、目的に沿った主題の選択

  2. 必要なところにはピントを合わせる

  3. 進行色などの特性、色相の補色、明度による軽重感

補足1.
目的はアートなのか記録なのか?アートならどの層向けか?
記録なら誰にとって貴重なシーンを撮るのか?

補足2.
人はまず最初にピントの合った場所に視線が向かうが、ピント面は過不足なく適切か?

戦略2:非現実感・異世界感【必須】

「花」は万人が美しいと感じることができる一級の被写体である一方で、入手性が容易なありきたりな被写体である。ありきたりな主題には、インパクトがない。

何らかの方法で「非現実感」「異世界感」などの"違和感"を付与することで、インパクトのある写真に昇華できる。

具体的な「非現実感」「異世界感」の醸成方法はまだ分析しきれていない。いくつかの作品から共通して見られる特性を挙げてみる。

  • 基本暗闇で、一部光がさしている

  • 光が柔らかい印象

  • 色味が映画っぽい(言語化…)

  • 主題の面積が小さく、空間が広くある

映画の色味について研究すべきかもしれない。


戦略3:希少性【推奨】

決定的瞬間、絶景、珍しい被写体、独特な構図等、希少性のある写真には人の目をひく効果がある。

人に見せる写真なら、見せられた側にとって注目する価値のあるものを提供すべきだ。

推しのアイドルが今日食べた昼飯の写真、今日お昼に食べた超有名らーめん店の写真 が見たいのであって、他人の「今日食べた昼飯」を見たいわけではない。

その写真にはどこに見る価値があるか説明したとして、それが他人にとって関心のありそうなことか?を一度改まって確認することは重要だ。

ただ単に「ちょっとキレイに撮れたので見てみて!」といった写真になってしまっていないか?見せられた側を困らせていないか?

自分の何倍も撮影が上手な写真家が、なぜわざわざ遠征して絶景スポットに足を運んで撮影するのかをよく考えることだ。

戦略4:軸となるテーマの明確化【必須】

Instagram界隈ではもはや常識だが、フォロワーやいいねをより多く獲得する上では、フィードに統一性をもたせる必要がある という定説がある。

ここについて、事実かどうかの検証やアルゴリズムとしての裏とりなどは一旦棚に上げて、そもそも大衆に見てもらうアート寄りの写真を発信する者としての根本的なあり方について整理する。

人に「美しい」と思ってもらうための写真を、意図的に撮ろうと考えた時、人がどういったものに美しさを感じるかを知っておく必要がある。

また、「美しい」とは主観的な感情であり、人によってバラツキが出るため、できるだけ多くの人に「美しい」と感じてもらうためには、自分自身の趣味嗜好/偏りのようなものを自覚し、普遍的・一般的な「美しさ」への感性を研ぎ澄ませる必要がある。

これらについては下記の通り検討した。

上記に加え、そもそもクリエイターとして「何を表現したくて写真を撮るのか」という根本的な軸を持たなければ、美しさを高める活動に限界があるし、何より撮影者本人のモチベーション維持が難しい(要は楽しくない)ため、この点についても明確化が必要となる。

野鳥、飛行機、風景etc、特定のジャンルに特化して撮影者の趣味嗜好が確定していれば特段考慮する必要もないことだが、そうでない場合はここをFixしないと写真にブレが生じてしまう。

これについても別記事で整理した。
(なお、誰の参考にもならないので見てもしょうがない)

本章のタイトルに立ち返り、撮影者の軸となるテーマの明確化が行われていれば、軸はそうそうあるわけではないことから、おのずから一定の統一性は生まれるはずで、結果的に集約されるものと推察される。

このサイクルが結果的にフィードに統一性を産んでいるのであって、逆ではないのではないか、と考えられる。

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