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ファクトチェック・ジャーナリズムとは何か(上) 従来の報道との違い(1)

私がファクトチェックを知ったきっかけ

 「ファクトチェックに興味があり、自分もぜひやりたい」―こんな声が若い新聞記者から出ているという話を最近よく耳にする。
 5年前なら考えられなかったことだ。

 まず、「ファクトチェック」という概念がほとんど知られていなかった。今世紀に入って、2015年までに朝毎読3紙の紙面の見出しに「ファクトチェック」という単語が登場したことは一度もなかった。本文でもわずか6本。そのほとんどがアメリカ大統領選挙に関する記事の中で触れられたものだった(新聞データベースGサーチで筆者調査)。
 アメリカで政治家の発言の真偽を検証する団体、ファクトチェック・ドット・オルグ(factcheck.org)が誕生したのは2003年のことだ。実は私はその年末に新聞記者を退職している。当時はもちろんそんな団体の存在も、ファクトチェックという概念も全く知らなかった。

 私がこうした活動の存在を知ったのは2011年、東日本大震災、福島第一原発事故の後、メディアの報道不信がかつてなく高まっていた時期である。私自身、不信感と危機感を募らせ、報道の正確性を第三者的に検証するサイト、GoHoo(ゴフー、2012年4月活動開始、2019年8月終了)の立ち上げに向けて、参考になる類似の活動が行われていないだろうかとリサーチを始めた。
 それで各国には言説・情報の真偽を検証する様々なメディア、団体が活動していることを初めて知った。アメリカのメディアが本格的にファクトチェックに乗り出したのが2008年の大統領選挙。タンパベイ・タイムズ、ワシントン・ポストが取り組み始め、前者が設立したポリティファクトは翌年ピュリツァー賞(国内報道部門)を受賞して脚光を浴びていた。

 全くと言っていいほど知られていなかったファクトチェックの理念と実践を日本でも広めていく必要があると考えるようになったのは、2016年ごろだ。このころ、イギリスのEU離脱をめぐる国民投票があり、ポスト・ファクチュアル(Post-factual)あるいはポスト・トゥルース(Post-truth)という言葉も広がり始めていた。
 この年のアメリカ大統領選挙で改めて、どれだけファクトチェックが行われているかを調べてみたところ、本当に驚いた。あらゆる新聞社、テレビ、ネットメディアがこぞってファクトチェックのサイトを立ち上げていた。この状況を詳しくリポートしたのが、「米大統領選で注目されるファクトチェッカー 世界にはこれだけのサイトがある」という記事(Yahoo!ニュース個人、2016年9月30日)だ。同ニューストピックス編集部にも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。

広めようと思った理由

 ところで、私の問題意識はGoHooの活動を通じて、日本のメディアの報道品質、正確性と信頼性、ジャーナリズムのあり方にあった(その根本的な問題意識は今も変わらない、とあえてここで言っておこう)。
 誤報を隠したがる体質は、根深い。アメリカの主要紙が古くから訂正記事コーナー(Corrections)を常設して、毎日細かく誤報と訂正事項を周知し、読者からの情報提供も求めている姿勢との差は、一向に埋まる気配がない(2014年の朝日新聞の慰安婦報道・吉田調書報道の誤報取り消し問題を受け、少しは改善されたが、あのショックの大きさの割にはメディア業界の変化が乏しかったと評価せざるを得ない)。誤報を逐一検証するだけでは、なかなか変わるものではない。そんな無力感があった。

 だが、アメリカなどのメディアの取り組みを見て、考えを改めた。日本のメディアもファクトチェック・ジャーナリズムを導入すれば、メディアにも社会にも良いインパクトを与えるのではないか。既存メディアは、他社の報道に対するファクトチェックを積極的に行おうとしないかもしれない。それでも構わない。多大な影響力をもつ人物の言説や、無名でも拡散力の強いネット情報など、他に検証すべきものはいくらでもある。要は、第三者的な視点で言説・情報の真偽検証に取り組めば、おのずと自社の報道の正確性にも気を配らざるを得なくなり、報道品質の改善につながるのではないか、と。しかも、ノウハウとリソースに恵まれた大手メディアが本格的に取り組めば、インパクトは大きく、ファクトチェックの裾野も広がり、読者の信頼を勝ち得るのではないか、と。
 そこで、前出のYahoo!の記事に、やや挑発的に書いてみたのである。

 日本のマスメディアは、ふだんは『権力の監視がジャーナリズムの役割』と自任しているのに、なぜどこもやらないのであろうか。政治家などの言説の真偽をチェックする、というのは『権力の監視』の実践そのもののはずである。
 まさか、『そんなことをやったら政治部記者が取材しにくくなる』とか『コンプライアンス部門に訴訟リスクがあると忠告される』といった理由で、ためらっているわけでは・・・

 すると、思ったよりも早く、朝日新聞がファクトチェック記事を全国紙で初めて掲載した(2016年10月24日付朝刊)。
 臨時国会における安倍晋三首相の答弁内容を検証したもので、画期的なことだった(同紙のファクトチェック記事は翌年にかけて断続的に掲載されたが、定着しなかった。この問題は改めて考える)。

 2016年後半は、接戦となったアメリカ大統領選挙で「フェイクニュース問題」が社会的に注目された。日本でも医療系情報サイトの不正確な記事の濫造が問われ、閉鎖に追い込まれる事件があった。ネットメディアのバズフィードがこの問題の解明に大きな役割を果たした。
 世界のファクトチェック業界にも大きな変化の波が押し寄せていた。2015年に各国のファクトチェッカーが集まり、IFCN(International Fact-Checking Network)を結成。翌年9月にはファクトチェックの綱領(Code of Principles)も定められた。

 初めて明示されたファクトチェックの原則を見て、私は、日本のジャーナリズムをバージョンアップするのに必要な考え方がここに内蔵されていると確信する。フェイクニュースという流行語とともに、ようやく日本でも情報の正確性を検証する必要性が認識されつつある。これを機に大手メディアも巻き込む形で、IFCNが示した原則にのっとったファクトチェック・ジャーナリズムを日本にも広げていく必要がある。―マドリードで開催された第4回世界ファクトチェック会議(2017年7月)に赴き、既存メディアも新興メディアも、ジャーナリストもそれ以外の職種も、垣根を越えて新しいジャーナリズムを生み出そうとしている世界の最前線を目の当たりにして、そのような思いを強くした。
 こうして、ファクトチェックの担い手を広げるべくファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)という団体を2017年に立ち上げ、まもなく3年になろうとしている。ネット上でも「ファクトチェック」という言葉が普通に使われるようになった。ただ、メディア関係者の中からは誤解と警戒の声も少なくない。

 今回連載の機会をいただいたので、私が過去3度の世界ファクトチェック会議に参加し、IFCNとも協力関係を築く中で確認してきたファクトチェック・ジャーナリズムの国際標準的な考え方をお伝えしていきたい。

(初出:Journalism 2020年3月号)

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