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比翼連理

【ゲーデルの不完全性定理】
 1. 公理系が無矛盾性をもつならば、真偽を決定できない命題が必ず存在する
 2. 公理系自身の無矛盾性を公理系内で証明することができない

Big Bad Voodoo Daddy - King Of Swing


弟と一緒でなくては養子にいかぬ!
トキの面倒はオレが見る!!

『北斗の拳』 ラオウ


『アカデミア』 ∞ 『リュケイオン』

 p. アカデミア… プラトン… 理論重視
 q. リュケイオン… アリストテレス… 実践重視

 そろそろ新入社員の仕事が始まりますね。はじめは教える方も教わる方もお互いに緊張するものです。
 新入社員「うまくできるかな〜」
 教える人「うまく教えられるかな〜」
と、実は同じようなことを考えているのですよ。教えるのが上手い人、すぐできる新入社員、教えるのが苦手な人、なかなか覚えられない新入社員と、さまざまな人がいます。
 さて、ここで気になるのが、
「最初に大前提を教えているのか?」
ということです。大前提とは、

 1. 学問にはアカデミア(理論)とリュケイオン(実践)の2つがあるということ。
 2. 学校では主にアカデミアを習い、リュケイオンは習っていないこと。
 3. 社会ではアカデミアとリュケイオンの2つが必要だということ。

 この3つです。これらが大前提にあるので、先ずはそれを教えるべきなのです。なぜなら、アカデミアとリュケイオンでは、脳の神経回路のつながり方が違うからです。ついこの間まで学生だった新入社員は、アカデミアの方の神経回路はつながっているのですが、リュケイオンの方の神経回路はまだまだつながっていないのですよ。
 アカデミア… 頭脳だけの神経回路
 リュケイオン… 頭脳と身体の神経回路
ってことです。

 今はもう無くなったようですが、東大生の新入社員に対し、仕事がなかなかできるようにならないことを指して「東大のくせに使えねーな」などと言う人がいたのですが、いやいや、学校で習ったことはアカデミア(理論)であり、リュケイオン(実践)の方はほとんど習っていないのですから、できなくて当然なんですね。言うなれば、

 学校でサッカーを練習したけど、社会ではいきなり”野球”をやれと言われる。
 学校で100m走の練習をしたけど、社会ではいきなり”水泳”をやれと言われる。
 学校で音楽の練習をしたけど、社会ではいきなり”絵”を描けと言われる。

 こんな感じですね。だから『できるわけがない』んです。
 これは学生からすれば完全に”トラップ(罠)”でしょうね。加えて、海外と比べて日本にはギャップイヤーも無ければインターンの期間も短いようですので、リュケイオンの経験がなく社会に出ることになるのです。

 学校にいた頃とはまったく別の能力を使うことになるので、先に教えておくべきですね。こういうことは会社だけではなく、学校からも教えるべきだと考えます。就活が始まった時期やインターンの学生に対してあらかじめ説明する機会があればいいですね。「〇〇大学のくせに使えない」とか言う大人には「どうやら何も解っていないようだな」とでも返しておけばいいのです。

 プラトンとアリストテレスの”対比”については、哲学を専攻した学生は知っていると思いますが、それが現実の世界とどう結びついているのかを教えないといけないのです。


天才物理学者 = 天才お笑い芸人

 α. 宮川大輔さん… 「あかーん!」
 β. 出川哲郎さん… 「ヤバいよヤバいよ!」

 お笑い芸人で好きなのはやっぱり志村けんさんやな。子どもの頃にテレビで見とったけどずっと笑いっぱなしやったな〜。まさに『天才』やと思う。芸人に天才がおるように物理学にも天才がおるやん。アインシュタインとかね。
 んで、物理学とか言われると”真面目”なイメージがあるから、いまいちお笑いとはかけ離れた世界なんかな〜と考えるけど、実はなかなかどうして、お笑い芸人に負けず劣らずの笑える話があるんや。

 アインシュタインは元々『定常宇宙』ってのを考えとって、それに合う方程式を考えたのや。定常宇宙ってのは”宇宙は膨張も収縮もしない = 大きさは変化しない”ってことね。ところが方程式を解いてみると「宇宙は膨張している」って答えが出てきたのや。そこでアインシュタインは、宮川大輔さんばりに「あかーん!」ってなって、方程式を修正したのよ。

 んで、これでもう大丈夫やろと思ってたら、天文学者のジョルジュ・ルメートルって人が宇宙を観測したところ「宇宙は膨張している」って結果が出て、「やっぱりあなたの宇宙は膨張してるじゃないか」って言われて、アインシュタインはまた宮川大輔さんばりに「あかーん!」ってなって、方程式を元の形に戻したのや。

 アインシュタインは最初に方程式を修正したことを「我が人生最大の失敗」って言ってたみたいやで。
 でもね、これで話は終わりじゃなくて、さすが天才なんやろな。アインシュタインが亡くなった後にダークマターやダークエネルギーって言われる”未知”のものが見つかってきて、どうやらそれはアインシュタインの修正した方の方程式が表してるんじゃないかと言われとるのや。

 多分、今ごろ、アインシュタインはあの世で3回目の「あかーん!」を言っとるんやないかと思うと、なかなかの”天才お笑い芸人”ぶりやろ。まとめると、

 I. 最初の方程式①… y = x (定常宇宙)
  i. 計算結果… ”膨張”宇宙 → 1回目の「あかーん!」
 II. 修正後方程式②… y + a = x (定常宇宙)
  ii. 観測結果… ”膨張”宇宙 → 2回目の「あかーん!」
 III. 観測後方程式… y = x (最初の方程式①に戻す)
  iii. 最新観測… ”未知”のものを発見
 IV. 予想方程式… y + a = x (修正後方程式②に戻す… ?)
  iv. もしかするとあの世で3回目の「あかーん!」… ?

ってことやな。
 数式はめっちゃ簡単にしたけど『a』ってのが”宇宙項”って言われるやつや。ほんまもんの数式は謎の暗号のようにしか見えんし、まぁこれで許してちょ。なにがなんでもアインシュタインの”逆”をいこうとする宇宙ってヤツはおもろいよな。
 自然に振り回される天才たち…

 アインシュタインがあの世で「あかーん!」って言ってるなら、志村けんさんもあの世でいかりやさんに「アイーン!」って言ってるかもな。


11 = 11 = 11

 物理学でおもしろい話といえば”超ひも理論”もありますね。
 超ひも理論では次元の数が『11次元』にもなりますから、世界中の物理学者がびっくりしたのです。出川哲郎さんの「ヤバいよヤバいよ!マジでヤバいよ!!」みたいな感じです。

 いくら難解な問題を解くことを得意とする物理学者でも、11次元まで増えるとさすがに手に負えなくなるわけですよ。みんなが「ヤバいよヤバいよ!」となっていたのですが、このときは確か理論物理学者のエドワード・ウィッテンだったと思うのですが、「余剰次元のことは考えなくていい」ってことを数学的に証明したので、ひと段落したようです。

 さて、物理学者もなかなかおもしろいのですが、社会そのものもなかなかおもしろいのです。一体何のジョークをやっているのかと感じることもありますね。

 11次元が出てきたので、11つながりで『11次下請け』ってのがあります。まぁ要はひたすら外部委託のような形で下に降ろしていくのです。余剰次元ならぬ、余剰下請けってことですね。ん? 意味? 特にないです。強いて言うなら『貴族ごっこ』ですね。
 下請けに仕事を回すだけの仕事ですので、AIの台頭もあり消滅するんじゃないかと言われていますね。ウィッテンに消された余剰次元みたいなものです。”ぱーぱす”がないですから。

 他にも、実際に11なのかは会社にもよるでしょうけど、『階層が多い』というのがありますね〜。11階層です。

 昭和時代は今と比べものにならないほどの『超絶ブラック』な会社ばかりでしたね。戦後の復興のためとはいえ、あまりに急激に発展したため、人間性などが育たないままになってしまったのかもしれません。そんな昭和時代にも良いところはあります。その1つに、
 『上層と下層にほとんど”差 = 距離”がない』
というものがありました。上層(経営層)と下層(現場)に距離がないと『試行錯誤(トライ&エラー)がしやすい』のです。現場が思いついたことをすぐに試せる、なんなら”その日のうち”に新しいことを始めるなんてことができたのです。

 今では到底考えられないでしょう。新しいことをしようにもとにかく許可を取るだけで何日も何週間もかかったり… ですね。そうなってしまったのは『無駄に増やした階層』のせいでもあります。会社が発展していくと人の数が増えるので、仕方ない部分もあるのですが、さすがに多すぎるのですよ。
 階層の数が増えると、会社は”縦に伸び”ますから当然、上層と下層の距離はどんどん開いていきます。加えて、階層が増えた分、元々は下層にあった『権限』が無駄に分散されたのです。結果、下層には何の権限もないなんてことになってるところもあるでしょう。

 これでは新しいことをやるにしても、下層(現場)の意見はまったく反映されないものばかりになったりしますので、やっても思ったような結果は得られないでしょうね。

 日本製品は、当初は確かにアメリカのパクりばかりだったのですが、作っているうちに、現場の人たちが”ひらめき”はじめたんですね。「ここはもっとこうした方がいいんじゃないか」って具合にです。作っている人は常に『五感』を使っている状態ですから、脳の中の神経回路がさまざまな方向に、それこそ”無限”につながっていくのですよ。これがリュケイオン(実践)です。
 そうやってひらめいたものを形にして、日本の”独自性・独創性”が磨かれていったのです。これを『日本の魔改造』と言いました。


ぱーぱす(存在意義)

【流れ】
 昭和時代… 復興するために現場が力を持つ
 発展後… 学歴を気にしはじめた会社が、学歴だけ見て採用する
 採用後… 仕事ができない高学歴が批難される
 現在… 学歴で最初から本社に行く人が、現場の話を聞かなくなる
 結果… 階層の多さも手伝って上層と下層でまったく意思の疎通ができなくなる

 完全に『小学生のケンカ』のようにしか見えませんが、振り返って見てみるとだいたいこんな感じですね。先述のように学歴 = 能力 ではないので、学歴を基準にして「能力がない」とするのは愚の骨頂ですね。そして、たとえそんな人がいたとしても、短絡的に現場の人 = 性格が悪い としてすべての人の話を聞かなくなるのも浅はかでしょう。

 製品には有形(モノ)と無形(サービス)がありますよね。昭和時代、日本はモノを作って世界と戦っていました。日本の製品が世界中にありました。しかしそれは、今とは比べものにならないほどの『超絶ブラック』な労働環境が生み出したものでもあるのです。おそらくそれは業種を問わないでしょうね。

 発展したのは良かったのですが、工場を次々に海外に移転したので、モノが作れなくなりましたね。そして、代わりに無形の製品があれば良いのですが、何かありますか? ここでいう製品とは、アメリカのGAFAMに匹敵する製品(サービス)です。モノもなく、目新しいサービスもない日本を世界から見たときに”ぱーぱす”はあるんですかね。

 昭和… お前の代わりなんていくらでもいる
 現代… 日本の代わりなんていくらでもいる

ってことです。
 実際、DXだってアメリカから丸ごと持ってきただけの『コピペ』ですもんね。日本の独自性・独創性などは一切入っていませんから。自国で作っているモノもサービスもなく、海外のものを『コピペ』するだけの国に”ぱーぱす”はあるのでしょうか? 疑問ですね。 


戦争をする知識人 = 数字しか見ない上層

 上層… スペースシャトル
 下層… 燃料ロケット

って捉えると近いかな〜、今の日本は。”今の”というか、随分前からそうなのかもしれんけどね。途中まで燃料ロケット(下層)の力で行ったら、サクッと切り離して宇宙(上層)に飛び立つ。他にも、

 スペースシャトルで宇宙に行く = メタバースに住む

みたいにも見える。とにかく下界と天界みたいに分けたい感じよね。ワンピースの天竜人とかラピュタの住人を目指してるような印象を受けるね。

 会社で身内を使って売上(金)を回していくのは、人間に置き換えると”近親相姦”やけど、天竜人が近親相姦の『成れの果て』なんやろな。グズグズになっとるやん、いろんな意味で。このままやと日本全体があんな感じになるのかね。
 上層には頭の良い人たち、いわゆる”知識人”って呼ばれる人たちがおるやん。だったらなおさら判ると思うけど、アインシュタインが『戦争をしない方法』がないかを、フロイトに手紙で聞いたやん。その中で、

彼ら(知識人)は現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳で捉えないからです。
紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。

『ひとはなぜ戦争をするのか』 アインシュタイン/フロイト

って言ってんのやけど、
 1. 自分の目と耳で捉えない
 2. 紙の上の文字だけで安直に捉えようとする
この2つって、現代の会社で言えば『数字しか見ない上層』のことよね。

 言いたいことは、アインシュタインが危惧した当時の知識人たちとまったく同じ行動をしとることを、判った上でやってるのか? ってことよ。同じ行動を取れば”同じ未来”に進むことになるんやないの? 現に、ロシアは戦争を始めとるで。紙の上の文字や数字だけで判断することが、いかに”危険”なことなのかを理解した上でやってるのかね。国だけやなくて会社も同じことよ。

 1. 宇宙に行けば安全〜 → 定住はできんやろ
 2. ラピュタに行けば安全〜 → 現実の世界にはないやろ
 3. メタバースに住めば安全〜 → PC破壊されたら終わりやで

 アカデミアとリュケイオンの2つが必要なんや。なんか上層と下層で”意地の張り合い”みたいなことしとるけど、そういうので一番犠牲になるのは『子ども』よね。全然生まれてないしね。生まれることを”封じ”られとる感じやな。

昭和… リュケイオンばかりでアカデミアを否定したから”遺恨”が残る
平成… 遺恨の残ったアカデミアがリュケイオンを否定したから”停滞”する
令和… ?

って感じか。
 どうするかね〜…なんか『きっかけ』が欲しいんやろな。ここで言うきっかけってのは”言い訳”って言い換えてもええし。ちなみに一番使われる言い訳が『戦争』やで。戦争になれば否が応でも力を合わせるしかなくなるからな。誰かの”せい”にした方が動きやすいってのは相変わらずですね〜。
 令和とは、Beautiful Harmony … 美しい調和、協和。『調和』っていうくらいやから1つやなくて2つ(以上)のものを合わせることやな。

 ん〜…アカデミアにもリュケイオンにも必要なのは”言い訳”なんかじゃなくて、『意志』なんじゃないっすか。意志のない人形はいつも”言い訳”を探す。だから、いつも”他人のせい”にする… ってね。

 『意志』の上に成り立つもの… 人間・自信・誇り・自立・大人…
 『言い訳』の上に成り立つもの… 人形・過信・傲り・依存・子ども…

 さてさて、今の世界はどちらの道を選ぼうとしているのか。
 歴史の分水嶺…

 そういや、ラピュタの住人ってどうなってたっけ?





Brian McKnight - Back At One


思考とは、行動の予行演習に他ならない。

ジークムント・フロイト


相関 ≠ 因果 ≠ 対応

《物事》
 a. 一方… p → q (一方が原因でもう一方が結果になる)
 b. 双方… p ⇄ q (どちらも原因にも結果にもなり得る)

《時間》
 α. 順行… x → X (過去から未来へ) 
 β. 逆行… x ← X (未来から過去へ) 

(p ⇄ q) 双方 … 相関関係 … 順行 (x → X)
(p → q) 一方 … 因果関係 … 順行 (x → X)
   (p ⇄ q) 双方 … 対応関係 … 順行/逆行 (x ⇄ X)

 物事の結果から逆算して原因を探し当てるのは、思っている以上に難しいものですね。1つの原因にたどり着いたと思ったら、その”原因を生み出す原因”があったり、まったく”別の原因”があったりと、なかなか『真因』までたどり着くのは簡単ではありません。

 2つの物事の関係を表すとき、3つの方法があります。相関と因果の2つはよく聞きますが、もう1つ『対応』というものもあります。3つの違いを見てみると、
 物事が一方向… 因果
 物事が双方向… 相関、対応
さらに、
 時間の逆行がある… 対応
 時間の逆行がない… 相関、因果
となっていますね。
 時間の逆行というものは現実の世界ではあり得ないので、相関と因果の2つを見ていけばいずれ原因にはたどり着けます。気をつけないといけないのは相関の物事が『⇄』になっていることです。p と q は、どちらが原因にも結果にもなり得ますし、第3の原因も考えられるので、安易に原因と結果を決定してはいけません。

 ここでもし、安易に決定してしまい、原因と結果を”逆”に捉えてしまうと、それは相関ではなく対応になってしまうのです。そうすると、対応は時間の逆行を許すので、物事が進まなくなったり、もっと悪いとどんどん『退化』するなんてことも起こるでしょう。

 どんどん退化… まるで今の日本みたいですね。


底辺 ≠ 基盤

 学生に仕事を教えるときに気をつけてたことは『他の店に行っても通用することを教える』ってことや。普通や常識なんかないような社会になっとるから、何が正解なのか解らんことになっとるやん。そんな中で正解を見つけていくのって難しいけど、1つ、指標となることを上げるなら『他の人に同じことを言われるかどうか』ってのがある。
 自分が教えたことと、同じこと/似たようなことを”赤の他人”からも言われたら、それは正解である可能性が高いわな。

 教えた子がどんな会社に就職するのかは知らんけど、どこに行こうが先輩や上司の『目に止まるヤツ』に育てたいのよね。教える側の目線で言うと「あれ… この子、他の子と”動き”が違うな…」ってのがある。この”動き”には良いと悪いがあるけど、ここでは良い方ね。

 んで、教える側がそう感じる『良い動き』ってものの中に、記事で何度も何度も言ってきた「自分が使ったものは自分で片付ける」ってのがあるのや。自分で片付けることが癖/習慣になってるってことや。
 教える側は、片付けることが癖/習慣になってる子と、その場だけやってる子の区別なんかすぐつくからな。伊達で教育係やっとるわけやないしな。

 んで、こっからなんやけど、目に止まるヤツってのは”気にかけてもらいやすい”のよね。なぜなら目に止まっちゃってるから。
 そうすると、その子に良いところがあればすぐに気づいて褒めてもらえるし、悪いところがあっても教育係が気づいてるから修正しやすいのよね。ってことは『成長が早くなる』ってことや。

 まぁ現実にはこんなにすんなりはいかんのやけど、そうなる”可能性を上げておきたい”のや。0.1%でも上げといたら、就職したあとが0.1%有利になる。

 飲食店の仕事は、リュケイオン(実践)を鍛えるのに良い練習になるんや。でも、社会全体から見たとき、飲食店と言えば”底辺の仕事”と言われることがある。実は底辺じゃなくて『基盤』なんですね〜。
 アカデミアの基盤… 学校で習う
 リュケイオンの基盤… 飲食店で習う
ってことよ。

 飲食店で習ったことが就職先の会社でも通用することであれば、その子は店や教えてくれた人/会社に”感謝”するから、基盤になったと思いこそすれ底辺とは思わんわな。
 けど、習ったことが就職先の会社で通用しなければ「やっぱり飲食店は底辺ってことか」ってなるやろ。

 リュケイオン(実践)の基盤を教える店は、底辺とは言われない。

ってことよ。
 ただ、ダメなところを言うと、飲食店によっては新人を忙しい時間帯にいきなり入れるってことをやる店もあるけど、これって”昭和”なんよな。「いきなり忙しい時間でもできなきゃダメだ!」みたいな考え方が続いとるのや。
「じゃあお前は何の勉強もしないで東大の入試を当日いきなり受けて合格できるのか?」って話よね。
 こういうのももうやめた方がええな。意味がない。


重心 = 中心

 建築でも基盤が大事ですが、その他に『重心の位置』も大事です。どんな建物も重心が必ず”真ん中”になるように建てますね。重心が真ん中になるように建てる理由はもっとも崩れにくいからです。長持ちすると言い換えてもいいですね。

 会社や店舗が崩れそうになるのは重心の位置がズレている、どこかに偏ることが原因です。まぁ、言うのは簡単でその原因を探すのが大変なんですけどね。

 大きく捉えるなら、アカデミアとリュケイオンのどちらかに重心が偏っていることが考えられます。結果(止まった時間)ばかり重視して、経過(流れる時間)を軽んじれば、重心はそちらに傾くに決まっていますからね。はっきりと線引きはできませんが、
 アカデミア… 結果(止まった時間)、上層
 リュケイオン… 経過(流れる時間)、下層
このように分けてもいいです。
 問題は、なぜ、こんなに距離があるのか? ってことです。先述のように無駄に階層が多いにしても、まったく改善できないくらい現場の声が上層に届かないのはちょっと”異常”ですよ。『届かないようにしている』と捉えられても不思議ではありません。

 本来であれば、上層は現場の声を反映するにはどうするかを考えるべきなのに、反映するどころか声さえ聞く気がないように見えますね。反対に、上層からの指示に何の代案も出さず「イヤ!」とだけ言う現場も同じように問題です。それではただの”小学生”です。

 どんな人でも『一人』では完全なものは作れません。あのアインシュタインでさえ無理でした。一般相対性理論が導き出す答えの中には、一般相対性理論を破綻させる”特異点”が含まれるのです。専門家からすれば奇妙なことみたいですが、私なんかは単純に「ゲーデルの不完全性定理なんだろうな」と考えますね。一般相対性理論には『矛盾』があるから、量子力学との融合が望まれているのでしょう。

 一人で考えたり行ったりすることには必ず『矛盾』が含まれるってことです。だから”相手”が必要なのです。思考に対して行動、飛車に対して角行、ピッチャーに対してキャッチャー、No.1に対してNo.2です。
 ここで、No.2の性質には3つあります。

 α. 矛盾に気づかない
 β. 矛盾に気づくけど、何もしない
 γ. 矛盾に気づき、補填案を出す

 この3つです。
 理想は『γ』ですね。矛盾に気づいて、それを止めるのではなく、補填するので本筋はあんまり変える必要がありません。バランスを取る感じです。

 アカデミアもリュケイオンも、重心を自分のところに置こうとするから、社会が進まなくなったのです。かといって相手の方には置きたくない… ならば、『前』に置けばいいのです。前とは”未来”のことですね。
 ん? それだと平行線になって交わらなくなってしまう? いや無理です。平行線が交わらないのは”平面”においてのみです。平行線は”曲面”であれば必ずどこかで交わるのです。

 そして、ここは『地球』です。

 地球という惑星はご存知ですか? 平面しか見ない = 紙の上しか見ない人ならば知らないかもしれませんね。この惑星はちょっと”特殊”なところがありまして、地球上のどこに行っても”曲面”になるのです。いや〜びっくりですよね、まさかこんな世界が現実にあるなんて。夢なんじゃないかと思う人もいるでしょう。
 さて、

い. リュケイオンに重心をおいた『昭和』

ろ. アカデミアに重心をおいた『平成』

は. 両方を合わせた『令和』

 未来(子ども)には『2つの羽』が必要なのです。日本は30年止まっていますが、その間何もしていなかったわけではないでしょう。アカデミアはアカデミアを極め、リュケイオンはリュケイオンを極めているはずです。
 それぞれが子ども(未来)に伝えたいと考えているでしょうが、子どもに教えるときに『矛盾』があってはいけません。矛盾があると子どもが混乱してしまい、成長が遅れてしまうのです。

 組み合わせ(モジュラー)ではなく、すり合わせ(インテグラル)が必要です。


51 + 51

 1. 矛盾に気づき、補填案を出す… ジン
 2. 矛盾に気づき、私欲を満たす… パリストン

 人間の身体は”20歳”くらいで大人になるけど、脳が大人になるのは”30歳”くらいなんや。身体の成長に対して脳はそれくらい遅れをとる。元々からそうなっとるのか、リュケイオンをやらないから遅れるのかは判らんけどね。

 今の教育システムは戦後の復興のためなんよな。復興するためには早く社会に出てもらわなあかんから、できるだけ短期間で出せるように作られとる。復興が終わってからもそのままなのは、一度決めたら変えられない日本人っぽいというか… 定年が5年延びるなら、社会に出るのも5年延ばせばええのにとか思うけどね。

 実際、復興のために早く社会に出すシステムのままやったから『氷河期』みたいなのがあったんやろし。1000年以上続いてるものを変えるのを躊躇するのは判るけど、たかだか数十年のものさえ変えたくないってのはおかしいわな。

 子どもを育てることなんかそっちのけで、大人同士が小学生レベルの喧嘩しとるから、何も進まない社会になっとるのや。子どもたちは薄々それに気づいとるからな。だから、『超絶ホワイト』のところではすぐ辞めるなんてことが起こるのや。リュケイオンができないから。

 超絶ホワイトか超絶ブラックかのどっちかしかないってのも、0か100か、全か無か、みたいな考え方で『中間がない』のよね。”子育て”をしたことがないから判らんのやろな。

 子どもに片方が100丸ごと入れようとするからダメなんや。両方が『51』ずつやな。そうすると足して102になる。2つの神経回路をつなげていくには100をちょっと超えるくらいでやらんとあかんのや。んで、疲れてるな〜と思ったら休ませるとかもせなあかん。めんどいやろ? 子どもなんてめんどくさいに決まっとるがな。まるで現代の”大人たち”のようやな。

 重心、真ん中、中間… これができるようになったら『大人になった』ってことやで。

 それではまた〜。





*参考書籍*
 ・ひとはなぜ戦争をするのか アインシュタイン/フロイト 講談社学術文庫
 ・宇宙検閲官仮説 真貝寿明 講談社ブルーバックス

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