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書くも、喋るも、雨のちハレ

「七つの顔を持つ人になる」

「お仕事は何をされているんですか?」
「山田さんて、何しているのかわからない」

この手の話は聞かれ飽きたくらいだけど、七つの顔を全て知っている人は妻くらいかもしれないのだから、何している人かわからないのは当然のことだろう。今日はその辺を噛み砕いてみようかと思います。

「七つの顔を持つ人になる」と決めたのが、311、つまり2011年の東日本大震災の年でした。リーマンショックで業績不振に陥った会社とともに沈んでしまうことを恐れた僕は、2011年の年明け早々、勤めていた会社に退職を申し出ます。

会社という大きな船の乗組員となったとき、その船が沈めば漏れなく自分も沈みます。リーマンショックも震災も、現在進行形のコロナも同様に

自分じゃどうすることもできない外的な要因で人生が傾いてしまうのなら、いっそのこと、舵は自分で持ち、リスクヘッジの思考で、複数の仕事をこなす道を選んだわけです。

サラリーマンからの脱却と呼ぶと格好いいかもだけど、ひとつの仕事に依存するリスクの高さに気がついたからでした。


自分で自分の船を作る決断

と言っても、退職願いを出したときに「七つの顔を持つ人になる」と決めていたわけではありません。むしろ、そのころはまだサラリーマン根性が染み付いていて、港に着いたら、休養がてらのんびり過ごしながら、次の程よい船を待とうかな。そんな悠長な気でいました。

ところが、です。

人生、思い通りなんていかないもので、決められた退職日の4日前に大地震がやってくるわけです。僕は港に着く前に海に放り出されてしまいました。

転職市場はシャッター通りと変わり果て、原発問題もあって、日本中が止まる。サラリーマンしかしたことがなかった僕は、大しけの海原を泳ぐ術を知りません。

困った。実に困った(笑)。

とにかく、どこか陸地を探さないと溺れてしまう。ワラをもつかむ思いで!とはこういうときにマッチする言葉で、友人・知人に手当たり次第「仕事ない?」とコンタクトを取るも、「気持ちは分かるが、うちも大変で」と。

僕も必死だったけど、みんな必死だった。

「38歳、独身、無職」

ネガティブな雨が容赦なく身の上に降り注ぐのです。しかも、傘もなければ、しのぐ屋根もない。このままでは溺れてしまう中で、僕は発想を転換しました。

「新しい(他人の)船を探すのをやめよう。自分で自分の船を作ろう」


■スポーツライター・ジャーナリスト

トレイルやランニング界隈の繋がりの人は、僕の職業をこう認識していると思います。ギア・ハウツー・レースが鉄板ネタのDoスポーツにあって、それら三種の神器をあまり取り扱わないライターとしてなんとか生き延びてきています(笑)。

最高強度を持った仏教の行者とスポーツという荒業の話にまとめた1300年で2人のみ! 千日回峰行満行の大阿闍梨 ~塩沼亮潤さん~はスマッシュヒットを遂げ、今も読まれ続けていると伝え聞きます。

塩沼さんのおつきの方によると、この記事を読んだドイツやアメリカから取材依頼が来たそうで、新しい接点を作れた記事だったと喜ばれました。

他に、『地方創生×スポーツ』『歴史×スポーツ』といった新しい視点と切り口が得意で、近年では、大河の主役・明智光秀に便乗した歴史物語をスポーツ目線で切り取った2本は週間アクセス1位を獲得したらしく、特別手当てを頂きました。

土木×スポーツ』という異色コラボにも挑戦中です。

自ら企画して取材を重ねることもあれば、編集部から依頼されることもあり、クレジットを入れない広告記事もよくあって、意外に思われるがテック系やクリエイティブ系の分野は得意でもあるのです。

あと、企業HPなどで経営者インタビューをする。なんてものから、開発秘話を紐解く的なものも分野問わず得意な領域です。

スポーツは競技だけでなく、その裏側にドラマがあり、表には見えないネタの宝庫です。また、チームスポーツになれば、コーチングの要素やチームビルディング、人材育成といった側面もあり、他の分野への応用が効きます。

そして何よりどの記事であれ共通することが「人に話を聞く」ということです。必要なスキルの第一候補は「聞く力=ヒアリング力」に尽きます。限られた取材時間の中で心を開いてもらう"コミュニケーション能力"が培われます。


■デザイン会社のプロデューサー

サラリーマン時代、皮革メーカーの企画やマーケティングという名の商品開発といった"物づくり畑"を歩んでいた、その延長線上にあるのがこの仕事になります。

今の制作物は多岐に渡ります。

グラフィックを中心にした紙もの全般(カタログとか)から、リニューアル系のWebもの、SNSと連動させたキャンペーン企画、そのために必要な動画やスチールの撮影などなど、クリエイティブ周りであればなんでもござれ!

名こそプロデューサーという格好良さげだけど、平くと言うと企画営業。仕事を作り、利益を生む役割を担う。なので、僕はクリエイティブな作業はほぼやりません。少々、ディレクションする程度です。

第一、僕のPCにはフォトショもイラレも入っていません(笑)。

主なクライアントは、ASICS、HOKA ONE ONEといったスポーツ・アウトドア系が多く、スポーツライターとしての知見が活かせて親和性も高く、自分らしい仕事だと思っています。

また、カスタムホイールや靴メーカーとの付き合いもあって、サラリーマン時代の"物づくり畑"の経験がクライアントとの関係構築に生きています。

何を作るか?といった商品開発には手を出しませんが、どう売るか?という出口戦略とそれに伴うクリエティブを提案することは大の得意分野と言えます。

一方で、建設・土木系とのお付き合いもチラホラと。社会インフラを支える皆さんをより多くの人に知ってもらうために汗をかかせて頂いています。実は、建築の学校を出ていて、4年ほどながら設計事務所で働いていた経験がありまして

建築家への夢は挫折をしましたけど、当時の事務所の代表であり、大建築家の清家清先生と過ごした日々は宝物で、先生との会話は人生の金言集として今も生き続けています。

自分で命を絶つこと以外、人生に取り返しのつかないことは何もない。いつでもやり直せるのが人生だよ

建築から離れて違う世界に飛び込むことになったときだけでなく、人生の節目として決断しなければならないときに必ず浮かぶ言葉として、いつも背中を押してもらっています。


■ラジオパーソナリティー・MC

そんな建築時代の経験が生きたのが(と言っても20年以上前だけど)ラジオパーソナリティーでした。

東京の渋谷区にできた新しいコミュニティFM「渋谷のラジオ」が開局する数ヶ月前、局の編成を決める制作部長に友人が就任したことで、番組をひとつ持つことになります。それが『渋谷の工事』。

2016年当時から再開発著しい渋谷の工事現場の様子など、"世界初!?"の土木系ラジオ番組として開局日からスタートした『渋谷の工事』は当初、1クール(3ヵ月)限定を想定していました。こんなマニアックなテーマが長く続くとは思わなかったからです。

ところが、制作部長が退任する2020年3月末まで丸4年間、計208回も続く局を代表する長寿番組になってしまう。

人前で顔を晒して話すことが好きじゃない僕にとって、ラジオはうってつけでした。そして、話し方というものを強く意識するようになり、毎週生放送かつ台本なしという無茶な設定を200回以上経験したことが、僕のMC力をすこぶる鍛えました。

突然マイクを向けられようと、15分ほど場をつないでくれ!とリクエストされようと、なんだったらノーテーマで1時間番組を組み立てることも恐れないほどに。

2020年3月末の放送でラジオパーソナリティーの任を降りましたが、イベントの司会・進行、プレゼンター役などMC業務という新しい"顔"が生まれていて、上で紹介したデザイン会社のプロデューサーとして、クライアントにプレゼンするときも大いに役立っています。

以前、1時間前に突然資料を渡され、プレゼン役だけお願いされたことがありました。他人が作った資料って説明しづらいものだけど、ワンポイントリリーフばりに。


■トレイルランガイド

2011年から続けている"顔"にトレイルランニングのガイドがあります。

主に初心者を対象に、このスポーツの「いろはのい」を伝える役というか、トレイルランニングの魅力を走ってみて肌で感じてもらう仕事です。

きっかけはDoスポーツが盛んになってきたタイミングで友人がスポーツイベント会社を立ち上げ、その時にガイド役を頼まれたことがスタートでした。

これまで150回近く、延べ900人ほどの参加者を数えます。トップランナーでもなく、有名講師でもない僕ながら数をこなすことで、参加者の質、スキル、スタイル、ファッション、ラン歴などなど、業界の変遷が見えて興味深いです。

それをスポーツライターとして企画に転嫁させることもあったり、メーカーと一緒に新しいプロモーションを考える材料にすることもあったりで、また、ラジオパーソナリティを通じて培った「伝えるスキル」もガイドに生きています。

こうして、こっちの"顔"とあっちの"顔"が好循環に連動しています。

そして何より、走る機会を生み出すので、ガイド業は自分の健康にも寄与するわけで、コロナ禍ではイベントは自粛しましたが、2021年は再開できることを祈っています。


■編集者

ライターと編集の仕事に境目があるのか?あるいは、編集とプロデューサーに親和性はあるのか?そんなことを最近はよく考えます。

編集者とは、企画を立て、仕事を依頼し、収支を計算し、依頼した文章や写真などを確認して校了させます。

仕事の内容によりますが、ライター業をしながら、これらはよくやりますし、雑誌であろうがWEBであろうが、誌面構成を考えることは日常的で、2年ほど前から少しずつ編集者の仕事を増やしています。

また、編集者はデザインや宣伝用コピーのアイデアを練り、商品ができ上がったら、それを売るための戦略も考えます。これはデザイン会社のプロデューサー業務に内包されていて、仕事の近さを感じます。

そうそう、ライターとして様々な編集者とお仕事をご一緒していくと、その個性や力量なども垣間見ることがあって、こっそり勉強させてもらっています(笑)。

補足として、メディアには広告を取ってくる営業があります。

僕はメーカーとの付き合いもあることから、広告案件を持ち込み(広告費のいくらかを営業feeとしてバック)、自分で記事を書き(原稿代)、クリエイティブメンのディレクションもする(制作代)という、3面体制で案件化することも、たまにあります。


■公益社団法人の委員

多岐に(?)渡って仕事をしていると、人脈の繋がりも多方面になっていきます。そんな流れからお声をかけてもらったのが、某公益社団法人のマーケティング委員会の委員です。

40を超すオリンピック種目の一つを統括する団体でもあって、博報堂系の友人に「オリンピックを中から体験したい」と相談したことが始まりでした。

それに加えて、公益社団法人土木学会の中にある「土木リテラシー促進グループ」の委員も務めさせて頂いております。

ラジオ『渋谷の工事』で知り合った土木学会の方々とのご縁が新しい形で繋がっていて、自分のキャリアに"学会"という重石を加えることになりました。

いわゆる業界団体というものに中から触れるというのは貴重な機会であり、まして忖度する人がいない"部外者"という立場が、気を楽にさせてくれます。


■ユーチューバー

2020年から始めた新しい"顔"です。本当は誰かにやらせて、自分がやるつもりはなかったんです。

トレイルランニングの仕事をしていて、新しい表現手段を探していたときに「誰かやればいいのに!」と妄想し始めたのがきっかけです。息のいい若手にやらせて、自分はプロデュース側で仕掛けようと思っていたんです。

2019年から方々に声をかけるも「自分でやったら?」と話が変化し、じゃあ、やる!と決めてしまって始めました。

自分がユーチューバーになるなんて思っていなかったけれど、その奮闘記?的な書き残しておくシリーズ「YOUTUBERへの道」をnoteで展開していて

特に「YouTuberへの道〜1ヶ月経ってアナリティクスを分析してみた」は今でもなぜがアクセスが止まらないです。理由がわからない...

・総再生時間:年間で4,000時間以上
・チャンネル登録者数:1,000人以上
という2つの条件をクリアして収益化できるようになって半年くらいですが、1万円くらいの収益です。

最近は特に編集する時間が全くないため、コンテンツを更新できておらず(未編集ものが10本くらい溜まっている!)、誰か編集を手伝ってくれないかなぁ.......と真剣に思っています。


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ということで、こうして自分で書きながら一つを極めることをしない自分の働き方が不思議でなりません。でも、自分の中で全てが繋がっているんですよね。だから矛盾というか破綻なく生きています(笑)。

最近は副業解禁の話も見られ、コロナ禍において働き方や生き方に影響を受けた人も多かったと思います。僕が10年ほど前に感じた「ひとつの仕事に依存するリスクの高さ」を痛感している人もいると思います。

外的な要因で人生が傾いてしまわないように人生という舵は自分で持ち、複数の仕事をこなすことでリスクヘッジになる働き方は、変化の激しい時代を乗り切るアイデアとして一理ある気がします。

今は個人事業主として青色申告を毎年のようにしていて、おかげで確定申告に強くなったり、財務への関心が高まりました。法人化するくらい稼ぎたいなと思う今日この頃です。

ただ、"稼ぐ"って一朝一夕にならないものです。常に鮮度高いアンテナを張って、ごにょごにょ考える前に行動することを心がけて、人を大切にして、前向きに生きていきたいなと思うばかりです。

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