フェルナンダ・マシェール〜父から学んだロールモデルを目指すマルチウーマン
トニーとライアンに続き、PCの断捨離を行っているときに、ドライブの奥深くで発見された昔の初稿をnoteに残しておくシリーズです。当時の記憶も頼りに加筆修正して再掲します。
(もちろん、情報は2014年当時のもので、近年の彼女の動向とは違うものであることをあらかじめご承知おきください)
トニーこと、アントン・クルピチカ編はこちらです。
ライアンこと、ライアン・サンデス編はこちらです。
前段
彼女にインタビューをすることになったのは、ちょっとした経緯があった。トニーやライアンはすでに決まっていたのだけど、女性が欲しいよね!と編集者と話になり、人選が始まった。
僕からは2名を推薦。その中にフェルナンダが入っていたのだけど、当初、編集者は別の人を押していた。そこで、僕の2つの理由でフェルナンダを推し、結果的に彼女へのインタビューが採用されることになった。
その2つの理由の解説はおいおいするとして、東京・渋谷にあるGoldwinの本社でインタビューは始まるわけだが、椅子にゆったり腰掛ける彼女をひと目見て、同行した編集者がこっそり私に耳打ちしてきた。
山田さんが推した理由が分かった気がします。いいですね、彼女。
フェルナンダと日本の意外な接点
2012年第1回UTMFで初来日したフェルナンダは、「臀部を痛めていたからSTYにしたの」ととぼけながらきっちりと女子で優勝している。
その2012年はたった3日間というとても短い日本滞在だった中で、一緒に走ったランナーや、運営の人たち、関わった人たち全てが良くしてくれて、とてもいい印象を残したという。
日本は、食べ物が美味しいし、歴史(伝統)を大事にしつつ、将来に向けた現代的なところ、テクノロジーの革新性を持っているところが素晴らしいですね。伝統と先進性の融合している国はとても魅力的にうつります。
フェルナンダは、2009年頃にスペインに移り住んだブラジル生まれのブラジル育ちだ。刺身、餃子、おにぎりが大好きだそうで、今回の来日では、自分で寿司を握るほど、日本とのふれあい期間は長い。今回はたっぷり時間を作って、2週間も滞在して満喫していた。
実は、10年前ブラジルにいたとき、現地の日本食レストランのオーナーと仲良くなって、私をスポンサードしてくれていたんです。いつも好きなだけ日本食を食べさせてくれるんですよ!凄く美味しくてハッピーなことでした。
弁護士、スポーツ栄養士、経営者、そしてプロアスリート
普段のレース以外の時は、どう過ごしているのか聞いてみると、その返答に一同は驚いてしまう。
プロのランナーであると同時に、スポーツ栄養士の仕事と、ブラジルで輸入代理店を経営しています。なので、レース以外の時は忙しくしているんですよ(笑)
話を掘り下げると、彼女は4カ国語を操ることが分かる。さらに今の仕事に就く前、フェルナンダは環境問題を扱うNGOで弁護士として働いていた。この時点でこの女性は何者なんだ !?という空気に包まれたのを覚えている。
自然保護に関心があって、弁護士を選んだんです。その後、スペインに移り住んだわけですけど、経済状況が良くない中、そのNGOも経営が難しくなりました。弁護士の仕事は大都市の方が仕事がありますね。
でも、自然が好きな私は、都会で暮らすよりも自然が豊かな所に住みたかったんです。そこで、場所を選ばない仕事として、スポーツ栄養士の道を選んだわけでして、プロアスリートを目指していたわけではないんです。
弁護士の肩書をあっさり捨てた彼女だが、初めてのトレイル体験は、2005年の25歳の時。場所は、ニュージーランドだった。ハーフマラソンの大会に出たついでにトレイルに連れて行ってもらったことがきっかけだったらしい。
自然の中にいるときが一番しっくりきますね。自然の中にいたいから走っているようなもんです。自分の精神のバランスが保てますし、大自然を前にすると自分は何者でもないことを痛感させられます。
山にしても海にしても自然のパワーは計り知れないものですから、尊重すべきものでしょ? それと同時に、自分をエネルギッシュにしてくれる存在でもあります。人間も自然の一部だと感じることで、共存しようとするそのバランスが大切だと思うんです。
日本人が抱く”山は(自然は)神様の集まりだ”という考え方にとても共感出来ます。宗教からもらう力と、山(自然)からもらう力に違いはないと思いますし、結局どちらも自分に跳ね返ってくるものですよね。
マルチウーマンの源泉
小さい頃、将来の夢はっと聞かれると、世界中を旅したいと答えていたフェルナンダにとって、レースを通じて世界各国を回る事ができ、大好きな自然と多くの人と触れ合えるトレイルランニングは欠かせないものとなっている。
2012年、熊野古道のように世界でも珍しい“道の世界遺産”サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路を彼女は走破する。ピレネー山脈から続く900kmをどうして走ろうと思ったのだろうか?
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