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ショートショート 「守り人」

 沙也加の記事が初めて新聞に載ったのは、小学校4年生の夏休みだった。

「沙也加、明後日なんだけどね、南西新聞の記者さんが沙也加の取材に来たいんだって」
 かかってきた電話に応対しながら、やけに自分の方をチラチラと見てくるなと不思議に思っていた沙也加に、受話器を置いた母親は満面の笑みで話しかけてきた。

「えー、何で」

「ほら、校庭のあの木のことですって。沙也加が毎週欠かさず水をあげている。そのことを記事にしたいんですって」

「うそでしょう。大体何で記者さんがそんなこと知ってるのよ」

「母さんも最初はいたずら電話か何かと思ったんだけどね。でも、本当みたいよ。三橋先生の紹介だって。どうも三橋先生がうちの学校にこんな子がいますって新聞社に手紙を出したみたいなの。だからいいでしょう、母さん、もう引き受けちゃったんだから」

 次の日、沙也加は母親に街中のデパートに連れて行かれ、素敵なワンピースとピカピカの靴、そしてかわいいリボンの付いた麦わら帽子を買ってもらった。
 どのお店でも店員さんがうんざりするぐらいの時間をかけ、母親と二人で商品をとっかえひっかえ試着した時間は、沙也加をとても幸せな気分にしてくれた。

 取材当日、母親に連れられて指定された学校の校庭に着くと新聞記者の他に担任の三橋先生、そして校長先生までもが待っていた。

「沙也加さん、勝手にごめんなさいね。でも、先生、ずっと前から気付いていたし、それからもずっと頑張って続けているでしょう、本当に凄いなあと思って。みんなにも知ってもらいたいって南西新聞さんに投書しちゃったの」

「私も、このことは三橋先生から聞いて前々から知っていたよ。君みたいな生徒がいるってことを校長としてもずっと誇りに思っていたんだ。今日のことは、三橋先生や記者さんが私にも連絡をくれてね、居ても立っても居られなくてこうして来ちゃったんだよ」

 依頼されるままに木に水をあげているポーズをする沙也加を記者が撮影することから始まった。
 昨日買ってもらったばかりのお気に入りの洋服に身を包み、大きなカメラのレンズを向けられてどうしてそんなにいっぱい撮る必要があるの、と不思議に思うぐらい何枚も写真を撮られた。
 沙也加は恥ずかしくもあったが、決して嫌な気分ではなかった。

 その後、入学以来初めて入った校長室の大きなソファーで記者から取材を受けた。
 
 昨年の一学期の終わり頃、授業参観が終わって母と一緒に下校する途中で母が校庭の片隅で今にも倒れそうになっている若木を見つけたこと。
「あら、かわいそうに。大丈夫かしら」との母の声に自分もその若木に気づいたこと。
 避暑地としても知られ、日本の中でも高地に属するこの地域でも夏の陽射しは厳しく、沙也加の目にはその若木が今にも干乾びてしまいそうなくらい弱々しく映ったこと。
 何とかしてあげたいという気持ちになったこと。
 家に帰り着くと一人で校庭に引き返し、家から持ち出したペットボトルに入れた水をその若木にかけたのが始まりだったこと。
 小学校は、土曜日や日曜日、そして夏休みなどの長期休暇の間も校庭を開放しているので、土曜日か日曜日のどちらかは必ずその木に水をあげに学校に来ていること。
 特に夏休みの間は、家族で旅行したり祖父母の家に泊まりに行ったりしない限り、毎日のように水をあげに来ていることなどを沙也加は記者に話した。

 母親、三橋先生、校長先生といった大人がいる中で、記者が沙也加にばかり質問をし、沙也加の話す言葉を一生懸命ノートにメモしている様子が何だか不思議で、現実ではないように沙也加には思えた。

 沙也加にとって、まさに夢のような2日間であった。

 もちろん夢などではない証拠に、数日後にはあの時の写真と記事が思ったよりも結構大きく、それも第一面に載った新聞が沙也加の家に配達された。
 その日の沙也加の家の電話は鳴っていない時間の方が少ないと思えるほどであった。

「おめでとう、新聞見たよ。こっちでも載ってるってことは全国版なんだね、すごいよ。しばらく会っていなかったけど、沙也加ちゃん大きくなったね。ほらっ、近頃は年賀状のやり取りぐらいだしさ、どうだい、今度こっちの方に来ることがあったら是非うちに寄っていってよ。大歓迎だからさ」

「新聞出てたね、すごーい。沙也加の写真が載っててもうびっくりしちゃった。お母さんが気づいたんだよ、この子、うちに遊びに来たことある子じゃないのって。ねえ、夏休み中にまた会おうよ。お父さんもお母さんもまたうちに遊びに来てもらいなさいって言ってるし」

「お久しぶりです。覚えてますか、たんぽぽ組で沙也加ちゃんと一緒だった そら の母です。新聞記事の写真見て、あの沙也加ちゃんだってすぐ分かって。うちの子、私立に行ったでしょう、だから沙也加ちゃんとは小学校別々になっちゃって。でも、ほら、幼稚園の時さ、沙也加ちゃん、そらとすごく仲良くしてくれてたでしょう。そらも会いたいって言ってるし。ねぇ、近いうちでお昼空いている日はないかしら、久しぶりに親子ランチなんてどうかしらと思って」

 親戚中から、そして学校の友達やママ友・パパ友、幼稚園の時まで遡ってのママ友など沢山の人からお祝いの電話やメールをもらった。両親の祖父母のどちらからもご祝儀まで届いた。

 それからしばらくの間は近所を歩くだけでも沙也加はよく声をかけられた。
「ねぇ、ちょっと。この前、新聞に載っていた子でしょう、ああ、やっぱりそうだね。偉いねー、きっといいことがあるよ。情けは人の為ならずって言ってね。あっ、人じゃなくて木だったね、あははっ。とにかくさ、良いことを一生懸命にやっていれば必ずその人は報われるんだよ。ちゃんと神様が見て下さっているんだから。本当だよ」

 夏休みが終わり2学期の始業式の日、登校して自分の机に着いた途端、沙也加は仲の良い友達に机を囲まれた。
 新聞記事のことで質問攻めにあった後、夏休みに何処何処に行ってきたんだとそのお土産などをいっぱいもらった。親が持たせたのだという。
 
「沙也加さん、ちょっと前に来てくれる」
 朝のクラス会では三橋先生が黒板の前に沙也加を呼んでクラスのみんなに新聞記事のことを話してくれた。そして、新聞から切り取った沙也加の記事を教室の後ろの壁にきれいに貼ってくれた。 

 始業式では流石に全校生徒の前に呼ばれることはなかったが、校長先生が挨拶の中で沙也加の名前をあげながら新聞記事のことを誇らしく紹介した。
 今はクラスが違うが、これまでに同じクラスになったことがある同じ学年の子達が一斉に羨望の眼差しで沙也加の方を振り向いた。
 沙也加は面映ゆい思いをしながらもやはり嫌な気分ではなかった。

 しかし、このことは沙也加にとって良いことばかりという訳にはいかなかった。

 同じクラスの女子グループの中で最大勢力の子達が、少人数の大人しい女子グループに属してこれまで全く眼中になかった沙也加のことを露骨に敵視し始めたのだ。

 沙也加の水やり行為は先生のご機嫌取りで目立ちたいためだけにやっていることだ、本当は一ヵ月に一回位しか水をやっていないなどの悪口を陰で言っているらしく、それらが日に日に露骨になってきて沙也加の耳にも入るようになってきた。
 沙也加は段々学校に行くのが辛くなってきて、もう限界だと思い始めた頃にその事件は起きた。
 
 沙也加が登校すると、教室の後ろに人だかりができていた。
 いつものように後ろの棚にランドセルを置こうと近づいて行くと、その人だかりが静かに割れていき、そのため、沙也加はいやが上にも後ろの壁に目が行った。

 無惨に破られた新聞記事がそこにあった。
 画鋲にかろうじて残り微妙に震えているあわれな紙片を見た途端、沙也加は膝から崩れ落ちていった。
 仲の良い子達は心配顔で、そして例のグループの子達の多くがニヤニヤしながら遠巻きに見ている中を沙也加は泣きじゃくりながらも何とか机までたどり着いた。

 教室に入って来た三橋先生はすぐに異変に気がつくと沙也加を抱きかかえるように保健室まで連れて行き、教室に戻ってくるなり午前中の時間割を全てホームルームに変えると宣言した。

 この日の三橋先生の怒りようは凄まじかった。
 犯人探しまではしなかったものの、こうした行為がいかに卑劣であるかをクラス全員に延々と訴え続けた。
 三橋先生には沙也加のことを面白く思っていないグループについてのあらかたの見当はついていたようで、あからさまではないにしろクラスの誰もが分かる形でそのグループを厳しく避難した。
 
 沙也加は、保健室で少し休んだ後、結局早退していた。
 「無理と思ったら、教室に入らずそのまますぐ帰ってきていいから」という母親の言葉に背中を押され、翌朝は勇気を振り絞って登校した。

 恐る恐る教室のドアを開けるとクラス内の空気が変わっていた。
 仲の良い子達はもちろん、他の女子グループ、あの最大グループの子達までもが沙也加に優しい言葉をかけてくれるなど気を使ってくれたのだった。

 代わりに、あのグループのリーダーだった子が明らかにクラスで浮いた存在になっていた。
 彼女はその週から休みがちとなり、翌週から卒業するまで学校に来ることはなかった。そして別の学区の中学校に入学したらしいと、沙也加は後に聞いた。

 この出来事は、沙也加に、もしかすると木の精というものがいるかもという気にさせることとなった。

 なんとなくではあるが、木には1本1本に木の精というものがいて、木に優しくした人には木の精がその人を守ったり願いを叶えてくれたりするのではなかろうか。
 沙也加がいつも水をあげている、あの木の 木の精 が今回のことから沙也加を守ってくれたのではと。

 沙也加のあの木への水やりのことは、何年かに一度の割合でその後もマスコミに取り上げられ続けた。
 
 中学校でも沙也加は先生達から特別な目で見られているように感じることが多かった。
 高校入試も、この地域では公立高校よりも人気がある全国的に文武両道で知られた私立高校に授業料免除の特待枠で入学することができた。
 大学入試では、在京の有名大学でも自信を持って学校推薦を出せると高校の進路指導教諭は言ってくれ、実際、在京の大学側から特待生の話もいくつか来ていた。
 しかし、これまでの幸運は木の精のおかげであると半ば信じだしていた沙也加には地元を離れること、つまり水やりを中断することなどは考えられず、結局地元の大学に推薦入学したのだった。
 
 沙也加の善行がマスコミに度々取り上げられた理由の一つには、沙也加がいわゆる見目麗しい少女であったからということを否定できない。

 人並み以上の容姿を持つ沙也加は異性の興味を引き付けた。高校・大学時代には男子生徒から次々に告白され交際を求められた。
 憎からず思う人とお付き合いしてみたこともあったが、どうしても周りの女子生徒達のように恋人に夢中になるということが出来なかった。そのためどの交際も長続きをしたことはなかった。
 それでも沙也加の気持ちは常に満ち足りていた。あの木に献身的に奉仕する精神こそが沙也加に心の安定をもたらしていたのだ
 
 就職活動では、大学の薦めもあり地元の就職先として一番人気の電力会社の採用試験を受けた。

 面接では、男女の区別なく社員を登用していることを誇らしげに説く面接官が管轄地域はもちろんのこと、東京や大阪支店、それに海外駐在所勤務までの転勤についての了解を求めてきたことから、地元を離れたくないと言い張る沙也加と言い合いとなり不穏な空気のまま終了してしまった。
 優先順位1位の大学推薦状をもらっていたために採用試験の経過報告をした大学の就職課職員がどんなにうろたえようが、沙也加には一片の悔いもなかった。
 そして、結果、沙也加の手元に電力会社からの採用通知が届いたのであった。

 電力会社でも同僚の男性達からの交際の申し出がひっきりなしにあった。  
 しかし、転勤の可能性がある同僚達には沙也加はこれっぽっちも興味がなかった。

 そんな沙也加があっさりと求婚を受け入れ専業主婦となった。
 沙也加の評判を知った地元の開業医が、小学校の校長先生を通してお見合いを申し込んできたのだ。
 その病院は沙也加もよく知っている病院で、沙也加の実家よりもさらに小学校に近かった。
 これまでに何度もその前を通って知っていた地域医療に根ざした個人病院で、その三代目の若先生つまりその病院の跡取り息子との結婚だった。
 沙也加には地元で暮らし続けられる可能性と小学校との距離が最優先事項であった。

 沙也加は相変わらず毎週あの若木(もう若木とは呼べず、しっかり根が張った逞しい幹を持つ立派な木となっていたが)に水をやり続けていた。
 沙也加のことは小学校の歴代校長の申し送り事項となっていたし、在校生の健康診断の依頼先でもある地元開業医の妻君となった沙也加は、今や地元の名士でもあり校内立ち入りを小学校側が断ることなどあろうはずがなかった。

 沙也加としては決して愛のある結婚生活とは言えなかったが、一人娘が生まれると母親としての幸せを噛みしめた。

 沙也加の一人娘は大きな病気にかかることもなく、あの木と同様すくすくと逞しく成長していった。
 あの木と愛娘、両者の健やかな成長こそが沙也加の幸せであり、これまでの幸運に恵まれた人生はあの木の精のお陰だと沙也加はつくづく思うようになっていった。

 あの木に献身的に水をやり続けている限り、自分も自分が愛する娘も木の精に守られて幸運でいることができる。
 決して多くを望んではいけないことは分かっている。しかし、病院が経営困難に陥ったり、娘が事件・事故に巻き込まれたりなど自分の家系に重大な難局がもし訪れたとしても、あの木の精が奇跡を起こしてくれるに違いないと沙也加は確信していった。
 
 月日が流れ、沙也加にも老いが訪れた。
 その衰えが足腰に出始めた頃、沙也加は決断した。

 嫁いでも沙也加の自宅近くに住んでおり、やはり一人娘の母親となっていた娘を沙也加は自宅に呼んだ。

「今日は大事な話があるの。しっかり聞いて頂戴。お母さんの人生は本当に幸せだったわ。あなたもかわいい娘に恵まれて、今、充分に幸せに思っているわよね。あなた、自分は運がいいと思ったことはない、あるでしょう。でもね、私達が、運良く幸せに過ごせているのには秘密があるの。誰にも言っちゃだめよ。私が小学校の校庭のあの木にずっと水をやり続けていることは知ってるわよね」

「もちろんよ。母さん、それで有名人になった訳じゃない」

「そうね。でも有名になることなんて全然どうでもいいことよ。それよりももっと大事なことがあるの」

「いったいどうしたのよ、母さん」

「私にも困った時や苦しい時があったわ。でもね、いつも私を救ってくれて良い方向に人生を向けてくれたのは、あの木のお陰なの。あなたが今、幸せで居られることもね。あの木に水をやり続けている限り私達の幸せが続くのよ。そして何か大きな困ったことがあった時には、必ず木の精が助けてくれるの。だから、あの水やりは続けなくちゃいけないの」

「木の精って。お母さん、本気なの」

「本気も本気、もちろん本気よ。だから、私の後をお願いしたいの。これからはあの木にあなたが水をあげるのよ。いいえ、やっぱりこれはお願いじゃないわ。私達。あなたも、そしてあなたの娘もよ。私達の幸せがこれからもずっと続くためには絶対にしなきゃいけないことなの」

 ついには、沙也加の娘は沙也加に水やりを引き受けると約束させられた。
 
 沙也加の娘は、自宅に戻りながらこう思い出していた。
 母が何十年もやってきたことを絶やすのは確かにもったいない気がする。生命を有する木であるが故に、木の精の話はそこいらへんの神社仏閣のお守りやお札よりもご利益がありそうな気がする。母の言う木の精の存在を信じてみるというのも良いかもしれない。
 あの木が枯れるまで、いや、あの木を枯らしてはいけない。あの木が枯れる時は、我が家の家系に大変な災いが及ぶかもしれない。いや、きっとそうだ。
 ああ、多分、自分は母の後を引き継いで一生水やりを続けることになるだろう。そして、自分が老いた時には娘にその役目を託すことに。

 沙也加に代わって、娘が水やりをし始めて一年半、沙也加は帰らぬ人となった。

 その日の深夜、人っ子一人いない真っ暗な小学校の校庭で木の葉がかすれる音とも誰かのささやき声とも分からない音がした。

「おーい、若いの。命の恩人どころか、その後もあれだけ親切にしてもらったんだ。流石に生き返らすことは無理じゃろうが、あの人の娘に宝くじの1等を当ててあげるとか、いい加減わしらに許された一生に一度の魔法を使ってあげたらどうなんだ」

「ヘイヘイ、もしかしてミーに話しかけてるのかい。ユーは木の精の掟を忘れちまったんかい。我々の話し声を人間に聞かれてしまうのはノーグッドなんだぜ。俺たちの神様が怒って何されるかしらねーぞ」

「そんなことは分かっとるわい。お前さんのあまりの無慈悲さに見かねてのことじゃ。それにわしはもう500歳、長くはないんじゃ、天罰など恐くはなくなったわい。あのな、わしがまだ若い頃、たまたま通りかかった油売り商人がおっての、わしに登って枝を折ったりの悪さをしていた村の悪童から助けてもらったことがあったんじゃ、で、そいつを念願どおり侍にしてやったんじゃ。そいつはうまく出世してのう、一国一城の大名にまでなったんじゃ。木の精ってのはな、こういうふうに恩はきちんと返すもんじゃ」
 
「ヘイ、オールドマンさんよ、マジで言ってるのかよ。ミーがせっかくの金づる、おっと水づるを逃すと思ってるのか。宝くじなんか当ててやったら、浮かれてしまって、あいつは水やりを止めてしまうに決まってるだろ。それにユーは知らねえだろうから教えてやるが、その魔法はとっくに使ってるのさ。え、何かって、子宝さ。あいつの子孫はずっと子宝に恵まれ続けるっていう魔法をかけてやったのさ。これからもミーが生きてる間はずっとあいつの子孫がミーに水をくれるっていうことさ」

「ほー、それは、それは。ところでお前さん、外国生まれだな。わしと同じマツ科のようじゃが、どうりでのう、ガタイが良くてまだまだ大きくなりそうじゃ。もしかしたら、わしより長生きするかもしれんな。そうじゃ冥土の土産にお前さんの名前を聞かせてくれんかね」

「ミーかい。まあ、人間達の間では『ブリスルコーンパイン』と呼ばれているよ」

林野庁HP(北海道森林管理局 知床森林生態系保全センター 森林Q&A)から抜粋
https://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/siretoko/kyositu/qanda/q3a.html

環境省HP(国際的な森林保全対策)から抜粋
https://www.env.go.jp/nature/shinrin/index_1_1.html