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会社経営をしていると、「人に優しくすること」の本質を深く考えさせられる

ジェフ・ベゾスが祖母に放った「残酷すぎる一言」には、ある一言で祖母を泣かせてしまった、という自らの苦い経験が語られています。

喫煙家の祖母に対して、1日に吸うタバコの本数とタバコ1本につき何回吸うかなど、およその数を幼い頃のジョブズは計算。そして鼻高々に「ひと吸いで2分なら、もう寿命が9年縮んだね!」と伝えたところ、祖母がわっと泣き出したのです。

するといつも寡黙な祖父が、

「ジェフ、賢いよりも優しいほうが難しいんだ。いつかおまえにもわかるときがくる」

と諭したという話です。この経験からベゾスは、才能と選択の違いについて説いています。

頭のよさは持って生まれた才能です。優しさは選択です。才能は簡単です。生まれついてのものですから。選択は難しい。うっかりしていると才能に溺れてしまいます。そうなると、おそらく選択を誤ってしまうでしょう。

みなさんがこれから誇りに思うのは、才能でしょうか、それとも選択でしょうか?

みなさんが80歳になり、静かに過去を振り返り、自分にしかわからない人生の物語を自分に向けて語るとしましょう。そのとき、あなたの人生を最も適切かつ端的に表すのは、あなたが行ってきた選択の数々にほかなりません私たちはつまるところ、自分の選択からできているのです

目の前の人に、どのように接するのか。ただ事実を突きつけることが、正論を振りかざすことが良いことなのか。ただ単に相手を追い込んでいるだけになっていないか。

相手の立場や状況を想像できているのだろうか。

目の前で起こる事象を、どのように捉えどのように判断するのか。その選択次第で、人生は変化します。そして周りに与える影響も変わります。

それを改めて考えさせられる、ベゾスの言葉でした。

組織の中での「人に優しくする」とは

会社経営をしていると、似たようなことを考えさせられることがあります。組織や人と向き合うなかで、「人に優しくする」とは一体何を指すのか。

人に優しくするの定義は、人によって様々かもしれませんが、辞書通りの意味では

- 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかであること。
- 人に悪い影響を与えないこと。

とあります。

これを会社組織のなかで考えてみると、「人に優しくする」は、その人の可能性を見限らないことだと考えています。可能性を見限らないとは、その人にレッテルを貼らず、ちゃんと向き合い、傾聴し、人として尊重すること。挑戦できる環境を整えることなどに分解できます。

悪い影響を与えるものを排除するイメージです。

子育てでも、似たようなことを考えることがあります。自分は子どもに最善の環境を提供できているのだろうか。もしかしたら、子どもが本来望むような状況はつくれていないのかもしれません。

それでも、世界中の誰よりも子どもの可能性を信じてあげる親でありたい。そう感じています。

周りが可能性を信じて接すると、良い結果が生まれる

教育心理学における心理的行動の1つに、ピグマリオン効果というものがあります。これは、教育心理学者ロバート・ローゼンタールとレノール・ヤコブソンの研究結果で、教師の期待によって学習者の成績が向上するというものです。

年度始めに、小学校の全校生徒にテストを行いました。

ある教師に、”何人かの生徒”について「彼らはずば抜けてテストの点数が高かった。才能が開花することは確実だろう。」と伝えました。実際、その”何人かの生徒”は、ランダムに選んだだけです。他の生徒より点数が秀でていた訳ではありません。

そして年度末、再び全校生徒にテストを行いました。

するとランダムに選ばれた”何人かの生徒”は、他の生徒と比較して、得点が極端に増加していました。

これは全く別の実験で会社組織でも行われたことがあり、同じようにランダムに選ばれた人のパフォーマンスが上がりました。つまり、「できる」とラベルづけされた人は、「できる」が実現するように周囲から特別扱いされます。

「できる」というラベル付けをされた人に対して、周囲はその人がふさわしい結果を出すよう、丁寧なコミュニケーションを取ったり、仕事の便宜を図ったり、有益な情報を渡したりなどの行動を取りやすくなります。

メンバーの可能性を本人以上に信じてあげることにより、結果としてパフォーマンスや生産性向上に繋がります

ちなみに、教師が期待しないことによって学習者の成績が下がることはゴーレム効果と呼ばれています。経営者や上司が可能性を見限り、変なレッテルを貼ることにより、メンバーはゴーレム化してしまいます。

自分で自分の可能性を見限らないこと

人生には、失敗はつきものです。

人は完璧な存在ではないため、失敗したことがない人はいません。卓越した経営者だと言われている人でさえも、事業での失敗は数多くしています。メッシなどの超一流選手でも、シュートミスはします。大谷翔平選手も打てないときはあります。

だからもし、同じ過ちをしてしまったり、努力しても中々成長できない、目標が達成できないことがあったとしても、決して自分の可能性を見限らないことです。

本質的には先ほどと同じで、自分の可能性を信じることにより、パフォーマンス向上の行動を生み出します。自分のことを諦めずに信じてあげることで、必ず可能性は広がります。

ピグマリオン効果と同じ現象を、自分自身に対して起こすことができます。

目的をどこに置くか大切

ある一定数の人は、挑戦する前から「できないこと」だと決めつけている場合があります

そのような場合、やるかやらないかだと覚悟を決めて挑戦すると、意外とできてしまうことがあります。「できない」「不向き」だと思っていたのは単なる思い込みで、自分にレッテルを貼っていただけです。

但し、それでもできないときはあります。いくら努力しても、挑戦してもできないことはあります。

人には向き不向きがあります。これは紛れもない事実です。適性が存在するのは、人は完璧ではないからです。人には偏りがあり、その偏りが個性を生み、その人自身の人柄や魅力を生み出しています。

事務作業が得意な人もいれば、営業活動が得意な人もいます。プログラミングが得意な人もいれば、デザインを整えるのが向いている人もいます。どれだけ苦手を克服しようとしても、得意で好きな人に及ぼないことが多々あります。

先ほどの「自分の可能性を見限らない」の話と、逆のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、重要なことは「できないときにどのように捉え、判断するのか?」だと思っています。

例えば起業家でも、ある事業の仮説を立て、可能性を感じて挑戦するところからスタートしますが、上手くいかないことがあります。そのとき、その領域や事業の方向性を変えずに進むのか。それともピボットをするべきなのか。

このような判断を求められる状況は、スタートアップではよくあることです。

以前、あるエンジェル投資家の方に伺った話では、出資して上場した企業のうち、出資当初にやっていた事業と、上場したときのメイン事業が異なる企業は、6割以上だったそうです。

それほど当初信じた道から変化しています。その適切な変化があったからこそ、世の中に価値を創造できています。

それを考えると、その先に希望を感じない検証結果が出ている状態にもかかわらず、事象を正確に捉えようとしない。ただ頑固になって、「どんなに希望が薄くても可能性を見限ってはダメだ!」と方向性を変えずにそのまま突き進むのは、スタートアップでは自殺行為です。

それは、本来の可能性を見限らないの意味とは異なります。

可能性を見限らないとは、「今がどんな状況であったとしても、長期的には明るい未来が待っている。明るい未来に辿り着けると信じる力」です。何か特定のモノやコトに固執して、変化せずにしがみ付くことを指している訳ではありません。

今想定していることだけに執着するのではなく、新しいことを柔軟に受け入れ、適応すること。当初とは方向性が変化したとしても、最終的には良い結果、満足のいく人生に繋がると信じ続けることが大切です。

明るい未来を信じることにより、行動力が生まれます。活躍している起業家を見ていると、このワクワク感により日々邁進しています。色々辛いことがあったとしても平常を保つことができ、次の一歩を踏み出すことができます。

人生とは何かを説いている名著「夜と霧」にあるように、未来をある意味楽観的に捉えることで、人は前進できます。未来への絶望は、生きる力を奪っていきます。

人は環境に影響を受けます。しかし、環境によってすべてが決定されるわけではありません。どんな状況にあっても、その状況をどのように捉えるのか。どのように振る舞うのかによって、自分の未来を決めています。

可能性を見限らないとは、まさにこのことです。

事業だけではなく、個人でも同じです。例えば、いつも同じ失敗をしてしまう場合、その行為があなたに向いていない可能性もあります。その判断は、事業の方向性の判断と同じで、非常に難しいものです。

もしくは身体的理由などで、その人にはどうしてもできないということもあります。その場合、目的をどこに置くかがとても大切です。

例えば、単に個人のスキル習得や自己満足の観点でいえば、できないことをできるようにしたほうが良いのかもしれません。一方、会社という一つのコミュニティのことを考えた場合、また違う判断をすることができます。

会社は、常に何かしらの目的を持って動いています。

その大きな目的を達成するために、各部署やチームが目標達成を試みています。一個人が持っているタスクを満たすことにより、その目標や目的が達成されていきます。

そう考えると、自分ができないことを自分だけで解決しようとすることが、果たして良いことなのか?という観点があります。何か上手くいかないことがあるならば、周りのメンバーに任して、自分は代わりに得意なことを実行する。

そうすることにより、会社全体の生産性が上がるのならば、そのほうが良いという判断もできます。とくに経営者はその考えを持っています。

会社経営で必要なすべてのタスクを、自分一人で抱え込んだり、実行することは不可能です。周りを巻き込んだり、メンバー全体の最適化を図る必要があります。

常に会社(コミュニティ)の成長を優先し選択することにより、結果として経営者は個人の成長もしています。

故にもし自分でできないことがあっても、自分だけで解決しようとしたり、できない自分を責める必要はありません。できない自分を認めてあげ、その上でどうすれば会社の目的を達成できるのか。

それを考えることにより、コミュニティは成長していきます。

一個人としては、そのできなかったことが、できるようになる訳ではないかもしれません。しかしそれ以上に、別のスキル(人を巻き込む力であったり、会社を成長させるために必要な力)を養うことになるので、俯瞰してみるとその人はとても成長しています。

役割ごとにミッションが存在する

但し、その人自身の役割として必ず行わなければならないこと、身につけなければならないスキルもあります。例えば、経営者で一番重要な役割は意思決定です。

会社をどの方向に進ませるべきか。いま何が必要で、どんなことをしなければならないのか。数多の選択肢の中から、その都度の最適解を意思決定していきます。どのフェーズの経営者も、この役割からは逃れることができません。

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行わなければならない役割は、上図MCWの中では「must」に入ります。

他の職種でも、ディレクターはディレクションが、プログラマーはプログラミングすることが、デザイナーはデザインすることが、それぞれ最低限行わなければならない役割です。この役割を満たさなければ、その職種の人だとは言えなくなります。

must:周りから求められていること(責任)
can:自分が得意なこと(能力)
will:自分がやりたいこと(意志)

会社から求められていることは、その人の役割です。もしどうしてもその役割が苦手でやりたくない場合は、よりパフォーマンスを発揮できる職務に変更すると良いでしょう。

理想は、must、can、will、すべてが交わる部分「shall」をやることです。しかし自分の適性は、なかなか自分自身では分からないこともあります。can、willではないと思っていたことが、やってみることによりcan、willになることもあります。

とくにcanに関しては、やったことがないことはできないのは当然なので、今できることだけに執着し過ぎるのは良くないです。得意なcanの領域をさらに深掘りしたり、その範囲を広げる視点を持つ必要があります。

canの深堀りや領域拡大により、新しいwillが生まれることがよくあります

すると、周りから任せられるmustも変化したり、より重要な役割を担うことに繋がります。

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社会人になったばかりの頃は、この輪が小さいかもしれませんが、成長と共にこの輪が大きくなるなど変化していきます。逆にしばらくMCWの大きさや中身に全く変化がない場合は、その人自身の成長が止まっている状態だと言えます。

輪そのものが大きく変わっていなかったとしても、日々コツコツと積み重ねていけば、canは少しずつ増えていきます。willも解像度が高くなります。mustもフェーズごとに変化が起こります。

人によっては、最初にcanを大きくすることにより、mustとwillを大きくしたりフィットさせるのが得意な人もいれば、最初にmustまたはwillを大きくすることにより、他の輪をフィットさせるのが得意な人もいます。

それはそれぞれの個性なので、やりながら自分自身のことを理解していくと良いでしょう。経営者や上長は、一人一人の理解を試み、適切なコミュニケーションやステージを用意することが求められます。

さらには、メンバーのwillに対して、周りが見限らないことが大切です。willやcanを蔑ろにして、mustだけを強要してしまうと、みんなが不幸になります。

一番大切なことは、固定概念で物事を決めつけずに、その瞬間瞬間で柔軟に判断をすること。適応をすること。そして希望を持つことです。これらができている個人や組織は成長し、みんな生き生きしています。

私も自分や周りに対して、可能性を見限らないように心がけていきます。


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