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会社の「水」の話

今日はいつもと毛色を変えて、少し会社の話をしたいと思います。アングラーズには三つのバリューがあり、その中の一つに、

誠実でありつづける

というものがあります。

ごく当たり前のことかもしれませんが、アングラーズは「誠実」であることをとても大事にしているため、行動指針の一つとしています。

昔ある企業の方と話していたら、「会社の中で誠実でいることは意外と難しい」と仰っていました。その方が言うには、実は誠実でいられないような構造的問題が、多くの会社には存在しているとのことです。

前提として、そもそも誠実とはどのような状態を指すのか?を考えてみると、辞書には

・真心があって、偽りがなくまじめなこと
・ ほんとうであること
・私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること

と書いてあります。ちなみに「真心」とは、 「偽りや飾りのないありのままの心・気持ち。誠心誠意他にほどこし尽くす心。または、そのさま。」とのことです。

これを見る限り「真心があって、利他的であること」が、誠実であることのようです。

だとしたら、そういられない時はどのような時なのか?会社で人が偽ってしまうタイミングを考えてみると、

本当のことが言いづらい時
→本当のことを言うと、すごく怒られる時
→本当のことを言うと、自分の存在価値が無くなる時
→本当のことを言うと、周りの人を傷つけてしまう時

人が本当のことを言えなくなってしまう時は、大別すると上記のようなパターンかもしれません。

1.本当のことを言うと、すごく怒られる時

人は恐怖により、反射的に言動が制限されます。心理状態によりパフォーマンスも大きく変わるので、最近よく心理的安全性が大事と言われるのも納得です。その恐怖を避けるための(安全を確保する)手段として偽ることがあります。

2. 本当のことを言うと、自分の存在価値が低下する時

人は本当の孤独には耐えられない、本能的に社会性を好む生き物です。それゆえにコミュニティ内での自分の存在価値(評価)が低下or無いと感じると、自己肯定感が一気に下がります。究極には自分が生きている意味を見出せなくなってしまいます。また、評価が上がれば望みが叶いやすくなるメリットもあるため、存在価値を保持or上げる(安全を確保する)手段として偽ることがあります。

3. 本当のことを言うと、傷つけてしまう時

これは優しい嘘です。直接伝えると、相手を傷つけてしまう場合に起こります。人は大切な人のことを守るためであったり、相手のダメージを極力減らすための(安全を確保する)手段として偽ることがあります。

こうやって整理をしてみると、

人は自分or周りの人を守る(安全を確保する)ために偽る

ということが分かります。

安全を確保しようとするのは、生物の本能的な反射なので、何も意識しなければ人はその手段をつい取ってしまいます。例えば、これはすでに乳幼児期から見られる行動です。

人が一番最初にする偽りは、嘘泣きです。心の安心感や存在意義を見出すために、親の気を引く嘘泣きを1歳からし始めます。これは深く考えての行動ではなく、(望みを叶えたり安全を確保するための)本能的な行動です。

個人的には、3の「周りの人を守るためにつく嘘」は、必ずしも悪いものではないと感じています。仮に誰かを傷つけないために優しい嘘をついた人がいたら、その人ことを「あなたは誠実な人ではない!」と思わない人が多いのではないでしょうか。

そう考えると、よく問題となるのは1と2です。

1と2により組織がおかしくなっていきますし、そもそも1と2が発生してしまう状況がよくありません。ゆえに1と2が生まれない仕組みを作れば、人は誠実でいられることになります。

アングラーズが考える「誠実でいられる仕組み」

多くの社会人が、会社の中で恐怖を感じるタイミングを調査したところ

ミスや上手く成果が出なかったときに怒られる

がダントツNo.1でした。

従ってアングラーズでは、これを無くしていきたいと思いました。どのように無くしていくかというと、前提としてまずミスには4つのタイプがあります。

・挑戦をしてミスをする
・わからなくてミスをする
・さぼっていてミスをする
・油断をしてミスをする

世の中のミスの多くは、この4つのうちのどれかor複合です。

企業によっては、「挑戦するミスは良いミス」「油断するミスは悪いミス」のような概念を持たれているかもしれません。良くないと思われるミスをしたら叱ったり、評価を下げたり、反省を促すところも少なくはないです。

アングラーズでもその考えがありますが、まずその概念自体を無くすにはどうするかを思考したいと思います。

基本的にミスは起こるものです。ミスそのものに良し悪しを定めること自体、本質とはズレているのではないか?と考えました。というのも、ミスは一見起こった瞬間に問題が発生しているように見えますが、実はそれ以前にミスが起こる仕組みや環境要因が必ず存在します。

要は、表面的に認識できる状態だけを解決しようとしても、それが発生する構造的問題を解決しなければ、実はそのミス自体がなくなりません

例えば、誰かがさぼってミスをしたとします。

怠慢です。すると多くの上司は、さぼっていたことを注意したり、同じミスを繰り返さないように注意します。もしくはミスをした人の評価を下げます。

しかしここで本当に注目すべき点は、

なぜ、その人はさぼったのか?

です。

この要因のミスをする人は、一度や二度注意されたくらいでは直らないと言われています。さぼりたくなったそもそもの原因を見つけて解決しなければ、このミスは繰り返されます。

もしかしたら、今やっている業務がその人にフィットしておらず、仕事自体にやる気を無くしていたのかもしれませんし、上司と不仲でその人の指示を聞きたくなったのかもしれません。何かがきっかけで会社に不信感を抱いているのかもしれません。プライベートで問題が起こったのかもしれません。

いずれにせよ、何か原因がありその人はさぼっています。これは他のミスでも同様のことが言えます。

従って、ミスが起こった時にミスそのものを叱ったとしても、叱った側が求める行動にはならず、根本解決には至りません。相手に恐怖心を与えたり、自己肯定感を下げることに繋がります。

プロダクトでいうなら、本質的な課題に全く気づかず、ただユーザが言うことや表面的に見える部分だけで、安易に解決手段を作ってしまっている状態です。そして誰の何の課題も解決できず、プロダクトが消えていくのと同じ現象が組織でも起こります。

根本的な原因を見つけるのはおろか、気づいたら人がどんどん退職していくようになります。すると、辞めた人からは何も聞けず、組織には構造的問題だけが残ります。

また前提として、誰一人としてミスを起こしたくて起こしている訳ではありません

相手の機嫌を悪くしたり、恐怖心を抱くために、存在価値を下げることを目的にミスをする人はいません。もしそんな人が社内にいるとしたら、それはフィルターが働いていないので、採用手段の構造的問題の話です。

ミスが発生した時に、一番ショックなのは当事者です。

ミスをした瞬間は責任を感じたり、周りに対して申し訳ないと感じ気持ちが下がります。トップアスリートなどのごく一部の人は、パフォーマンスを保つためにミスをしても気持ちが下がらないようメンタルトレーニングやマインドセットをしていますが、多くの人はそうではありません(トップアスリートでさえも難易度が高いです)。

失敗をするとダメージを受けています。

叱ろうとしている人よりも、確実にダメージを受けているのに、そこに追い討ちをかけることになります。昔はそこからさらに扱くスパルタ系の教育時代でしたが、数多の長年の検証結果や研究から、そのような指導は長期的にパフォーマンス下げることがわかっています。

恐怖心を煽るやり方は、短期的にパフォーマンスが上がりやすいので、昔はよく行われてしまったのかもしれません。しかし本質的かつ長期的なパフォーマンス向上を考えると、恐怖政治は最適な手段ではありません。

ミスが起きた時は、その原因を一緒に考える

では、実際ミスが発生した時はどうするのか。

仮にもしメンバーがミスをした場合は、上長がアドバイスをするなどして、まずは本人がミスの原因を分析します(原因と解決策を自身で導く)。

もしそれでもそのメンバーのミスが続いた場合は、上長とが一緒にミスの原因を探るのが良いと考えています。なぜ他の人と一緒に考えるかというと、ミスが続く場合は、その人自身では客観的に原因を見つけられない可能性があるからです。

ミスが続くと、客観的に自分を見られない精神状態だったり、何かバイアスが掛かっている状態だったり、本来のパフォーマンスを発揮できない状況の可能性が高いです。だからこそミスが続いています。

客観的に見てくれる人と一緒に考えることにより、本質的原因に辿り着きやすくなります。

その結果、その人のwillとcanから仕事がズレていたことが見つかるかもしれませんし、チームの問題が見つかるかもしれません。家族が体調不良で看病をしていて、体力と精神の余力がなかったのかもしれません。

表面的な仕事上のことかと思っていたら、実はもっと別の原因だったということはよくあります。何かミスが発生した時は、目に見える分かりやすい事象だけに執着するのではなく、もっと俯瞰した視点で構造的問題を発見し、解決する必要があります。

恐怖心がなくなり、存在価値を見出すと、人は誠実な行動がとりやすくなる

もしそのような環境になると、

ミスをしたときに怒られる

ということもなくなります。

また、ミスをしても評価を下げることは一切しない会社になるので(むしろ組織の構造的問題を発見できるチャンスだと捉えているので)、存在価値が低下したり、自己肯定感が下がることもありません。

前述したように、誰もミスをしたくてしている訳ではありません。にも関わらず、ミスで怒ったり評価を下げると、本能的な偽る反射が生まれたり、挑戦する意欲自体がなくなってしまいます。

人が偽るのは本当のことが言いづらい時
→本当のことを言うと、すごく怒られる時
→本当のことを言うと、自分の存在価値が無くなる時

アングラーズでは、上記の誠実でいられない要素や構造的問題を排除していくことにより、「誠実でありつづけられる」ことを仕組み的に出来ないかを少しずつ試みてみたいと思います。環境要因が最たるものであり、仕組みが良くなれば人の行動は変わります。

ミスが発生した際に、経営者やチームマネージャーはどのように捉えるべきか

何かミスが起きた際は、何か自分がフォローできていなかったのではないか?と思うようにしています。そして大概それは当たっています。

メンバーは経営者やチームマネージャーの(自分の)鏡です。

巡り巡って何かしら自分が影響を与えている、経営者はそういう存在です。経営者の中には「自律的」「主体的」「経営者視点」を社員に求め、自分が一切何もしなくても勝手に進めてくれることを願っている人がいます(わたしもその1人です)。

もちろんそれはすべてのメンバーに必要な素養であり、最強の組織かもしれませんが、それが完璧に実現できている組織を聞いたことがありません。経営者が抱く、桃源郷なのかもしれません。

主体的なメンバーがいて信頼して任せることと、本当に何も我関せず(無関心無秩序)は似て非なります。仮に信頼して任せて、余計なことは言わないようにしたとしても、根本的な働きやすい環境、パフォーマンスが発揮できる環境は経営者がつくる必要があります。それは経営者の役割です。

「水」が大切

少し脱線しますが、大学のスピーチでは2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行われたSteve Jobsのスピーチが有名ですが、個人的には同年にケニオン大学で行われた、アメリカの作家David Foster Wallaceの卒業スピーチもとても好きです。

人生において、もっとも自明で大切な現実は、もっとも見えづらく考えにくいものだとDavid Foster Wallaceは伝えています。

2匹の若いサカナが泳いでおり、逆方向に向かう年上のサカナに出会いました。すれ違う時に、年上のサカナは言いました。

「おはよう少年たち、今日の水はどうかね。」2匹のサカナはとくに気にもとめず、しばらく泳いでから、顔を見合わせて言いました。

「ん、水って何?」
社会人としての日々の生活の中では、この気づきにくいもっと影響を与える大切な現実が、生と死に関わるくらい重要である。

このスピーチでは、教養があることにより「考えるべき対象を選べるようになる」と説いています。自分の頭で考えられるということは、何について考えるのか?をある程度自分でコントロールできることを指しています。それは自分で人生を選べるということです。

「水」の存在と、それが何であるかに気づき、もっとも影響を与えるものから自由になれると。

自分の固定概念に溺れず、自分が世の中の中心であるかのような錯覚と自己陶酔から解き放たれ、もう少し謙虚になること。自分の存在や確信していることを見つめ直すことこそが、「自分の頭で考えること」の意味するところです。

今まで私が、自動的に根拠もなく当たり前に正しいと信じていたことの多くは間違っていました。それで人生何度も痛い思いをしましたし、君たちもこれからすると思います。

先天的な自己中心的なデフォルト設定を、人生の中でいかに抜け出すか?という問題です。

松下幸之助が、「金魚を飼うのに、金魚ばかり考えて水を軽視したら、金魚、すぐ死んでしまうがな」と説いていたのは有名な話ですが、組織も同じく「水」が大切です。

「売上や技術など目に見える表面的な数値や要因だけに心を奪われていると、知らぬ間に組織は崩壊してしまうよ」というのは先輩経営者からよく聞く話です。

実際に目に見える表面的な数値や要因だけを改善しても、経営というものは決して良くなりません。

目に見えないもの、目に見えるものどちらも大事ですが、目に見えるものは見えるので誰もがすぐ取り掛かりやすいです。現に多くの企業では、目に見えるものに時間を費やしています。

しかし目に見えないものは、見えないので疎かになりがちです。長期的に最重要でなものでも、存在が認識しづらいと、人は手をつけなくなります。しかし、気づきにくいもっとも影響を与えている「水」を変えなければ、会社の根本は良くなりません

会社の水は、経営理念や方針、思想、哲学、バリュー、経営者やメンバーの日頃の考え方や言動や姿勢です。これは先日noteに書いた、後回しになってしまう「長期的に重要なこと」でもあります。

目に見えづらく緊急性も感じづらいので、なかなか取り組みません。しかし本質的かつ長期的にもっとも影響を与える要因です。

私がこのnoteを書いているのも、一見緊急性のない営みに見えるかもしれません。しかしこれはまさしく長期的に重要なことです。経営者は会社の中では一番遠い存在です。

多くの会社でそうであるように、私自身が気づいていないところで、きっとメンバーは少なからず気を遣っていると思います。

「私の場合は全然メンバーと気軽に話しているし、言いたいこと全部言ってもらえて、こちらの考えていることも全部分かってもらえているよ」と思っている経営者がもしいるとしたら(いないと思いますが)、それは水に気づいていません。

殆どの会社では社員は社長に気を遣いますし、同僚よりは話しづらい存在です。考えていることも距離がある分伝わりにくいです。これはどれだけ頑張っても、組織が拡大すればするほど物理的距離が構造的に生まれます。

それに比例して「社長は何考えているかわからん」状態になっていき、メンバーとの心の距離が離れていきます。末期は組織崩壊です。

それを埋める手段としては、まず経営者自ら考えていることや価値観、思想や哲学などを言語化し、発信しなければなりません。それを怠ると、組織の「水」は濁ります。

だからどんなに忙しくても、なるべく自分の思考がだだ漏れする場として、毎月数回このnoteに書くようにしています。

直接伝えるだけではなく、いつでも自由に(気を遣うことなく)経営者の考え方や価値観を確認できる場があることは、とても大切なことだと感じています。「イズムを伝えたい」と願う経営者は多いと思いますが、泥臭く行動するのが近道だと思っています。

誠実でありつづける=良い水でありつづける

色んな経営者や会社員の方々と話していると、「会社の悩みや問題は、突き詰めていくとすべて人間関係の問題」と口を揃えて言います。

組織というコミュニティを育む上でもっとも大切なことは、周りの人に対して敬意や尊重をもって、誠実に接することだと感じています。

仲間や関係者に対して真心をもって接することができる人は、ユーザの課題に対しても真摯に向き合います。ユーザが気づいていないような本質的課題に寄り添い、気づいてあげることができるので、真に欲するものを導きます。事業も成長するので、そのような人は会社や世の中で活躍します。

ゆえにアングラーズでは、「誠実でありつづける」ことをバリューの一つとしています。


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