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水素エンジンから考える内燃機関とモータースポーツの可能性

こんにちは、トヨタWRCチームで働く山下です。

先日、トヨタから開発委託を受けたROOKIE Racing (豊田章男社長がチームオーナ)が水素エンジンを搭載したカローラスポーツで「スーパー耐久シリーズ Rd3 富士24時間レース」に参戦するというニュースが話題になりました。

まだ技術的には未完成な段階ですが、モータースポーツを通じて技術を向上させることを目的に参戦が決定とのことで、「走る実験室」そのままです。また僕は大学生の頃からエンジン技術者を目指して燃焼系を研究していたため、技術的にもとても興味がある分野です。

(1) 水素エンジンと燃料電池(FCV)の違い

ご存知の方も多いかもしれませんが、簡単に水素エンジンについて紹介します。

水素といえばトヨタのMIRAIのような燃料電池車(FCV)が有名です。燃料電池車の場合は水素と空気中の酸素を反応させて電気を発電し、モーターを駆動させます。

一方で水素エンジンでは、内燃機関として水素を燃焼させることで動力を得ます。内燃機関としての原理はガソリンエンジンと同じですが、水素と空気中の酸素を混合して燃焼させるため発生するのは水であり、走行時に二酸化炭素 (CO2)はほぼ発生しません。

(2) 水素エンジンから考える内燃機関の可能性

水素はガソリンの代替燃料として古くから注目されていました。有名なのはBMWのHydrogen7プロジェクト、マツダの水素ロータリー (RX8、プレマシー)では実証実験が行われていました[1, 2]。

水素エンジンの利点は、クリーンでありながら既存ガソリンエンジンの部品、燃焼制御ノウハウの大部分を転用できることです。トヨタが投入した水素エンジンも1618cc 直列3気筒の加給エンジンで、通常のガソリンエンジンからの大きな変更点は燃料供給系と、噴射系に留まります。

水素の燃焼速度はガソリンよりも早く、エンジンレスポンス、エンジン音や振動といった「クルマを操る楽しさ」の面でも既存エンジンに引けを取らないポテンシャルを持っています。自動車産業を牽引してきた技術者や自動車ファンが好み、得意である分野です。

水素繋がりで内燃機関の他燃料を少し紹介します。日本だと水素活用はトヨタ主導ですが、2017年世界経済フォーラム(通称ダボス会議)で水素評議会が発足しており、世界の自動車メーカ、エアバスなども参加しています。ドイツ系自動車メーカも水素利用のために独自で研究開発を進めています。これらの焦点の1つは「結果的に二酸化炭素を増やさない燃料」の開発であり、最有力候補に挙げられるのは、二酸化炭素 (CO2)と水素の合成液体燃料e-fuelです[3]。

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さまざまな方法がありますが、二酸化炭素 (CO2) と水素 (H2) を反応させることでメタン燃料 (CH4)を精製することが可能です。メタン燃料を作る際に二酸化炭素を吸収するので、その燃料で自動車が走行してCO2が排出されても実質的にはカーボンフリーなのです。

このようなe-fuelのメリットは既存の自動車部品産業、車両工場、ガソリンスタンドなどの給油施設をそのまま利用できることです。安価に水素を生成、調達するという課題もありますが、このような燃料は技術的には可能です。

近年は電気自動車(BEV)の話題ばかりですが、水素エンジンやe-fuelの出現によって内燃機関のポテンシャルがまだまだある事が分かると思います。

(3) モータースポーツの役割と業界における可能性

スーパー耐久24時間レースに参戦する車両に話を戻すと、課題はまだ多いようです。ここでは、ガソリンエンジンと比べた場合の、水素エンジン単体の課題を3つ挙げます。

・水素燃料の単位体積あたりのエネルギー密度が小さい&内燃機関の効率が低い
・水素は最小点火エネルギーが小さく可燃範囲も広いため適切な安全対策が必要
・燃焼速度が速く、点火も容易なため過早着火などを防ぐ制御技術が必要

(3-1) 水素燃料の単位体積あたりのエネルギー密度が小さい&内燃機関の効率が低い

1つ目の課題ですが、該当カローラには燃料電池車のMIRAIよりも多くの水素タンクを積んでいます。それにも関わらず、航続距離は約50km (富士スピードウェイを12-13周)程度と言われています。これは水素燃料のエネルギー密度が小さく、また水素エンジン (内燃機関) の効率が低いことに起因します。

しかしF1チームが燃料メーカーと密に開発しているように、燃料開発はモータースポーツの重要項目でレースを通して開発すべきだと思います。ガソリンに比べて水素は燃料濃度を低くしても燃焼が可能 (リーンバーン燃焼)であり、水素燃料そのものでのポテンシャルはあります。

また、近年は活況を呈している電気自動車レースFormula Eも、当初はピットストップで車両をドライバーが乗り換えて業界関係者からは非難殺到でした。しかし現在は同一車両でゴールまで走り切っています。

大丈夫です。モータースポーツを通して高速でカイゼンしてしまいましょう!

(3-2) 水素は最小点火エネルギーが小さく、可燃範囲も広いため適切な安全対策が必要

水素は取り扱いに細心の注意が必要です。最小点火エネルギーが小さく、可燃範囲が広いため、条件が整うと容易に着火して爆発に至る可能性があります[4]。故に世間的には「水素は危ない」というイメージがあります。

しかし、トヨタはこれらの課題を解決してMIRAIの市販化に成功しており、燃料タンクの安全性については自信を持っています。今回のS耐24時間レースの車両にはMIRAIの燃料タンクと水素エンジンを搭載し、ドライバーとしてトヨタの豊田章男社長が予定されています。

量産車に比べてモータースポーツは全開域が多く、エンジンも高負荷であり、他車両との衝突も頻繁に起こります。このような過酷な条件下で、2020年に世界で最も多くの自動車を販売した会社の社長が、水素エンジンのレース車両を運転します。

これは世間における「水素 = 危ない」をひっくり返す最高のマーケティングになるはずです。モータースポーツに最高の役割を与えてくれていると思います。

(3-3) 燃焼速度が速く、点火も容易なため早期着火などを防ぐ制御技術が必要

非常に平たくいうと「水素は燃えやすい燃料」です。水素エンジン開発として考えるとこの特徴はシリンダー内の燃焼において有利にも、不利にも働きます。

有利な点は、上述したリーンバーン(希薄燃焼)が可能であるということ。薄くても燃えるのは燃費改善に有利です。不利な点は意図しないタイミングで添加してしまう過早着火により、出力が上手く出なかったりエンジン部品が壊れてしまう可能性があるということです。

これらを改善するためのハードウェア設計、電子制御における点火、噴射タイミング調整などのノウハウを持っている技術者はこの業界に沢山います[5]。この技術力を残しておかないと上述のe-fuelや水素エンジンが実用化された際に困ってしまいます。

水素を利用する自動車は常に水素ステーション不足が問題になりますが、モータースポーツにおいては、サーキットに水素ステーションがあれば燃料充填には十分のはずです。多くの自動車ファンがエンジンに好印象を持っていることを考慮すれば、電動化トレンドの中においてもモータースポーツのような特殊な環境下では、需要と既存技術の組み合わせがマッチする可能性は高いです。

モータースポーツは技術を継承するの場にもなり得るかもしれません。

(4) まとめ

欧州各国 (自動車メーカ含む)を中心とした政治的思惑により、電気自動車 (EV) の普及は急速に進んでいます。欧州における2020年の新車販売におけるEV比率は多くの国で前年の倍増を達成しています[6, 7]。そして欧州が中心のモータースポーツにおいても電動化の流れには逆らえません。

僕は現時点においては電気自動車が本当に環境に優しいとは思っていません。Well to Wheelを代表として発電資源の問題も、電池の廃棄方法やリサイクルについても要改善のはずです[8]。しかし電気自動車のポテンシャルが高いことは事実だと思っており、普及は推進すべきと思っています。詳細は割愛しますが、EVの普及は自然エネルギーの分散利用の観点でも非常に有望です[9]。

モータースポーツに電動化が必要だと思うのは、実際にクリーンだからではなく将来的にはクリーンになる可能性を秘めているからであり、そこにスポンサーが魅力を感じるためです。技術が未完成でもお金が集まれば競争を通して開発され、実用的でクリーンな技術が生まれる可能性があります。

興行面と「走る実験室」としての技術面の両輪を回すモータースポーツだからこそ、この循環が必要です。

本記事では良い面を中心に書きましたが、水素エンジンに関しても課題は多いはずです。だからこそモータースポーツを通して鍛えていくというアイディアに僕はとても賛成します。

EVが今後のモビリティの中心になる可能性は高いですが、カーボンニュートラルに向かう筋道は一択ではありません。水素エンジンや電気自動車だけでなく、モータースポーツでの開発を通して多様なパワーユニットが産まれれば良いと思います。

参考文献
[1] http://www.hess.jp/Search/data/33-01-042.pdf
[2] https://www.mazda.com/ja/innovation/technology/env/hre/
[3] https://motor-fan.jp/article/10015735
[4]http://www.hess.jp/Search/data/22-02-009.pdf
[5]https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/mag/at/18/00006/00301/
[6]https://blog.evsmart.net/ev-news/electric-vehicle-sales-in-europe/
[7]https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ266DA0W1A320C2000000
[8] https://blog.evsmart.net/electric-vehicles/lithium-ion-battery-battery-recycling-and-reuse/
[9] https://diamond.jp/articles/-/186998?page=3



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