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私と短歌①「雪のことかよ」

短歌を作り始めたのは高校一年生のときからだ。

きっかけは色々あるのだけど、原点は百人一首だと思う。

物心ついたときから家の本棚には「まんが百人一首」があった。幼稚園児の頃に読んでいたのは確かだ。なぜ断言できるかと言うと、まんがには「小学生の皆さんは記憶力がいいから100首全部覚えられるよ!」というようなコマがあり、それを見ながら「わたしまだ小学生じゃないもーん」と思っていた記憶がはっきりあるからだ(なんと生意気な幼稚園児だろう)。



何度も何度も読んだので、まんがのコマ割りやセリフまで頭に入ってしまった。いまでも少し再現できる。

そんなこんなで小学生の時には、百人一首そのものの暗記だけでなく歌の意味や作者までだいたい把握してしまった。ちょっと変な小学生かもしれない。

その時は自分で歌を作ろうなんてことは考えもしなかったけれど、五七五七七のリズムにものすごく慣れ親しめたのはこの時のおかげだと思っている。


中学生になってからは百人一首に触れる機会は減ってしまった。でも短歌とのつながりは少しあった。私には年上のきょうだいがいて、俳句や短歌を作る人なのだ。きょうだいは夏井いつき先生(プレバトで有名なあの人!)の俳句の本を読んで俳句に目覚め、そのあと短歌も始めたらしい。いつかきょうだいのように、高校生になったら文芸部に入って短歌を作ってみたいなあと漠然と思っていた。


私が高校生になってすぐの頃、きょうだいが短歌の雑誌を家に持ってきてくれたことがあった。その雑誌には穂村弘さんの短歌についての特集があって、そこで私は初めて穂村さんの短歌を知ったのだった。

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ
穂村弘『シンジケート』

こんなにカッコイイ短歌を見たのは初めてだったから、高校生の私は完全にこの魅力にやられてしまった。


特に、「雪のことかよ」が衝撃だった。

え、なにそのぞんざいな言い方、かっこいい……短歌でそんな言葉づかいアリなん?と。

しかも「ゆひら」で読者にちょっと考えさせるという仕掛けもあるし、体温計をくわえている=熱がある=冷たい窓に額をつけて気持ちいい=くわえているから「雪だ」が「ゆひら」になる彼女、それを呆れ気味だけど愛おしく見つめる彼……という想像がどんどん膨らむ。きゅんとした。

穂村さんみたいな短歌はさすがに作れないだろうけど、なんでもいいから詠んでみたい。短歌って面白そうじゃん。そんな気持ちになって、ちょっとずつ作り始めたのだった。




もう一人私に大きな影響を与えてくださったのは、佐佐木幸綱先生だ。

短歌を作り始めた私は地元の北日本新聞の歌壇に投稿してみた。高校一年の夏ぐらいだったと思う。選者は佐佐木先生。すると、たしか初回で採ってもらえたのだ。

買いたてのペットボトルを首に当てる飛行機雲は今のぼりゆく / 廣川環(紙面掲載時は本名)

とても嬉しかった。私はすっかり調子に乗ってしまって、高校三年間ほぼ毎月投稿した。

いま思えば、毎月〆切までに投稿しなければという目標があったから短歌を作り続けられたのかもしれない。

佐佐木先生のような大歌人が地方紙の歌壇の選者をしていること自体が奇跡のようなものだし、その先生に毎月自分の短歌を見てもらえるなんて感動的だった。天・地・人のいずれかに選ばれれば先生の評をもらえるので、評がほしくて真剣に考えて投稿していた。



次回に続きます。





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