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愛犬と暮らす家を愛犬と再考する。

 小さい頃から犬が苦手だった。小学生の頃まだ野犬?が彷徨いていて「見つけても触るな、ゆっくり逃げろ」と学校から教わったり、庭先から吠えられるのもすごく苦手だった。(それは今でもそう)だから勧められても触りたくなかったほど犬が嫌いだった。

ところが今ではチワワを飼って5年ほどになる。本当に不思議。
犬を飼うというのはほとんどの場合”贅沢”の部類だろう。犬が居なくても生活はできるし、飼うことで手間や費用が増えるのだから、犬を飼うことはやっぱり”贅沢”なんだと思っている。

小さい頃から苦手だった犬、それを覆す出来事があった。

一匹のチワワが家族を救ってくれた

 結婚して3年くらいたった頃、妻が妊娠した。当時は嬉しくて知人にそういった話ばかりしていた記憶がある。漠然と親になるのはどんな気持ちかなとか、自分の両親に思いを馳せてみたりした。

 詳しい内容は伏せるが、この後流産を経験した。それはもうよく分からないほどショックだったし、妻はもっともっとショックだったろう。どんな風に声をかけて良いかも、どんな表情で接したら良いかも分からなかった。互いの両親も経験のないことで、とにかく平常心を保つことがこんなに難しい事はなかった。

 ある日妻が退院して体調も良くなった頃、知人が犬を飼いたいという事で大きなショッピングモールに出かけた。気分転換くらいの気持ちだったけど、そこで一匹の黒いチワワに出会った。他の子に比べてパッとしないし、線が太くチワワっぽくない。笑 ところが不思議と妻と自分はその子から目が離せなくなって、夕方まで行ったり来たりして様子をみていた。

運命の出会いとはこのことか。夫婦揃って同じ感覚だったのだからそういうことなのだろう。

妻が自然に笑っていたのを見て、この犬を飼おうと思った

 当時は賃貸に二人暮らしだったし、犬を飼う事は計画になかった。でも流産を経験してからの妻は明らかに元気が無かったし、仕事に打ち込むことでそれを紛らわせている様に見えた。それでも黒いチワワの前ではその仕草や行動一つ一つに自然な笑顔が溢れていて、自分や両親ではフォローできないものを埋めてくれる可能性を感じた。

 妻には自分の衝動買いに見えたに違いない。それでも強引にこのチワワを飼うことを提案した。出会ったその日の夜。既にその日の販売は終了していたが、無理を言って契約をしてもらった。お迎えは翌週ということだったが、実はなんの準備もない。賃貸はペット不可だし知識も環境もない中で、妻の心の支えになるその一心で契約してしまった。

保険の説明を聞いて「さすがお犬様」と感心したり、ネットでしつけのことを猛烈に調べたり目まぐるしい1週間。お迎え当日の車内でいきなりウンチをしてテロを起こした事は今でもいい思い出である。ペット飼育可能な賃貸にも引越して環境を整えた。

再び子供を授かる

 チワワには「りく」という名前をつけた。りくは手足が太くチワワ体型ではない。ずんぐりむっくりした体型とコロコロと転がる姿が愛らしい。夫婦揃って夢中になった。

りくが来てから「ママ」「パパ」と呼ばれる機会が増えた。お互いをそう呼ぶようにもなったし、それが自然になっていった。不思議なことに子供を育てているような感覚はそこまで無いのに、夫婦の関係は以前とは明らかに変わって行った。「やっぱり子供は欲しいね」という意識が芽生えたことはうまく表現できないが、りくと暮らす中で生まれた感情なのだと思っている。

その後、幸い子供を授かり今まで以上に気を配った結果、新しい家族を迎えることができた。りくはお兄ちゃんになった。

家を建てた後の後悔

 ちょうどこの頃自宅を建設していた。もちろん自分で図面を引いて考えた自宅である。予算や諸々の条件を加味して作り上げたものの、先人達の言い伝えは的確で「三度建てないと自分のものにならない」とはよく言ったもの。そのうちの一つで大きく後悔していることが犬と暮らす家としての至らなさであった。

 犬種によってかかりやすい病気や怪我は異なってくる。りくも軽度の膝蓋骨脱臼だ。ほとんどの原因&対策はネットで調べればわかるが、どこまで対応するべきかの判断は最終的に飼い主にある。この判断を誤った気がしてならない。床材は滑りにくいように表面を加工したものを選んだが、爪や足裏の毛の生え具合なのか、走る際に滑っているように思えるし、平面計画的にもやっぱり走りにくい。(ストレートな空間があまりない、2階リビングで階段室が邪魔をする)当時は予算や納期の見積もりが甘く、十分にりくの暮らしを考えられていなかったことが本当に悔やまれる。

真剣に愛犬を家族と考えて計画できるか

 住宅設計は取捨選択の連続だ。予算は限られているし、家族それぞれの事情や要望がある。その中で自戒を込めて提言するならば、今一度人間ではない家族の意見を最大限汲み取って考えることになるだろうと思う。

犬はもちろん喋らない。時々何を言っているかわかるような時もあるけれど、基本的には飼い主が一番の理解者のはず。だからこそ適切に気持ちを汲み取って生薬してあげる必要があるのだと思う。そして今一度愛犬が与えてくれるものの大きさを再度評価してみて欲しい。

世間では心ない飼い主によってひどい状況に追い込まれてしまったペットも多いと聞く。産業としての愛玩動物は今後も議論が続くことだろう。偏ったポジションは取りたくないが、やはり自分はりくに感謝しているし、なんらかの形で恩返しがしたいと思っている。自分も含め、そういった飼い主と愛犬を住宅設計を通してサポートしていければ良いなと思う。

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