僕か、僕以外か。
僕か、僕以外か。
自分と他者との境界線。
自分ではわかってるつもりになっていませんか?
そんな疑問持ったこともありませんか?
どうも2回目になります。しゅーへーです。
初めて投稿というものをしてみて、人に自分の書いた文章が読まれるのは恥ずかしいと感じると同時に、嬉しい気分にもなります。
HSPの僕が見た世界、というテーマで拙い文章を書かせてもらいました。
それに引き続いて書かせてもらいたいのが、僕か、僕以外か。ということです。
某有名ホストのように圧倒的自己を確立しての発言のように聞こえますが、その逆です。
自己と他者の境界線が曖昧になる、という経験を皆さんはしたことがありますか?
僕はそれに近い経験をしたことがあります。
とは言ってもそこまで曖昧になるというより俗に言う「相手の気持ちになる」というのが近いです。
例えば、学校で先生のことをお母さんと読んでしまう人を目撃した際、その瞬間だけ「あいつやっちゃったなー」「まぁ、あるよね」となるのが大多数で、なかには共感性羞恥で見ていられなくなる人もいるでしょうが、次の瞬間には忘れてしまってるでしょう。
けれども僕の場合は共感性羞恥もさることながら、相手の感情のみではなく、考えや見ている視界、さらに本人は次の瞬間には忘れていそうな些細な感情もその後しばらく引きずり、先生をお母さんと呼んだのが自分だったのではないか、と次第に錯覚して、自分がそう言ったと記憶してしまいそうになります。
決してそんなつもりないのに、でもです。
このような事象に限らず、会議や話し合いの場で他の人が発言した内容、アイデアでも次第にそう言ったのは自分だった、と記憶や感覚が書き換わり、残ってしまいます。
感情移入や共感、相手の気持ちを考える。
それは大変良いことのひとつになるのでしょう。
場合と程度にもよりますが。
皆さんはこうした経験ありませんか?
僕の考えすぎでしょうか?
それとも「モ●ダー、あなた疲れているのよ」現象でしょうか。
ぜひともご意見お聞かせ下さい。
拙い文章にここまで付き合って下さってありがとうございました。
しゅーへー
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