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辛いと幸せは紙一重?!

お立ち寄りいただきありがとうございます!
もし、お時間がありましたら立ち読みする気分で気軽に読んでいただけますと幸いです!

今日は楽しくビールを飲んだ飲み会後にこれを書いているので、誤字脱字、そして支離滅裂な部分があるかもしれないですが、温かい目で読んでいただけると嬉しいです。
(そもそも素面の時に書け、って話ですが)

最近、私の所属部署がいわゆる人員不足で、猫の手も借りたい状態になっている。
本来2人で連携すべき仕事を一人でこなしつつ、あらゆるトラブルにも対応する必要もあり、8時間があっという間に過ぎる・・・
そして必死に走り続けた結果、気が付けば金曜日。

土日は死んだように眠ることが多い。7-8月は夏だし、なおかつ北海道は短い夏だからもっとお出かけしたかったけど、体が休息を欲していて、思うようにならなかった。
そして季節はもう秋。今年も後悔が残る。

最近まで「人生は短い、やりたくない仕事で8時間を使うことは無駄、自分のやりたいことにもっと重きを置くべし」という生き方がすごく理想に思えて、一時期自分の人生の大半の時間を仕事に奪われていることがすごくもったいなく感じることがあった。
仕事の時間が自分の人生のどんな部分にどれだけ影響するかなんてこの先わからないし、他人なんて自分の存在をそこまで重要視していない、という風に思っていたからだ。
また「会社」や「会社の人・上司」に良い思い出が無かったので、「働くこと=自分の明日を守るために義務的にやること」が重要であり「会社のために」とか「人のために」とかは綺麗事だと感じていた。
辛いことは辛いに変わりはないし、苦痛でしかない、そう思ってた。

でも最近、辛い=苦痛 ではなく辛い、けどちょっと幸せ、を感じるようになった。
残業帰りのバスの中、その感情が生まれたのはなぜだろう、と自問自答を繰り返していた。

そして答えが出た。

それは、少数精鋭である職場に仲間意識が生まれたから。

何か大変な状況が発生したとき、誰かが大変なとき、それほど仲良くはない人でも、毎日関わっていると、仲間意識が生まれ、お互いに助け合う精神が生まれる。(もちろんそうではない人・組織もある(経験済み))
そうなると、自分がどんなに辛い状況でも相手を思いやることができるようになり、「○○さんもがんばっているから、ちょっと助けてあげよう」とか逆にその○○さんが助けてくれたりもする。

会社や組織は権限を持ったトップだけが回しているのではない、社員の「善意」と一人一人の労力で成り立っているんだって。
自分も微力ながらその歯車になっているんだって。

だから会社はその「善意」に頼りすぎて、過労になってしまい、どうにかなってしまう人も少なくはない。
だから、絶対にこの「善意」は決して美化してはならないものだ。

「辛いけど、ちょっと幸せ」は、ある程度不自由があってある程度の自由があるからこそ感じられる幸福感なのかもしれない。
あとは「自分よく頑張ってるじゃん」っていういわゆる自己満足でもある。

関わる人や環境に恵まれれば、人は多少辛い状況でも頑張り抜けられるんだ、という事を最近悟った今日この頃でした。

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