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『でも…いいよ』の沼

はじめに

noteを書くのは人生初。そもそもこういった文章を書くこと自体学生時代のレポート以来(四半世紀以上前?)なのではないかというレベルですし、文才なんてものとは全く縁のない人間なので、まぁ纏まりのないものになること必至。。。ただ『でも…いいよ』という楽曲が好きすぎて、この気持ちを形に残す作業をするのもたまには頭の体操になって良いかなと思い、どこまで言語化できるかチャレンジしてみます。暇すぎてしょうがない人と、『でも…いいよ』が好きすぎてバカみたいな人だけ読んでいただけますと幸甚です(笑)

ちなみに、このシングルがリリースされた時期は、年に数か月発生する推し活&SNS休止期間だったため、私が実際に聞き始めたのは約3か月後で、リアルタイムの世間の反応を全く見られずに終わっています。そのため、もしかしたら皆さんは知っているこの楽曲についての補足的な情報なども、皆無の状態での解釈・感想となります。言い方を変えれば、楽曲とMVだけを視聴した上でのピュアなものと言えるかもしれません。

(スマホなど画面の小さいデバイスでご覧の方は、画像は一度ピンチインなどで拡大してご覧いただいたほうが内容が伝わりやすい可能性があります)

曲中の恋愛を象徴する「沼」に見えます…


楽曲の解釈について

本題に入る前に、楽曲の解釈についての個人的な考えをお伝えしておきたいです。(楽曲だけでなく制作物全般に言えることかもしれませんが)楽曲についての解釈をあえて他のものに例えるのであれば、料理と同じかなと思っています。作る側は「こういう味にしたい」「こう感じてほしい」という意図、思いで作っています。しかし食べる側の受け取り方は様々。遺伝や過去の経験などにより個人差があって当然です。ではどちらがその料理を語る上での正解か?ここでの答えは「すべて正解」だと思っています。「これが美味しい!」と思って作ったのであれば、それが作った側の正解であり、「これは不味い!」と感じたのであれば、それが食べた側の正解。逆に言えば共通の正解は無いということになりますが、それをいかに近づけることができるかが、作る側が評価される上での一番の課題であり、腕が試されるところだと思います。ただしそれは義務ではないので、作りたいものを作る!という本質とのジレンマが、クリエイターの一番の悩みどころかもしれません。

話が若干逸れましたが、結論、これから書く内容はあくまで私の解釈であり、制作者の意図(≒セルフライナーノーツなど)や読んでいただいている貴方の解釈と異なっていても、それは自然なこと。十人いれば十通りの解釈があり、その中で共感があったり新しい発見があったりするのが面白いと思っています。

つばきファクトリーの歴史的背景と表現力があってこそ任せられる楽曲だと思っています


『でも…いいよ』について

さすがにこれを読んでいただいている時点でこの曲を聴いたことがない方はあまりいないかなとは思いますが、念のためMVを貼っておきます。こういった楽曲を解釈する上ではもちろん歌詞が重要ですが、今は字幕ボタンを押せばカラオケ的に全部出ますし、非表示にもできます。便利な世の中になりましたね…

楽曲自体のカテゴリーについては素人判断ですが、R&Bに属するのでしょうか。なんちゃって評論をすると、スローで終始重く気怠さを出しつつ歌詞は言葉のチョイスの工夫や韻を踏むことで、ありがちで古臭く、そして辛気臭くなり過ぎないように今どき感?オシャレな感じ?を保っている印象です。


『でも…いいよ』の世界観

世界観についての認識はそれほどずれないかなと思っています。(相手は隠しているつもりだが)連れのいる男との禁断の恋に溺れる主人公の心情を描いた楽曲。その相手への想いの強さが様々な形で描写されていきます。簡単に書いていますが、これだけでもアイドルが歌う内容としては非常に稀有。連れのいる相手に片想いするパターンは多いと思いますが、関係ができてしまっているものは私自身思い浮かびません。詳しくはないですが、イメージ的には演歌方面が得意そうなシチュエーションです。


狂気が現れる瞬間

本当は細かい部分で語りたいことは沢山あるのですが、ニッチすぎるので、今回は重要な部分だけコンパクトにまとめます。
まずは「狂気が現れる瞬間」。終盤まで様々な言葉や表情、振りなどで情景と心情が綴られていきますが、この楽曲の真骨頂はここから。おそらく多くの方が「え?」となった瞬間があったと思います。それも、Dメロも過ぎラスサビに突入し、この悲恋は惰性のままに終わってしまうのかと思った矢先。楽曲の最終盤、時間で言うと3:32~3:33あたりに突然。そう、山岸理子さんの笑顔です。ここまで一度も見せてこなかった笑顔。。。不自然極まりない笑顔が、たったの16フレーム、約0.6秒だけ差し込まれています。

動画だとわかりづらいですが、1フレーム目の表情がこちら。感情を捨ててしまったかのよう。
16フレーム目がこちら。形だけの笑顔に私には見えました。

この笑顔をどう解釈するか。ここが受け取る側の感覚、その感覚を形成してきた人生背景によって一番分かれるかな、と思います。

流れとしては、
「週末も会いたいよ なんて二度と言わないよ」
という歌詞の直後に笑顔。
歌詞通りであれば『困らせるようなことはもう言わないから、これからもよろしくね』という意味での笑顔になりそうでしょうか。

ただ私は、人間の裏側を想像してしまうタイプのダークな人間として育っています(笑)
この
「週末も会いたいよ なんて二度と言わないよ」
というフレーズは曲中で2回目ですが、これまで一切なかった笑顔がここに添えられることで、1回目とは全く違う意味に感じました。
1回目は純粋に『困らせるようなことはしないよ』
2回目は・・・

『そんなこと言う必要も無くなるから』

どのような手段なのかはわかりませんが(汗)、自らの手で現状変更しようという意志を笑顔の中に感じてしまいました。
この恐ろしい発想が生まれるには笑顔以外にも十分な理由があります。
それは前述のフレーズの直前が
「好きよ ダメなのに、好きなの 消せなくて 苦しくて」
と、主人公の感情は既に飽和し、非常に辛い状況であることを描いています。
そして、突然の笑顔。
狂気を感じずにはいられません。

この後に続くのは
「だから この嘘よ 永遠に」
どんな永遠なのでしょうか・・・


戦慄のラスト

これだけで終われば「考え過ぎかな」とも思えるのですが、このサスペンスドラマを完成させてしまうのが、この曲のまさに一番最後。アウトロではメンバーが一人ずつ背を向けていきます。これだけでも大きな意味合いを感じますが、ラスト、センターの小野田紗栞さんが背を向ける瞬間、前述の山岸さんよりももっと短い、僅か5フレームというほんの一瞬だけ笑顔を見せます。それも、こちらに伸ばしていた手を引きながら。

顔が見えなくなることで、何を思っているのかがわからなくなります
最後にヒントを与えてくれる小野田紗栞さん
そのヒントは…

この美しくも悲しく冷徹ささえ感じる表情に、戦慄を覚えずにはいられません。
ここに追い打ちをかけるのが、音です。
このシーンではコーラスも消え、ピアノのみが淡々と進みますが、一番最後の一音。これが一気に楽曲中最低の音に落ちます。そしてその瞬間に「笑顔」。
ここのピアノはリフレインで、最後は下げなくても自然に終わらせることは十分に可能です。が、あえての最低音。まるで沼の底まで落とされたかのような。。。

もはや何も見えなくなり…
沼だけが佇む。


さらに・・・

MV自体はここで終わりですが、製品版に収録されているMVには前後の映像があるのはご存知な方も多いと思います。
以下は最後のシーンです。
もう言葉は必要ありません。


その表情に裏の意味合いを感じてしまうようであれば、貴方はもうこの曲の沼に落ちているのかもしれません。。。


あとがき

この曲に対する思いは自分の中でほぼ完成していたので、文章自体は軽い校正を含めて2時間程度で出来ましたが、いかんせんド素人が大好きな曲でライターの真似事をしてみたかっただけなので、稚拙な表現や言葉の使い方の間違い、誤字脱字はお許しください。

他の方の解釈にも興味があるので、このあと色々検索してみたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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