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「福島の農産物を食べる」ということ。

今日で、ちょうど12年。干支がひと回りしたことになる。

この原稿を書いているのは2月中だが、おそらく記事が公開された今日は、震災関連の記事やニュースがネットに溢れていることだろう。

かく言う私も、数年に一度は3月11日前後に震災関連の記事を書くようにしている。

こうした記事を書くようにしている理由としては、やはり「あの震災を風化させてはならない」というメッセージに“乗っかっている”部分があることは否めない。

もちろん、ここで言う「乗っかっている」というのは、震災関連の記事を書いておけば多くの方に読んでもらえるだろうというゲスな下心を指しているわけではない。ただ、自分自身のなかで「本当に風化させてはならないのだろうか」という疑問が、多少なりとも胸の奥に浮かんでしまっているなかで、こうした記事を書いているのだ。

もう少し正確に言うならば、「風化させてはならない」というメッセージに同調している部分もあれば、「むしろ風化させていく局面も必要なのではないか」とも思っているのだ。

たとえば、震災以来、何度も東北に足を運び、現地の人々との交流を大切にしてきたカンニング竹山さんはこんなことを主張している。

たしかに眉間にシワを寄せて「風化させてはならない!」と叫んだところで、現地の人々にとっては何の足しにもならない。考えてみれば、それはメディアや私のような言論人にとってのオナニーみたいなものなのかもしれない。

ならば、竹山さんが主張するように、私たちは「あの震災を風化させない!」と声高に叫ぶよりも、「東北を旅する」「東北産のものを食べる・飲む」といった、“楽しむ感覚”を忘れずにいたほうが、よっぽど復興の役に立てるのかもしれない。よっぽど現地の人々の助けになるのかもしれない。

ただ。

「え、東北の農産物を食べるの?」

と抵抗を感じてしまう方が、いまだに少なくないのが現状だ。

たとえば、こんな記事がある。

記事の冒頭では、大学生のアルバイト店員が、「福島のいちごは放射線が怖いから買いたくない」と面と向かって言われた経験を紹介している。昨年2月のことだ。震災から10年以上の月日が流れても、まだこうした恐怖心を抱いている方がいるのが現実なのだ。

「福島の農産物を食べる」ことは、それほど危険なことなのか。この問いと向き合うときに私がいつも思い出すのは、いまから20近く前に起こったバリ島での爆弾テロ事件だ。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
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