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小山田圭吾さんに足りなかったもの。

小山田圭吾さんの辞任が発表された。開会式でも、小山田氏が制作した楽曲は使われないという。

過去に障害のあるクラスメイトを虐めていたことを、まるで武勇伝のように語っていた。「こんな人間が“多様性と調和”をビジョンに掲げる大会に携わるなんて許せない」と炎が吹き荒れた。当然のことだろうと思う。

ネット上に出回っている当該記事に目を通してみたが、想像を遥かに越えた残忍さだった。裸にして自慰行為をさせたり、排泄物を食べさせたり、その上で暴行を加えたりと、鬼畜の所業としか思えないものばかりで、いまこうして書いていても虫唾が走る。とても、「そうは言っても、子どものイジメでしょ」という言葉では片付けられない行為の数々だった。

数日前からは海外メディアもこの件について報じ始めていた。今回、特段の説明がないままっ続投していれば、「残忍極まりない障害者イジメ」をしていた人物が、オリンピック、そしてパラリンピックの音楽を担当するという式典が、世界中に放送されるところだった。

その一方で、一部ではあるが、擁護とも取れるコメントを発している人もいた。

「さすがに26年前のことを蒸し返されるのはかわいそう」
「いつまで過去を背負って生きていかなければならないんだ」

もちろん、これらの声に対しても、

「被害者が負った傷は、一生消えないんだぞ」
「自分の過去は、死ぬまで背負っていくもの」

というカウンターの声が、猛烈に吹き上がっていた。

数日前から、Twitterでは「乙武さんは、この件に関して何も発言しないのですか?」というリプライが寄せられるようになった。とても、迷っていた。それは、私がどちらの側にも当事者性があるからだ。

学生時代に苛烈なイジメを受けた経験こそないが、それでも身体障害者として生まれ育ち、悔しい経験も人知れず経験してきた。だからこそ、障害者にはまるで人権がないかのように、被害者の尊厳を踏みにじった小山田氏の行為には反吐が出るし、そうした行為を許容しようという気持ちは微塵も湧いてこない。

一方で、「他者から糾弾される過去がある」という意味においては、私自身が、今度は反転して小山田氏と同じ側に立たされる。銀座イタリアン事件だったり、不倫スキャンダルだったりと、他人様から批判を浴びるような過去は、恥ずかしながら一つや二つではない。

そんな私が、何を書けばいいのだろうか。すぐには答えが出ずに、じっくり時間をかけて自分と向き合ってみた。まだ、自信を持って「こう考えるべきなのだ」と胸を張れる答えが見つかったわけではないものの、「こんなことが伝えられたら」という視点はぼんやりと見えてきたので、文章にまとめてみようと思う。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.com/h_ototake/m/m9d2115c70116

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