2023年に、最も心に刻まれた言葉。
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1年にひとつくらい、「記憶に残る言葉」がある。
たとえば昨年なら、「正解を選ぶことはできない。だが、選んだ道を正解にすることならできる」という言葉が深く胸に刻まれた。
どちらを選べばいいのか悩んでしまう2つ以上の選択肢があるとき、私たちは“どちらが正解か”を選び出すことは難しい。だが、えいやっと決めた道でひたすら努力を重ね、「やっぱりこの道を選んでよかった」と思うようにすることならできる、という意味の言葉だ。
これは、一言一句、正確かどうかは自信がないが、キングコング・西野亮廣さんがどこかで書いていた言葉で、「なるほど、その通りだな」と、以来、みずからの指針とさせていただいている。
そして、2023年。
今年、最も記憶に残っている言葉は、これだった。
「肢体不自由」とは、「したい不自由」である。
これは、先日開催したラジオのオフ会で、参加者のひとりが口にしていて、ハッとさせられた言葉だった。
おそらく、この言葉に、「ああ、なるほど」と思う方と、全然ピンと来ない方と、両方いらっしゃるだろう。何なら、「なんだ、自分には関係なさそうな話だ」と、いままさにページを閉じかけようとしている方もいらっしゃるかもしれない。でも、じつはこの言葉、すべての方に関係する言葉なので、ぜひとも最後まで読んでみてほしい。
そもそも「肢体不自由」という言葉自体、耳なじみがないという方もいるだろう。これは「身体障害」とほぼ同義であると捉えていいと思うが、文部科学省は次のように定義している。
とてもわかりやすく言い換えるなら、「身体を思うように動かすことができないため、日常生活で困ることが多くある状態」ということだろうか。
たとえば、私の相棒である“乙武の右腕”ことキタムラは、ここ数日、ギックリ腰に見舞われており、私以上に動きが鈍いのだが、いまの彼などはまさに「肢体不自由」と表現してもいいのかもしれない。
だが、ギックリ腰ならば(慢性化する場合もあるが)、数日経てばまた自由に動くことができるようになる。つまり、あくまで「一時的な肢体不自由」と位置付けることができよう。
しかし、病気や障害によって身体を思うように動かすことができない人は、そうはいかない。長期的に、もしくは恒常的に不便な状態が続いてしまうことになる。もしもこうした状況を「あきらめなさい」「我慢しなさい」という言葉で解決しようとするならば、それは肢体不自由の人々にとって「人生をあきらめろ」ということとほぼ同義であることに自覚的でありたい。
さて、ここで、いま一度、この言葉に立ち返りたい。
「肢体不自由」とは、「したい不自由」である。
そう、身体を自由に動かすことができなければ、人生でしたいことも自由にできない。いまの社会は、そうなってしまっているのだ。
「なんだ、そんなこと当たり前じゃないか」
そんな言葉が聞こえてきそうではある。たしかに現状はそうした社会になってしまっているが、しかし、そんな社会を変えていくことはできるはずだ。つまり、逆説的に言えば、「したいことができるなら、身体が不自由だって構わない」という社会を築いていくことならできるはずだ。
こうしたことを書いていて真っ先に思い出すのは、私の友人でもある吉藤オリィさんの取り組みだ。オリィ研究所の所長を務めるオリィさんは、遠隔操作ロボット「OriHime」の開発者として知られている。カメラ、マイク、スピーカーが内蔵されたロボットを、インターネットを通じて自宅にいながら操作できるという仕組みだ。
このOriHimeを活用して運営されているのが、東京・日本橋にある「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」だ。遠隔操作できるロボットを、あえて「分身ロボット」と表現しているのには理由がある。じつは、パイロットと呼ばれるこのロボットを操作する人々の多くは、病気や障害によって自宅から出ることが難しい方々が務めているのだ。
彼らはリアルでのコミュニケーションに限定されてしまうと、それこそ家族くらいしか接点がなくなってしまう。だが、このOriHimeを介してなら、日本中、いや世界中の人とコミュニケーションを図ることができる。つまり、このロボットは自宅から出ることができない彼らにとっての“分身”なのだ。
先述した通り、OriHimeにはカメラ、マイク、スピーカーが内蔵されているため、パイロットが自宅から「いらっしゃいませ」と声をかければ、リアルタイムで店内でお客様に声をかけることができるし、「ご注文は何になさいますか?」とオーダーを取ることもできる。さらにはOriHimeを操作することで厨房からコーヒーやオレンジジュースを運んでくることも可能なのだ。
私が初めて「DAWN」を訪れた際に接客してくれた女性は、難病により10年間も自宅から外に出たことがないという状況だった。それが、この仕組みができたことで10年ぶりに仕事ができ、報酬を得られるのだと“全身”から喜びを滲ませていた。
「ここで数週間働くと、数万円のお給料になると思うので、そのお金でこの10年間、心配をかけ続けた家族にお寿司でもご馳走できたらいいなって」
その言葉に、私は不覚にも涙ぐんでしまった。
「ああ、今日な仕事ダルいな」
「できることならサボってしまいたい」
誰しもそんな思いに駆られたことはあるだろう。時には「面倒だ」と感じてしまう仕事も、しかし、「肢体不自由」により自由に身体を動かすことができない人々にとっては、「したくてもできない」「どうしてもしたい」ことのひとつなのだ。
いまの日本社会では、いくら「仕事がしたい」と願っても、肢体不自由者が仕事を得ることは非常に難しいのが現実だ。まさに「肢体不自由は、したい不自由」になってしまっている。しかし、オリィさんの開発したOriHimeは、そんな肢体不自由者に“仕事”を届けた。彼らが渇望していた“働くよろこび”を与えることに成功したのだ。
「肢体不自由だけど、“したい”ができた」
これは画期的なことだと思う。同時に、これがいつまでも画期的なことではいけないと思っている。
オリィさんがOriHimeについて語っていた言葉が、いまも胸に残っている。
私はこの記事の中盤で、「これはすべての人に関わる話だ」と書いた。私たちは誰もが年齢を重ね、誰もが思うように身体を動かすことができなくなる。そのとき、「もう年だから仕方ないよね」とやりたいことをあきらめなければならない社会と、様々なテクノロジーや仕組みによって自由に身体を動かせなくてもやりたいことがやれる社会と、どちらが望ましい未来だろうか。
「肢体不自由は、したい不自由」
そんな社会に別れを告げる。まずはそんな意思をみんなで共有することから始めようではないか。
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