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昨日、国連から日本政府に対して“ある勧告”が出されました。

昨夜、私のタイムラインではかなりこのニュースが話題となっていました。でも、まさにこれこそが“フィルターバブル”で、私がフォローしている方々は私と同じようなことに興味・関心がある傾向があり、おそらく一般的にはそこまで知られているニュースではないのだろうと推測します。

だからこそ知ってほしい。考えてほしい。そんな思いで、こうしてnoteを書いています。

昨日、国連の障害者権利委員会は、8月に実施した日本に対する審査を踏まえ、障害児を分離した特別支援教育の中止を要請しました。日本では、教育機関において障害者と健常者が長く分けられた状態が続いていることに懸念が表明され、分離教育の中止に向けて、障害の有無にかかわらず共に学ぶ「インクルーシブ教育」に関して、国が行動計画を作るよう求めるという内容でした。

いま自分で書いてみて、このあたりの土地勘がない方にとっては、非常にわかりにくい文章になっている気がしたので、少し整理してみます。

日本では、障害者と健常者を分けて教育する「分離教育」を長らく行なっている。
      ↓
国連は、国際的に遅れが見える日本のこの状況に関して懸念を示している。
      ↓
先進国では、障害のある子もない子も共に学ぶ「インクルーシブ教育」へと転換している。
      ↓
日本もインクルーシブ教育へ転換すべきであり、そのための行動計画を作るよう勧告を出した。

少しはわかりやすくなったでしょうか。

日本の現状について少し押さえておくと、障害のある子どもは、もちろん健常児とともに普通教育を受けているケースもあるものの、一般的には「特別支援学校」もしくは「特別支援教室」などに在籍し、その子の特性に合わせて、普通学級に通ったりもするといったケースが多く見受けられます。

こうした障害児教育の在り方は「分離教育」と呼ばれ、多くの先進国が進めている「インクルーシブ教育」とは根本的に異なる方針になります。しかし、「国際的にはこうだから、日本もこうすべきだ」という主張はあまりに短絡的であり、何が子どもたちにとってベストなのか、より多角的に考えていく必要があります。

この勧告を受ける以前から、日本では「早くインクルーシブ教育に切り換えるべき」という声もあれば、「むしろ特別支援教育をもっと充実させるべき」という声もあり、長らく議論が続いてきました。

では、日本が進むべき方向は「インクルーシブ教育」なのか、それとも「特別支援教育の充実」なのか。ひとりの障害当事者としての視点も交えつつ、意見を述べてみたいと思います。

私が小学校に入学したのは、1983年。いまから約40年前になります。当時、障害のある子どもはほとんどの場合、「養護学校」に通うことになっていましたが、私は両親の意向と世田谷区教育委員会のご理解のもと、地元の世田谷区立用賀小学校に入学しました。いまで言えば、インクルーシブ教育を受けていたわけです。当時としてはかなりのレアケース、異例中の異例でした。

結論から言えば、私は健常者とともに学ぶインクルーシブ教育を受けられて、非常に感謝しています。もちろん、私を受け入れる側の苦労や負担は子どもだった私には計り知れないものがあったと思いますが、健常者とともに成長した経験なくしては、いまの私は存在していなかっただろうと思います。

実際に、『五体不満足』という本があれだけの新鮮さと衝撃をもって受け止められたのは、あの時代にまぎれのないインクルーシブ教育が実現していたからではないかとも思います。そうした視点から、いま一度あの本を読み返すと、また違った味わいが出てくるのではないでしょうか。

しかし、「私が」インクルーシブ教育を受けて感謝しているからこそ、日本はインクルーシブ教育に舵を切るべきだなどと浅はかなことを言うつもりはありません。あくまで私の例は「1対n」に過ぎず、もう少し広く視野を持って議論していく必要があります。

もっと言えば、ここで真っ当な議論を行う上で軽視してはならないのが、前提条件の確認です。

「いまの日本において、障害児が特別支援教育を受けるべきか、健常者とともに普通学級で学ぶべきか」

という議論と、

「これからの日本社会が、これまで通り特別支援教育を軸としていくのか、それともインクルーシブ教育を実現していくのか」

という議論では、まるで話が変わってきます。今回のニュースを受けて、ネット上では様々な方がコメントをしていましたが、前者の話をしている方もいれば後者の話をしている方もおり、それらが混線しているために、まるで議論が噛み合っていないような印象を受けました。

今回は主に後者の議論をしたいので、あくまで前者はさらっと触れる程度にしておきたいと思います。

「いまの日本において、障害児は特別支援教育を受けるべきか、健常者とともに普通学級で学ぶべきか」

そんなの人によるでしょ、という意見しか思い浮かびません。私にはたまたま健常者との日々が性に合っていたし、自分自身の能力を伸ばすのに適していたけれど、それをすべての障害児に当てはめることなどできるわけなく、障害の特性や個人の性格、また将来的にどのような生き方をしていきたいかによっても、“正解”は変わってくるのではないかと思います。もちろん、そのとき正解だと選んだ選択肢が、本当にその子に適しているのかもわかりませんしね。

そして、いよいよ本題。

「これからの日本社会が、これまで通り特別支援教育を軸としていくのか、それともインクルーシブ教育を実現していくのか」

これに関しては、

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「乙武洋匡の七転び八起き」
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