「障害を乗り越えた」と言える日は来るのだろうか。
「乙武さんは障害を乗り越えて」とよく表現される。特に『五体不満足』が出版された直後は、判で押したようにこの書き方をされてきた。もちろん、悪気などないことはわかっているし、何なら好意的に書いてくれていることも理解している。だが、心のどこかで「乗り越えたかどうか、おまえが勝手に決めるなよ」と思っていたこともまた事実だ。
私は、障害を「乗り越えた」のだろうか。
物理的には、ちっとも乗り越えられていない。46歳になった今でも、ひとりでトイレには行けないし、風呂に入ることもできない。喉が渇いても冷蔵庫を開けて飲み物を取り出すこともままならない。電動車椅子を自分で操作することはできても、街中は段差だらけで一人で出歩いても入れるお店は限られている。
私は、障害を「乗り越えた」のだろうか。
精神的にはどうだろう。たしかに私は障害者であることで劣等感を抱いたことはない。「障害」とは、何らかの機能がうまく働いていない状態を指す。そうした意味位において、私は障害者として生きていくことに不便さは感じているものの、だからと言って「障害者=劣った存在」だとは思っていない。
いまでこそこうして第三者にも伝わるような形で言語化できるようになったが、まだうまく言語化することができなかった幼少期から、私はこうした考えを持っていた。
あれは小学校2年生のときだった。放課後、私は母に連れられて近所の公園に出かけた。私の自宅はとなりの小学校との境目にあったので、その公園には違う小学校の子どもたちもよく遊びに来ていた。その日も、私が遊んでいると、見たところ私より一学年ほど上の男の子たち4人組が後からやってきた。
私と同じ小学校の子どもたちは、すでに私と打ち解け、私の存在も認知されていたが、他の小学校の子どもたちはそうではない。あきらかに異質な存在である私に興味を示し、車椅子から降りて砂場で遊ぶ私を、上級生らしき4人が取り囲んだ。
「おい、なんだこの手足なし!」
いきなり、そんな言葉を投げつけられた。近くで見守っていた母はハラハラしたそうだが、当時8歳だった私は、そんな母をも仰天させるような態度に出る。私を取り囲んだ上級生をキッと睨みつけ、「なんだよ、この手足あり!」と叫び返したというのだ。
傍らで見守っていた母は、笑いをこらえるのに必死だったという。「手足なし」という言葉を吐いた彼らは、それがあきらかな悪口であり、私にダメージを与えられる言葉だと判断したのだろうが、私は「手足の有無など上でも下でもなく、たんなる事実」として受け止めていたようで、だからこそ「この手足なし!」に対して、「この手足あり!」とやり返したのだろう。
そう考えると、やはり私は幼少期から障害者であることに劣等感を抱いていたわけではなさそうだ。それは、46歳になったいまでも変わりがない。ならば、私は精神的に「障害を乗り越えた」と言えるのだろうか。
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