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だいすきな思い出

小さい頃の記憶がほとんどない。
普通じゃない?と思われるかもしれないが、そういうことじゃない。

転勤族だったため、2〜3年に1度環境がリセットされるのが当たり前だった。

小学校は3回、中学校は2回変わっている。
仲良くなってきたころにさようならをするのが私の中の当たり前だった。

住んでいた町の名前や、その時仲よくしてもらったお友達の当時の顔と名前は思い出せるが、それ以外エピソードとして何も覚えていない。

幼かったころは自分がストレスを抱えているということすら分からず、なんとなくつまんないとか、なんとなく保健室に逃げたいとか思っていた。

仮病をよく使って学校を休んだ。体調が悪いというと不機嫌になる母も嫌だった。仮病といったけれど、精神的ストレスには休息が必要ではあるので私の判断は間違っていなかったと思う。

今でも私には居場所がないように思っている。
だって一人暮らしを始めて今の街で暮らした年月のほうが長いんだもん。地元とか無い。

たまにこういう古傷を自ら抉っては、当時の苦しみが分かるのは当時の私と今の私しかいないのだと慰め合う。

◇◇◇

だけど少しだけ覚えていることもある。
小学1年生の頃だ。

1組は真面目な男性の先生と、シャキッとした子が多い赤帽子のクラス。
2組は厳しそうな女性の先生と、気が強そうな子が多い白帽子のクラス。
3組は癒し系の女性の先生で、元気な子が多い黄色帽子のクラス。

私のクラスは1年4組。
4組は1番優しい男性の先生で、おとなしい子が多い青帽子のクラス。

1組や2組の子たちはとても賢そうに見えたし、テキパキ指示を出されてそれに付いていく子たちもすごいと思っていた。

3組は黄色帽子が似合う子ばかりだった。明るくて元気でスポーツが得意な子が多かった。

私のクラスだけ、ずっと幼稚園みたいなクラスだった。
先生はニコニコしていて、優しくて、みんなのことを下の名前で呼んでくれて、小さなことでも気づいて褒めてくれる先生だった。

クラスの子たちは、よく言えば穏やかな子、悪く言えばマイペースや消極的な子たちばかりで、私もその中の1人で、大人しい子だった。

先生は私のことを「お友達にすごく優しい」「真面目でしっかりしている」と言ってくれた。

優しい先生に優しい人だと認められたことがすごく嬉しかったのを覚えている。4組だけは、先生の名前を下の名前で呼んでいた。他のクラスは苗字呼びだったのに。

ゆっくり、みんなで成長することを見守ってくれていた先生は、もう定年退職されたのだろうか。

きっともう会うことのない先生。
小学校が楽しくなるような工夫をたくさんしてくれていたと思う。

歪んだ私の記憶の中で、唯一汚れていない記憶。
思い出すだけであたたかい。

みんなで青帽子を被って整列して、こそこそ話をしていると先生がニヤっとこちらを見る。
大好きな時間。