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社会人になって思うこと

社会人になって3ヶ月が経過した今、自分自身の生き方について「これで良いのか?」と考える時間が少し増えてきた。そこで、自分の中で知らず知らずのうちに見失いかけているものがあるのではないか?と思い、このタイミングで改めて自分自身のことを見つめ直してみることにした。

「これで良いんだっけ?」と考える基になった"3つの違和感"

1. 描きたいはずの未来がぼんやりとしか見据えられなくなっていた。

自分自身、幼少期からwillが比較的強くあるタイプの人間だったと思う。歳を重ねるごとに思い描くwillはより外向きに、大きくなっていき、大学3回になる頃には「誰もが自分の能力や個性を最大限に生かし、自分らしく生きていける社会をつくりたい」と強く思うようになっていた。

もちろん、就活の際の選社軸にもこの要素は含まれていて、「自分のwillと企業のwillの方向性が一致した」ことが今の会社に入社を決めた一つの理由だった。

だからこそ、入社してからの研修で感じた「企業としての価値観や目指す方向性」には共感する部分が多く、自分自身も同じ方向を見て頑張っていこう!と決意を新たにできる機会が多かった。

ただ一方で、入社から2,3ヶ月が経過したタイミングから「自分自身のwill」がぼんやりとしか描けない状態に陥ってしまった。「誰にどんな姿になって欲しいのか、社会全体がどんな風に変わっていくことを望むのか」常に頭の中にあったイメージが気づけば薄れてしまい、自分自身が個人として向かいたい方向が見えづらくなっていることに気づいた。

少し立ち止まって考えてみると、入社してからの2つの変化がこの状態を作ってしまっていたのではないかと思う。

一つは、組織としてのwillを重視するあまり、自分個人のwillを見失っていたこと。

自分自身が個人として描いているwillと、入社した企業が描いているwillは方向性は同じであるものの完全に一致することはない。これは、個人と組織で見る視点が異なる部分もあるためある意味必然だと思うものの、そのことを忘れかけてしまっていた。

今の状態を客観的にみると、組織としてのwillは自分個人としてのwillの一部分であることは理解しつつも、組織のwillを見据えようとしすぎるあまりそこに内包されていない自分個人のwillが見えなくなってしまっていた。

そしてもう一つは、自分個人のwillを実現させるための行動量が減っていたこと。

今振り返ると、Pyxiruの活動をしていた半年間は、なんの制約もない環境で自由に動けた分、自分個人のwillに100%向き合い行動量をそこに費やすことができた。だからこそ、willが少しずつ形になっていく実感を持ちながらどんどん構想を膨らませていくことができていた。

一方で、社会人になると仕事として進めていくこと(もちろん、ここでも自分個人のwillは一部として実現させることができる)が日常の多くを占めるようになり、自分発でwillを形にしていく行動量が減少してしまうことになった。

それら二つが重なり、気づけば個人としてのwillは薄れ、「仕事は楽しいけれど、何かを見失っている気がする...」という感覚になってしまっていた。

つまり、仕事中は組織としてのwillを明確に見据え、それ以外の時間はそこに内包されていない自分個人のwillにもしっかりと向き合うことが必要だと感じた。加えて、自分個人のwillが強いことも改めて実感したため、それを実現するための行動量を増やしたり、組織の中でも実現できる機会を見つけていくことが必要になってくると感じた。

2. 周囲を正しいと思うあまり、違和感を飲み込んでしまっていた。

入社してから、本当に優秀な同期や先輩方に囲まれ「一人一人のスタンスやスキルをしっかり学ぼう!」という姿勢を大切にしてきた。企業としてのビジネスモデルや組織づくりのスタンスも共感する部分が多かったため、組織としてのノウハウもたくさん学ぼうと思い続けてきた。

日々学ぶことがたくさんある環境に身を置けて「この会社に入社して良かった!」と毎日のように感じる一方で、そう感じすぎてしまうあまりに全てを「これが正解なんだ」と捉えてしまっていたことに気づいた。

ビジネスは明確な答えがないから、「成果が出ていること=正しいこと」と捉えられることは必然ではあるけれど、「それって本当に正しいんだっけ?」という視点を持つことも必要。ただ、周囲を信じようとするあまりにその視点をほとんど持てていなかったように感じる。

自分とは別の視点から考えるとこれが正しい答えなのか、と変に納得しすぎていた部分があったのかもしれない。

それが、ここ最近になって「これって合ってるっけ?」と違和感を感じることが増えてきて、少し正常に戻ってきたのかな?と思う。

一人一人見ている視点が違うからこそ、違和感や疑問は必ず生じるものであるはず。だからこそ、今後はどれほど小さなことであっても感じた違和感を言葉にすること、伝えることを大切にしていきたい。

3. 自分自身のことを一面でしか見られなくなっていた。

組織である以上は致し方ないことではあるけれど、「人事評価」や「相対評価」という視点が入ってくると、どうしても特徴的な部分だけに注目されることが増え、自分自身の一部だけが切り取られ誇張されてしまう感覚を持つことが多くなった。

もちろん、それも自分ではあるけれど、他の部分が見えづらくなって「自分ってこんな人間だっけ?」と自他認知がずれてしまう原因になってしまっている。

周囲から一面だけを取り上げられるようになると、自分自身でもその側面にしか目が向かなくなってしまいがちだったけれど、他の側面もあるということを自分自身で見失わず発信していけるようになっていく必要がある。

違和感を乗り越えた先にある、"大事にしたいこと"

ここ数ヶ月の間で様々な人に出会う中で、これまでもこれからも「普遍的に大事にしていきたいこと」が明確になってきた。原点に立ち返れるように、このタイミングで言語化しておく。

1. 沈んだ時、上昇した時こそ、謙虚で素直に自分らしくいられるように

社会人になって様々なタイプの人と関わりを持てる機会が増えたけれど、たくさんの人を見ていてすごく感じるのは「どん底まで沈んだ時、頂上近くまで上り詰めた時に、人の真価が見えてくる」ということ。

実際、自分自身が惹かれる"生き方"をしている人は、大抵の場合「浮き沈みした時の姿」が一番輝いて見える。

追い詰められて沈んだ時は、余裕がなくなって視野が狭まり「自己中心的」になってしまいがち。だからこそ、そんな状況の中でも冷静な頭で考え、諦めずに試行錯誤し続けられる人でありたいな、と思う。内向きではなく外向きになって多くの人に「助けてほしい」と素直に言える人でありたい。また、どれほど苦しくても「自分らしさ」は見失うことなく前を向ける人でありたい。

一方で、上に登っていく時は、自尊心が膨らんで視野が広がり「自分至上主義」にどうしても陥ってしまいがち。だからこそ、そんな状況の時こそ誰よりも他者を尊重し謙虚でいられる人でありたいな、と思う。周囲の評価に惑わされるのではなく「自分らしくいること」に何よりも価値を感じられる人でありたい。常に等身大の自分でいられる人でありたい。

2. 一度決断したことは、挑戦と試行錯誤を重ねながら必ず実現できるように

ここ最近、仕事でもプライベートでも「決断する/挑戦する/継続する/やり遂げる」をいかにできるか次第で、物事の面白さや見える深さが大きく変わってくるなということを実感する。

これまで、それぞれをしっかりできる状態を維持するのはしんどいな...と感じることもあったけれど、今は逆にこれらが揃わない状態の方が「中途半端・停滞」を感じてしまってしんどく感じることが多い。反対に、これらが揃っている状態の時は前に進んでいる感覚を持てて、ポジティブに楽しくいられる。

意気込むわけではないけれど、触れるもの出会うもの全てを最大限満喫するためにも、これらを当たり前のように実行していける人でありたい。

3. 究極の自己流とそれを崩す柔軟さを兼ね備えられるように

仕事をするようになって感じた部分でもあるけれど、自分自身は「自分のペースで自己流で進めたい!」と感じることが多い。自分の中に小さな型が一つあってそれに色んなものをくっつけて発展させていくようなイメージで生きている。これ自体は自分らしさや効率性を形作っていくものだから大切にしていきたいものの、協働する際は大きな障壁となってしまうことも多い。

だからこそ、自分の型はしっかりと持ちながら、一人一人の「自己流」を尊重して必要に応じて自分の型を柔軟に崩して適応していける人でありたいなと思う。

4. 論理と情緒を兼ね備え、多くの人の可能性を信じ救えるように

自分自身が思っていた以上に「情緒」が薄いことを痛感している日々だけれど、論理だけではない人間らしい情緒を大切にし、二つのバランスをとれた人になっていきたい、と思う。

一人でもたくさんの人を救い幸せにできるように、論理だけではない情緒的なアプローチも備えていける人でありたい。

5. 自分を他者を、そして未来を、誰よりも強く信じられるように

個人的に「信じる力」は人が持つ大きな武器だと思っている。自分自身を信じきれない時は大抵上手くいかないし、自分と周囲を信じて全力を出せた時は成功確率がぐんと上がる。

毎日が変化の連続である今の環境では簡単なことではないけれど、自分自身が大切にしたいことを信じ、周囲にいてくれる一人一人を信じ、ワクワクしながら未来を信じ続けられる人でありたい。

これから色んな人や出来事に出会っていく中で、もしかしたら迷子になりかけてしまう時もあるかもしれない。けれど、そういう時こそ、自分の原点となる場所に立ち返り「自分らしさ」を再発見できるようにあり続けたいなと思う。






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