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入社2年目で迎える「人生の決断期」

前回のnoteを投稿してから約9ヶ月ほど。(これまた公開がすごく遅れてしまった。)2022年の2月〜6月、7月〜9月、10月〜11月の時期は、自分の中でも少し驚くほどに心境の変化が起きたタイミングでもあった。入社2年目を迎えたタイミングで将来について考えることも増え、今この瞬間が自分にとって重要な決断の時期であるように感じている。

まずは、2月以降の変化から振り返り、なぜこのタイミングが決断期となったのか、これから先何を見据えて進んでいきたいのか、言語化しながら整理をしてみようと思う。

自信を胸に、真正面から仕事に向き合った 2月〜6月

1年目の頃に悩んでいた靄が晴れ、自分自身の強みである「学習欲や好奇心、そこから生まれる向上心や挑戦心」を発揮しながら、業績としての成果やその他のPJ業務等、幅広いことに携わり納得のいく結果を出せたのがこの時期だったと思う。

この時は「自身が携わる領域を広げながらも、中途半端にならずにしっかりと成果として残しきること」を何よりも大切にしていたけれど、それをまさに体現できたのが5,6月だったと感じている。

結果として、周囲からも一定の評価を頂くことができ、最初の成功体験を積む経験になったと感じている。

視野が広がり、これからの人生をもう一度考え直した7月〜9月

前述した通り、2月〜6月までは真正面から仕事に向き合える期間を過ごせていたものの、実を言うと5月にプライベートでペルーを訪れたあたりからここ数年での人生の過ごし方に関するイメージが少しずつ変わり始めていた。

その変化が明確に現れたのが7月後半のタイミングだったと思う。携わりたかった領域の仕事を担当し、自身が想像する以上に恵まれた環境にいることは頭では理解しているけれど、今ここにはない何かを強烈に欲していることに心のどこかで気づき始めていた。

一度違和感を持ってしまうとその感覚は簡単には拭えなくて、ここからしばらくの間は、自分は何を必要としているのか?なぜこの環境でも不足を感じるのか?を考え続ける日々を過ごすことになった。

小さな希望が見え始めた10月〜11月

小さな違和感を基に「なぜ?満たされないのか」「何を?欲しているのか」を考える中で、少しずつクリアになってきたのは、①1年半の社会人経験を経て「本来の自分」を新たに取り戻し始めていること、②人生において大切にしたいことの優先順位が変化してきていること、の二つだった。

①「本来の自分」を取り戻し始めたとは?
幼少期は自分の好きなことに一直線で周囲を見る余裕はなくて…でも、それが小6の時の一つの経験をきっかけに変わって。好きなことをできているのは誰かが支えてくれたり応援しているからなんだって、気づいてからは少しは周りも見えるようになり始めて。

中学に入ると、自身の好きなことに没頭して大きな成果を出す、という部分に気恥ずかしさや遠慮を感じるようになって、いつしか「目立つこと=面倒なことが増えてしまって自身の足枷になってしまう」と捉えてしまうようになっていた。

それでも高校、大学とリーダーシップをとる機会は必然的に増えていって、変に遠慮してリーダーシップを取りきれない自分(目立ちたくない…と思い続ける自分)と、実現したいことのために動かざるを得ない自分との葛藤に苦しむことも多かったように感じる。

その、不要な「遠慮」が、社会人になって1年半経ったタイミングで自分の身から離れ始めてきたのが、一つ目の大きな変化だったと思う。挑戦を奨励する社風の中で仕事を進めるうちに、周囲の反応が100%肯定になる挑戦なんて滅多に存在しないことを実感し、自身が影響力を持つことでたくさんの人を救える可能性を持つことも知った。

そんな変化を経て自身を見つめ直した時、学習欲や好奇心、そこから生まれる挑戦心や向上心だけではなく、そこに紐づいてくる実行力やリーダーシップという本来持っていたはずの気質(これまでは生かそうとも思ってこなかった気質)を呼び起こすことができた。

自分がリーダーシップをとって進めることにもう怖さは感じないし、好きなこと・価値があると思うことについて妥協をする必要はもうないと再び思えるようになった。

こうなってくると、この1年間で本来向き合いたかったことに対して、ちゃんと自分自身の手で進めていきたい・何があっても挑戦し続けて実現したい、という強烈な野心に近い感覚を久しぶりに持つようになった。

この、「自分でやってやるんだ」という野心ともとれる、リーダーシップともとれる強烈な感覚が、自分の人生を変えるきっかけになったと感じている。

②人生において大切にしたいことの優先順位が変わった

そして、もう一つの大きな変化が優先度だったと思う。6,7年前ほどに遡ると当時感じた「大切な人(家族)を救い幸せにできるようになりたい」「経済格差・教育格差で苦しむ人の助けになりたい」ということが自身をこれまで突き動かしてきた二つの動機ではあるけれど、当時の自分にはスキルも経験も何もなくて、まずはできることを増やそう、と思い続けていたのがこの6,7年間だったと思う。

もちろん、今もまだ不足していることしかないのが現状だし、今すぐに大きな変化をもたらせるわけではないのは自覚しているけれど、それでもあの当時とは異なり「確かな確信」が自分の中に芽生え始めていることは紛れもない事実だと思う。

これも、社会人になってさまざまな経験を積む中で実感できるようになったことでもあり、いつかは…とずっと思い続けていたことが今目の前に見え始めている状態なんだと思う。

今の仕事に携わる理由には「誰もが、自身の能力や経験を生かせるような社会にしたい」という動機があるが、これは高校時代から周囲を観察する中で強く描いてきた社会像だったように思う。当時の自分にとっては、周りのみんながすごく恵まれているように感じて「同じ環境なら…」と思ったことは数え切れないほどある。そして、それを思うのと同じぐらい、恵まれた環境にいるのに、それを生かしきれていない姿を見る中で「もったいない…」と感じていたのも事実。

その感覚が抑え切れなくなってしまったのが、大学4年次のPyxiruだったと思う。たくさんの貴重な経験をしてきているのに、その経験から学んだこと・それを踏まえた自身のこれからのありたい姿・自分にできること、を正しく自己認知できておらず自分を最大限活かそうともせず、「なんとなく」で全ての選択を終えようとする人たちをたくさん見て危機感を感じてしまった。

これを解決するために、個人としての内省やキャリア観の向上、そして組織側での人財活用が必要だと強く感じており、この一年組織側の視点で仕事を進める中で「個人としての意識」にやはり何らかの取り組みが必要なことを強く実感したのかもしれない。

長く書いてしまっているけれど、振り返ると自分が向き合いたいと思い続けてきたのは次の三つで、それらこそが自身にとって最も優先度の高いことだというのが今の答えだと思う。

「大切な人(家族)を救い幸せにできるようになりたい」
「経済格差・教育格差で苦しむ人の助けになりたい」
「誰もが、自身の能力や経験を生かせるような社会にしたい」

一つの確信を感じ始めた12月

7月に感じ始めた小さな違和感は、本来の自分を呼び起こすきっかけとなり、本来の自分が「向き合いたかったこと」を思い起こさせてくれる大きなヒントとなった。

そして、こんな過程を経て率直に思うのは、「自分の"大切なこと・好きなこと"に妥協しない人生を歩みたい」ということ。

6,7年前からずっと夢見てきた景色は、社会人になって広い世界をみてもそう簡単には変わらなくて。本来の自分をもう一度取り戻した今、そろそろ実現させにいきたいな、という気持ちで今は溢れかえっている。

近々、新たな人生がスタートする予感を感じている。

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