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はじめに

こちらのサイトではお初にお目にかかります。
私は、主に「未環」というペンネームで活動させていただいている者です。
また、以前「破滅派」にて「未だ環にならず」というペンネームを使用しておりました。

当時は、病状悪化で生きるか死ぬかの間際で、執筆していたので、読者が置いてきぼりになってしまったという苦い思い出がありました。

まず、私の自己紹介をさせていただきます。

不幸自慢のように聞こえるかもしれませんが、気分を害されたら無言でブラウザバックしてください。
おそらく、私の特定は容易にできると思われますが、やめてください。
自衛のために誹謗中傷は受け付けません。

そもそも、生まれからして間違っていました。
父と母の結婚理由はいわゆる「できちゃった婚」。

長女である私が生まれた直後から、離婚を計画しているような両親。

色々あって母方の祖父母には「中絶しろ」と言われていた私ですが、今では二人も妹がいます。

父方の祖父母が育ててくれました。
まあ、この二人には恩を感じていますが、問題もあります。
祖母はヒステリックで私に圧をかけたり、嫁姑問題に巻き込んだりしてストレスでした。
祖父は典型的な亭主関白のアルコール依存症で、酒を呑むと人が変わります。
また、バブルで成功した二人なので、私の持病である「突発性パニック障害」を理解しようとすらしません。

母親は日常的に虐待。
引っ越した今でこそ、物理的なものはなくなりましたが、精神的苦痛を与えてくるのは相変わらずです。
母が子離れできないのは、虐待を無かったことにしたいのだと思っています。

父親は家族の皆から金を借りて、ブランド品を買うような人でした。
私たち子供の貯金さえ盗られたと、母は憤慨していましたが真偽不明です。
ですが、母よりもよほど優しかったので、家族が父をどんなに悪く言っても嫌いに離れませんでした。
それは、家族としての思い出だけが理由ではなく、私が父親に似ているからです。

私は、見た目が男性的な自分をコンプレックスに感じています。
化粧をすると下手な「女装した男性」にしか見えなかった時に自覚しました。
私は「女性らしくしろ」という学校や家庭の強要からもストレスを感じていたのだと。
生物学的には女性だが、心は違うかもしれない、と。

小学校の頃、男子生徒からのいじめと、体罰してきたりする教師によって過呼吸を経験。
しかし、母親には「成長によるホルモンバランスの乱れだ」と一刀両断されました。
自殺について考えだし、遺書を制作し始めたのもこの頃です。

中学校では本格的なイジメが始まりました。
特に部活では、顧問の人物が依怙贔屓(えこひいき)や部員の悪口を、堂々と皆の前で言いふらすような人でしたから、手が付けられない状態でした。

正直、友人がターゲットであったことや、私も実際に物を隠されたりしたので学校が嫌いでした。
教師は不登校の友人を連れだせと命令してくるので板挟み状態。
休みたくても、母親に反抗する勇気はなく、家よりはマシという理由で何とか登校できていました。

ただ、寝るのが怖くなり、その結果、昼夜逆転。
当然、授業中も睡魔に襲われ、受験直前に成績が急降下。
それまで、努力で好成績を保っていた私は、教師に名指しで叱責される問題児になってしまいました。
今まで、できたことができなくなる。
そんな自分が一番、嫌になりました。
自己否定、ネガティブ思考……これらは幼少期からでしたが、どんどん悪化していきました。

このころから、二次創作小説をpixivで始めました。
図解のつもりで描いた歴史上の人物のワンシーンを「落書きするな」という名目で、過剰に叱責を受けた影響を今でも引きずっていて、絵が描けなくなったからです。
一種のストレス発散でしたが、前述の友人に褒められ、執筆の楽しさを知りました。
コメントで続編を望まれると「これを完結させるまでは死にたくない」という義務感も生じました。
私にとって執筆活動こそが現実逃避の自己防衛であり、未練でした。

しかし、高校に入るとそうも言ってられなくなりました。
中学の内申点が振るわず、妥協で志望校を下げましたが、その高校も進学校。
とうとう突発性パニック障害として診断されます。
それも、インフルエンザになった影響で、しばらく学校を休んでしまい、余計に授業に追いつけなくなります。

また、部活も幽霊部員になってしまいました。
名誉と伝統のある放送部の一員でしたが、本番に弱く自信のない私には向いていなかったようです。

「薬剤師になり安定収入を得て、創作は趣味にしたい」という将来設計でしたが、理数系の成績が振るわず、文理選択で文系を苦渋の選択。
唯一の友人は理系なので、疎遠になりました。

このころから、人の顔を見て会話できなくなり、周囲の変化に気づかないほど、注意力散漫になりました。
家族の年齢や誕生日もわからなくなり、学校関係者は顔と名前を覚えられませんでした。
家庭にも学校にも逃げ場のない私は、さらに引きこもりに。
気にかけてくれる恩師も存在しましたが、私の複雑な心境を理解してくれたとは思えませんでした。

大学受験では、県内の文系の国公立を目指しました。
しかし、またもや学力が足りず、塾講師の助言もあって私立の短期大学を志望校にしました。
当時は、勉強道具を自分の貯金を削って買うしかないほど、家計が火の車でした。
私立の学費を母が負担してくれたのは、短期大学だからだと言っていました。
そのかわりに、私は30万の貯金を崩して免許を取得。
図書館司書資格も得ようとしていたうえに、アルバイトもして、忙しい日々でした。
大学生活は楽しかったのですが、突発性パニック障害により休む日も多かったです。
そして、コロナ禍によるリモート授業が減り、卒論を書き始めた頃、限界が訪れました。

私が生き続けても、明るいミライはない。
生きている限り迷惑をかけるようならば、私は死んだ方が良いのでは?
どうせ、自殺するなら学ぶ意味もない、と。

そんな折に、卒論担当の恩師から連絡が来てしまいます。
私は当初、自殺することは秘密にしておくつもりでした。
何故なら、「自殺の相談すると、された側は引き止めなければならないという義務感が発生する」と思ったからです。
他人に迷惑をかけてしまうだけで、お互いに傷つくだけだと考えていたのです。

しかし、何を話して何と言われたのか、覚えていない程に追い詰められていましたが、今も生きています。

たしか、客観的な視点を持てるこの先生にならば、自殺したいという思考からの抜け道を示してくれるのではと、全ての不安を洗いざらい話してしまったと記憶しています。

結果的には、家族以外に話してみることで、自殺を延期にすることができました。
しかし、あくまで延期です。

コロナによる就職氷河期。
何とか得た職であるクリエイター業は、やりがい搾取。
業務委託の出来高制で滅多に仕事の依頼が来ません。
それなのに、専属であるからと秘密保持契約と技術流出対策により、文字関係の副業禁止。
唯一の楽しみである二次創作も全面禁止でした。

私は更に死にたくなりました。
「いつまでもあると思うな親と金」
家族全員に邪魔者扱いされた私は、コロナで友人とも会えず、逃げ道がなくなりました。

自分に自信がないうえに、中途採用で重視される経験もない。
転職は何度も挑戦しましたが、上手くいきませんでした。

そして、私の過去の作品を見た人に何故か、過激思想ではないかと勘違いされ、電子機器をハッキングされました。

私は家族に個人情報を売られたのです。
風呂とお手洗いまで覗く母と、ネット上で特定してきてフォローしてくる父。
それから、インターネットや情報リテラシーについて、無知でありながら保守的な祖父母。
私が、家族に疑いの目を向けるのも当然でしょう。
母は暗に認めつつも、「それはお前のためだ」と正当化しています。
きっと、私が自殺しても自分のせいだとは認めないのでしょうね。

当然、私の持病は悪化し、現実と私の考えた作品との違いが、わからなくなってました。
最初は、パフォーマンスだったのに……今では恥ずかしすぎる記憶です。

そして、会社とも契約を切り、現在は職探し真っ只中です。

そんな現在ですが……果たして私は社会復帰できるのでしょうか。

今日から転職についてや、執筆進捗について記していくつもりです。
たまに、家族に対する愚痴も吐き出しますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

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