ショートショート16 深夜のファミレス
「知ってます? 深夜のファミレスの話」
いつも仕事を依頼してくれる編集者の山岡さんとの打ち合わせを終えた後。いつものように小説談義に花を咲かせていたところ「そういえば・・・」と山岡さんは話を振ってきた。
作者が創造したキャラクターは、作者の好きにしていいのか、キャラクターも一人の自我を持つ人間として扱うべきじゃないのか、という問題について僕はもう少し語っていたかったが、その表情から、おそらく僕の好きなタイプの話であろうとピンときた。山岡さんはこうしてどこからか仕入れてきた怖い話を僕に聞かせてくれるのだ。
「聞いたことないですね」と僕は正直に答える。深夜の〇〇といえば何でもそれらしく感じる。
深夜の公園、深夜の公衆トイレ、深夜の高速道路などなど。おそらくどこも暗くてじめっとした雰囲気があるからだろう。
しかし、深夜のファミレスはどうだろうか? いくら深夜でも店内は明るく、客は少なくても誰かはいるだろうし、どこかしらに店員が立っており、ボタン一つで呼び出せるのだから暗闇からくる不安や孤独による恐怖、緊張感がまるでない。早い話がホラーっぽくない。
「ほんとうですか! 今回は君塚さんにこそ聞いてほしい話なんですけどね~」
「どんな話なんです?」
「いや、僕の知り合いの編集者が体験した話なんですけどね…」
いかにも実話怪談っぽいお決まりの台詞から山岡さんは話しはじめた。
*****
僕の知り合いに三田村ってやつがいて、彼はK出版の文芸部で編集をしているんですけどね。担当している小説家から急に新作の原稿ができたから会って渡したい、できればすぐ読んでほしいと電話がきたんです。三田村は、そのとき定期刊行物の入稿前で忙しかったんで「また今度でいいですか?」と聞いたんですけど、なるべく急いでほしいと言うんですよ。とんでもない傑作だから、と。デビュー以降、鳴かず飛ばずで迷走中の作家だったんで…
ーえ? 小説家の名前ですか? 何だったかな…確か神崎だったかな? ご存じですか? まあ、そうですよね…と、まあ知名度がアレな人なんで三田村は迷ったんらしいんですけど、様子が変というか、何か異様に焦っているようだったんで、遅くなるし原稿は一旦受け取るだけになるけど、という条件で会うことにしたんです。データで送らせればいいじゃないかと思うんですけど、彼も一応担当編集としてその作家のことが心配だったんでしょうね。彼は、その場で読んでもらえないことに不服なようでしたが、仕方がないとファミレスを待ち合わせ場所に指定してきたそうなんです。K出版から車で少ししたところにある国道沿いの店なんですけど、ご存じです? え? 君塚さんの家から近いんですか? 偶然ですね。
で、その日の夜、仕事で遅くなっちゃって約束の21時からは1時間ほど遅れてファミレスに着いたらしいんですけど、例の作家先生は全然怒ってなくて。むしろ、三田村の姿を見かけると立ち上がって手を振り出したんですって。やっぱり変だなと思いつつ、誘われるまま窓際の席についたんです。
すると、小説家は封筒を三田村に差し出してくるわけです。持った感じなんか不均一で変だなと思い、チラッと中を覗くと大量の紙が入っていたんですよ。ノートとかメモ帳をちぎったやつから、紙ナプキンまで入っていたそうです。数枚取り出してみると、細かい字がびっしり並んでいて…。一応、ざっと読んだ感じ、きちんと小説にはなっていたらしいんですけどね。にしても異常でしょ? 三田村が驚いていると小説家は喜々として自分がこの小説をかき上げた経緯を語り始めたらしいんです。
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山岡さんの話によると小説家ー神崎何某氏は、3作目の長編の売れ行きが悪く、批評家からも総スカンを食らって以来、何も書けなくなっていたらしい。そんなとき、とあるファミレスで深夜に窓際の角の席で座っていると、女性の霊が映り込んでいるのが見えるという噂を聞く。女性の霊は20代半ばくらい。顔には血がべっとりとついていて、見たものは精神に異常をきたすというのだが…。
そんなうわさ話を作家仲間から聞いた彼は、ファミレスの場所を教えてほしいと言うがあいにくその作家は知らなかったらしい。うわさ話とはそういうものだろう。
それでも彼はあきらめず、うわさのもとをたどり、5人目で場所を知っている人に行きつく。そのうち4人が偶然にも自分と同じ小説家(残る一人はルポライターだったらしい)だったこともあり、彼はこのうわさこそ自分が書くべき題材だと確信するようになる。今までは純文学寄りの作風だったがホラーへの造詣はもともとあり、ホラー小説の人気は今も根強い。取材する段階も含めて赤裸々に語ることで今流行りのフェイクドキュメンタリー風にもできる算段もあったのだろう。
彼は話にあったファミレスに行き(22時ごろに向かったらしい)、運よく例の席に座れたことで運命をより強く感じたのかもしれない。
席について3時間ほどは何も起きなかった。しかし、時計の針が2時半を指そうしていたころ…。
いた。
窓には間違いなく女性が映り込んでいた。窓の向こうの駐車場に立っているのではなく、窓に映り込んでいる。
噂ほど髪は長くなく肩ほどまでで、前髪は眉のやや上できれいにそろえられていたが、 顔には血が飛び散っており、ワンピースの胸元あたりはべっとりと赤黒く染まっているーように見えた。こんな女性が店内にいれば大騒ぎになるはずだし、もちろん窓の外に立っているにしては見え方がおかしい。彼は、ひと目でこの世のものではないとわかった。
だってー。おかしいじゃないか。血まみれの女性が店内に、窓に映り込むような位置にいれば、店員やほかの客が大騒ぎするだろう。だが、誰も気にしていない、ということは、女性はここにはいないのだ。
怖い。怖いのだが、なぜか目が離せなかったという。
窓に映り込む彼女は、どこか妖艶さすらたたえており、ややうつむき加減の顔から見える瞳は黒く、まるでこの世の深淵を覗き込んできたかのような暗さと絶望と悲しみが宿っていて、吸い込まれそうだった。
どのくらいそうしていたのかわからない。突然、彼は何かに取り憑かれたかのように目の前にある紙という紙を使い、ペンを走らせていた。
そうして書き上げた小説を見せ神崎氏は言ったそうだ。
「啓示がきたんだ。僕はそこから完全オリジナルの小説を書き上げたんだ」と。
*****
「よく、わからないですね」と僕は率直な感想を述べた。「なんか、そのファミレスにいわくでもあるんですか?」
「え? そっちに興味があるんですか?」と山岡さんは驚く。
どうやら、僕がもともと小説家志望だったので、神崎氏が書いた小説に関心が向くと思ったんだろう。まあ、今も小説家の夢を捨てきれてないのは事実だが…。
「だって、怖い話ですよね? いわゆる」
「まあ、そうなんですけどね」
「深夜のファミレスに血まみれの女性の霊が出る。で、霊を見てどうなっちゃうっていうのはお決まりのパターンじゃないですか」
「でも、変でしょ? 紙ナプキンとかにまで書いちゃうんですから」
「まあ、それは変だけどさ…」
深夜のファミレスの窓に映り込む女性の霊。それを見た作家が狂ったように小説を書き始める。ノートだけでは足りず、紙ナプキンまで使って。手書きで。血走った眼で…。
「よくある話として考えられるのが…」と僕は話をもとに持論を展開する。
例えば、そのファミレスで女性が殺されるという陰惨な事件がある。通り魔的な犯行かもしれないし、妬み、嫉みからくる私怨かもしれない。あるいはー。犯人側がこちらの想像もつかないような恐ろしく理不尽な理由で凶行に及んだのかもしれない。なんにせよ、殺された女性の死に対する恐怖や、痛みは相当なものだっただろう。そんな気持ちが霊となってあられる。彼女の死の直前に感じた恐怖やこの世への未練、犯人への憎悪が見たものを狂わせる。今回の場合、神崎氏が作家だったため、創作行為としてあらわれた。彼女の想いを作品として昇華したいと思ったのかもしれない、とすれば…。
「その神崎さんって人はどんな小説を書いたんですか?」
「いや、最初に日常的な描写があった後は、延々と悪趣味な描写が続くそうなんですよ」
「悪趣味?」
「ええ。その…女性が殺されるシーンがずっと続くらしいんです」
「女性が…やっぱりそのファミレスで、ですか」
「おそらく、そうなんでしょうね。ちょっとそこまでは聞けてないですけど。なにせ三田村もその場ではあんまり読まなかったらしいんで。なんでも神崎氏がずっとニヤニヤして感想を求めてきたらしいんですよ。またゆっくり読むからと帰ったんですけど、まあ気持ち悪いですよね」
「もしそうだとしたら…」やはり、ファミレスで何かしらの恨みを残して死んだ女の霊ということになるように思う。
僕がそう話すと、山岡さんはかぶりを振る。
「いや、まあ怪談的にはそういうことだと思うじゃないですか? でもね、そのファミレスにそんな“いわく”なんてないらしいんですよ」
*****
ー美しい…。
姿見に映る自分の姿を確認すると、思わず笑みがこぼれる。思っていたよりも化粧のりもよく、整えたばかりのヘアスタイルは、卵型の輪郭とやや切れ長の目、少し丸みを帯びた鼻を際立てている。この日のために新調したワンピースもぴったりだ。
くるりと回ると、スカートがひらりと舞い、花のような香りがふわりと周囲に広がる。 完璧だ。髪型、服装、匂いまで。
もう一度自分の姿を念入りに確認していると、口紅を塗り忘れていたことに気付き、慌てて化粧ポーチから取り出す。
よし、今度こそ完璧だ。
またこれで一歩彼女に近づいた。
*****
打ち合わせをして数日後、K出版の三田村さんから例の原稿が届いた。
僕が山岡さん経由で頼んだのだ。
どうも変な話だ。深夜のファミレスに現れる女を見て、神崎氏はおかしくなり、変な小説を書き上げた。小説云々は置いておくと、よくある怪談のパターンに思える。
しかしー。そのファミレスには過去に事件も事故もないらしい。
まあ、あのファミレスなら僕も存在は知っているし、割と近い。そんな凄惨な事件があれば、ニュースにもなり気づくはずだ。
念のため、調べてみたがやはり見当たらなかった。近くを通る国道で男性が事故死したこともあったようだが、窓の向こうは駐車場だし、もし、ファミレスの外で死んだのなら窓の外に立っているものではないだろうか。
まあ、怪談話にこんな理屈が通用するかはわからないが、気にはなる。小説の題材にはなりそうだ、と僕は久しぶりに書いてみようと考えていた。
そこで、いち怪談好きとしてだけでなく小説家志望だった人間として、神崎氏の小説が読みたいと思ったのだ。
封の中を机の上にあけると、ホッチキス止めされた100枚程度の紙が出てきた。
大枠はノートをちぎったもののようだが、時折メモや紙ナプキンが混ざっている。
山岡さんから聞いた通りで、やはり神崎氏はおかしな小説を書いたようだ。
紙の束を整え、読み始めようとしたとき、電話が鳴る。
知らない携帯番号からだ。仕事関係の可能性もあるので出てみると、三田村さんだった。おそらく山岡さんから僕の番号を聞いたのだろう。律儀な人だなと原稿を送ってくれた礼を言おうとすると。
「あの、原稿読みました?」とやや早口に聞いてくる。
「いや、これからなんですがー」
「やばいですよね?」
「いや、ですから…」
「山岡さんから聞いてます?」
「ええ、だいたいのことは」
「ないんですよ」
「何がですか?」
「だから、事件なんて起こってないんです」
「は?」どうにも様子がおかしい。それは山岡さんから聞いてる。
「調べたんですよ。でも、出てこないんです」
「ええ。それはー」
「調べても調べてもあそこでは何も出てこないんですよ」私の言葉を遮り彼は続ける。「変じゃないですか!だって、だってー」
「三田村さん、落ち着いてください!」
「だって、彼女はいるんですから!」
思わず受話器を耳から話したくなるような大声で彼は怒鳴り、通話は切れた。
山岡さんから神崎氏が音信不通になったと連絡を受けたのは、それからしばらくしてからだった。
****
ー神崎 誠著 タイトル不明原稿より抜粋ー
まただ。間違いなくいる。いつからだろう。思い出せない。
最初は偶然かと思っていたが、毎日同じ車両に乗り、同じ駅で降りる。
仕事中はさすがに姿を見せないが、お昼にランチへ行くとアイツは必ずそこにいる。
××××××××
怖い。ずっと追ってくる。
今日はついに会社のトイレにでにまで姿を現した。化粧直しをしていたとき、鏡越しで アイツが見えたとき、恐怖のあまり声がでなかった。
私は反射的にアイツを押しのけ、トイレを出た。
まだリップを塗りなおしていなかったが、とても戻る気にはなれなかった。視界の隅でかすかにアイツはかすかに笑っているように見えた。
××××××××
少しだけ残業をして会社を出ると、アイツがいた。すぐさま逃げるように駆けだす。
そもそもなぜこんなことになったのか。
私が何をしたというのか。
もちろん、SNSで友人の悪口をいうこともあるし、缶ビールをポイ捨てしたこともある。
満員電車で目の前にしんどそうな人がいても席をゆずらないこともあっただろう。
仕事の責任を他人に擦り付けたことだってある。
でもー。そんなこと誰だってしていることじゃないか。
SNSなんてみんな好き放題言ってるし、缶ビールもゴミ箱があふれていたから近くに置いた。
電車だって私は疲れていたのだ。仕事も最終的には最後までやった。
それなのにー。
なぜ私がー。
さすがに走り疲れて立ち止まる。振り返るとアイツは見えないが、いずれ追ってくる。 このまま一人の家に帰るのも怖い。
どうしたものかー。迷ってあたりを見回すとファミレスがあった。
あそこなら人も多くて安心だ。
今は、帰宅ラッシュも過ぎてやや半端な時間だが、もう少しすると外で飲んだり、夕飯を済ませた人たちでもう少し人通りが多くなる。それまでだ。それまであそこで時間をつぶそう。私は店内へと足を踏み入れた。
××××××××
うまく撒けただろうか。案内された窓際の角の席に座り、一息つく。普通つけられている人間は、いち早く帰りたいと思う。まさか、ファミレスで呑気に時間をつぶしているとは思わないはずだ。
それに、ここなら万が一アイツがきても手出しはできないはずだ。まあ、そもそも今まで何もされていないのだけど…。
ため息をつきながら髪をまとめ、ふと窓の外を見ると…。
アイツがいた。
××××××××
悲鳴をあげたつもりだったが、恐怖のあまり声にならなかった。
アイツはニコニコと笑いながら私のもとに近づいて来る。
手にはU('9%4""!#$が握られて'k7jg6&xxkajiな"6'&'T%&%HO=~=.
{*+LOL~L`''%$##////
××××××××
アイツは私の上に覆いかぶさり、刃物を振り上げた。
反射的に目を閉じたが次の瞬間、激痛に襲われる。声を出そうとしたが、アイツの手で口が覆われ息だけが漏れる。ナイフが抜かれ、全身を貫くような痛みが走った。
一息つく間もなく、次は太ももを刺された。熱い。アイツは腕をひねり、傷口をえぐるように動かしてくる。思い切り声にならない声をあげる。痛みに耐えるようアイツの指に嚙みついたが、アイツの手が緩むことはなかった。
痛い…自然と目に涙があふれてくる。痛い…。痛い…。なんで私がこんな目に。
ナイフは再び引き抜かれ、痛みが横腹を貫いき、そのままアイツは刃を横へと動かし…。 {*+LOL~L`''%$##////!!
痛い! 痛い!! 痛い!!!
なんで、私が…。なんで・・・(略)。
******
延々と殺害描写が続く上、手書きのため不明瞭な部分もいくつかある。作品としての厚みもないが一応、最後まで読み、原稿を机の上に放り投げる。
舞台はあのファミレスだろう。
それにしても実にむごい話だ。
見も知らぬストーカーに嬲り殺された女性の恐怖を思えば、霊的な何かになって現れ、怪異を引き起こしても無理はない。
もし、そんな事実があれば、だ。
そして、小説に書かれていたような事件は実際に起こってはいない。
すべて神崎氏の創作だ。
神崎氏のことを調べると年は僕と同じくらいの30代半ば。
線がほそく美形といって差支えないルックスだ。そういえば、受賞したとき何冊か雑誌のインタビューに出ていたのを思い出す。
デビュー作は純文系の新人賞を獲得しているが、そこからは鳴かず飛ばずというのは本当のようだ。
何か強い衝動にかられ、作品を書くことは作家、アーティスト的な仕事をしていればあることだろうと思うが、そのきっかけを明かす必要はない。単純に書いたといえばいいだけだ。しかし、神崎氏は怪異を、女性の霊を見て、その霊から啓示を受けたのだという。そして、神崎氏は音信不通。先ほど僕が電話で話した三田村さんの様子も普通じゃなかった。 怪異、不可解な出来事は間違いなく起こっている。
僕自身作家志望の人間として不謹慎ながらどうしようもなくこの出来事にひきつけられている。時間を見ると、23時を少し回ったところだった。
例のファミレスに行ってみようと僕は決意した。
******
店内に足を踏み入れると、平日の夜のせいかほとんど客はいなかった。
若い男性店員に人数を聞かれると、案内される前に窓際の席でいいかと聞く。
店員は特段不思議がる風でもなく、僕を案内する。
席に座り、簡単な夜食とドリンクバーを注文した。
「かしこまりました」と去ろうとする店員に僕は声を掛けた。
「あの、ここで昔事件とか起きてませんよね?」
「事件?」
「その、女性が襲われたりとか…?」
「いえ、特には…」
まあ、この若い店員に聞いても仕方のないことだと思っていたら「あ、そういえば…」と言うので詳しく聞かせてほしいと頼むと、何てことはないカップルの痴話喧嘩だった…。
食事を終えると0時過ぎ。うわさの時間まではまだある。
コーヒーを飲みながら、持ってきた文庫本を開き、時間になるのを待つ。
そして…。
例の時間になる。
本を閉じ、ゆっくりと窓の方を見たがそこに広がるのは、背景のファミレスの映りこみで、血まみれの女性など現れない。
10分近くそうしてしばらく窓を見ていたが…。
何も起きなかった。
机の上に取り出した原稿用紙を見て自嘲気味に笑う。
まったく馬鹿げてる。こういうものにすがって小説を書こうとした自分が恥ずかしい。 帰宅準備のために原稿用紙を鞄に仕舞い込み、ふと窓を見るとー。
ー女がいた。
ワンピースを着て、手には刃物が握られており、髪は眉の上できれいに…。
噂で聞いた通りの霊が…。
いや、違うー。これは…。”いる”!
バッと振り返ると、そいつは奇声を上げながら僕に飛びかかってきた。
******
「災難でしたね」山岡さんが僕に同情する。
いつものファミレス(あのファミレスとは違う)での打ち合わせで、僕は三田村さんにことのあらましを語ったのだ。
ーあのとき。
襲い掛かられたとき、僕は反射的に鞄を盾にして何とか最悪の事態を避けたのだ。
ほどなく、異変に気付いた男性店員数名がそいつを取り押さえた。そいつは抵抗し、髪の毛がーいやカツラが床に落ちた。
女装していたのだ。噂の霊そっくりに。
カツラやワンピース、施された化粧が良く似合っていたが、そいつは間違いなく神崎氏だった。
「にしてもどういう意味なんでしょう?」と山岡さんは首をかしげる。
「わからないよ、でも…」
神崎さんがおかしかったってことじゃないかな、と僕はとりあえずの推論を述べる。
どこから出た噂か知らないが、深夜のファミレスに出る女性の幽霊譚はよくある怪談話。それを真に受けた神崎氏が、幻を見て最後にはおかしくなった…と考えるのが妥当なように思う。
「まあ、部屋に薬物もあったみたいですしね」
警察が彼の家を捜索すると、化粧品や女性ものの衣類のほかに、違法薬物が見つかったらしい。スランプに悩んだ末、ということだろう。
「そういえば、三田村さんは?」と僕は聞く。妙な電話を残して以来、連絡がきていない。神崎氏の原稿を読み取り乱したにしても様子がおかしかった。
「いや、僕からはまだ連絡してないんですよ。君塚さんからしたらどうです? ひょっとしたら仕事もらえるかもしれませんよ」
「余計なお世話だよ」と私は答えたが、帰宅後さっそく電話してみることにした。
多少の下心はあったが、やはり気になったのだ。
山岡さんには話していなかったが、僕にはある予感があった。
僕も山岡さんも噂の霊が被害者のものだと思い込んでいたが、加害者のものだったとしたら…。
ガラスに映り込む女性は短髪だが、神崎氏の小説内で被害者は髪をまとめるほど長いのだ。
そして、血に濡れた顔。あれは刺されたことによる出血ではなく、刺したことによる返り血ではないだろうか。
神崎氏は啓示は受けたがオリジナルと言った。あれは、加害者側から受けたイメージに被害者側のドラマを作ったということだとしたら。
噂や小説の描写、そして最終的に神崎氏が取った行動を考えるとその方がしっくりくる。
となると…事件などなくても“彼女”はいるのではないだろうか…。
コール音がしばらく続く。そして、応答する気配がした。
ザッというノイズ音。
「もしもし、三田村さん?」話しかけるが返答はない。
何やら声がする。少しくぐもってはいるが女性の声だ。
そして…。
「邪魔しないでよ」と、“それ”はいった。「もうすぐで完成するんだから」と。
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