ことばはいつだって、愛であり魔法であってほしい。
人は出会ったことばでできている
勇気付けられたことば
寄り添うことば
ひとりぼっちのことば
繋がることば
すれ違うことば
ことばにつまづいたり傷ついたり
でも人はことばに出会い
力をもらい前を向くことができる
ひとりじゃないと感じることができる
きっとだれかと繋がっていると思うことができる
人は出会ったことばでできている
静かに ずっと
言葉と、生きていく。
はじめて聞いたときから、頭を離れない聖教新聞のCM。
最近はほとんどテレビを見ないのだけど、いいタイミングでテレビ見ていてよかったと思った。出会うべくして出会ったのかな。
ことばについては以前も書いたのだけど、わたしにとってことばはとても大切なものだ。
ことばが持つエネルギーのこと、ことばの概念について、、本当によく考えている。だから、こういうnoteというコンテンツにもお世話になっているのだと思う。
「人は出会ったことばでできている」本当にそう、で。わたしの今までを振り返ると本当に多くのことばでしあわせになって、感動して、浄化して、許して、泣いて、怒って、責めて、傷ついた。きっとその逆も然り。いいことだけならいいのだけど、きっと悪いことも。。
わたしの一部となって生きることで昇華している気さえしていることばたちは大切な人だったり、すきなモデルさん、アーティスト、本、ホームにある看板、電車の中にある広告、なにげなく読んだWEBの記事、見知らぬだれかのもう2度と探せないような不意に目に入ったツイート・・・だったり。
いつだって、ことばがそばに在る。
このCMを聞いたときは、もしそうならば、なるべくきれいなことばだけを吸収して、放っていたいと思った。けど、少し考えてみたら別にきれいでなくてもいいから、たっくさんのことばに出会いたいと思った。きれいかきれいじゃないなんて主観に過ぎないから、個人の感想は置いといて、色んなことばの表現を感じたいと思った。ただ、必ず愛のあるものだけ。
*
この前ことばのパワーを感じることがあった。
SLF講師(このはなしはまた今度。)仲間のりさちゃんがインスタに、息子くんとのエピソードを綴っていた。
4歳の息子くんが、おむつがとれていたのに、連日の熱帯夜でクーラーや扇風機をかけて寝ていたらおねしょをするようになってしまったらしい。
そこでりさちゃんは、「よっし!おねしょしなくなるおまじないかけたろ」と、寝る前にちちんぷいぷいをしてあげたそう。
次の日、息子くんはおねしょをしなかった。
それから毎晩、息子くんはおまじないをお願いしてきた、それ以降おねしょをしなくなったそう。
ほっこり。すごいなぁ、すごい。。
こういう話を聞くと、シンプルにまだ見ぬわたしの分身に想いを馳せてしまう。今回はそういう話ではないのだけどね。
おまじないなんて口だけで
特別な魔法でもなんでもなく
ただ、おまじないをかけてもらうことにより
自分はおねしょしない、大丈夫なんだ
という自信が息子の中で生まれ
その結果、おねしょをしなくなった。
に繋がったんやと思う。
と、書いてある部分が印象的だった。
おまじないは口だけで、特別な魔法でもなんでもないと書いてあるけど、息子くんにとっては、この時この世界でいちばん最強の魔法だったと思う。
だいすきなママから放たれたことばは、彼を強くしたんだと感じた。
ことばを単体で考えたら、それはただのことばでしかないのだけど、りさちゃんの想いや愛が詰まっていて、りさちゃん自身が息子くんのことを信じているから、偉大な言魂となり、彼にパワーが注入されたんだと思う。
こどももおとなも関係なく、「自分を信じること」ってとても難しいことだと思っている。だから、いかに自分を信じさせてくれる人やことばに出会い続けることが大切だな、と。これは、31年生きていて最も感じていること。
わたしは自分を信じることができない期間がものすごく長かった。今は少しずつ自分を信じられていた無邪気なこどもの時の感覚を取り戻しつつあるけど、正直まだまだだなと感じる。
でも、ある時大切な人たちが
「自分のことが信じられなくなっても、僕たちが信じてるから大丈夫だよ。」
と言ってくれた。
このことばを聞いたとき、どんな時も信じてくれる人がいるのに、自分自身が自分を信じることができないのはいけないな、と思ったし、信じたいという気持ちがより一層つよくなった。
ことばって刃物にもなるけど、愛にもなる。
呪いにもなるけど、魔法にもなる。
ことばは人間だけができるコミュニケーションツール。
最強のアイテム。
だれかを傷つけるためのものじゃない。
いつだってことばに愛だけを乗せて、放ちたいと思う。
ありがとうございます*いただいたサポートはお勉強と旅行の資金に使わせていただきます^^