過去の住人と僕と未来の住人の「ビルドの説」
引越すことにした。最寄り駅は変わったけど、すぐ近所だ。別に、キャンパス移動みたいな必要に駆られているわけではない。
部屋の更新が近づいてきて、23区内なのに家賃4万円台の今の部屋を見回し、「更新すればきっとあと2年後もここに住み、28歳をこの部屋で迎えるのか?」と思うと泣きたくなるような絶望感に襲われて、引越しを決意した。
でも、物件を探しているうちに、なんだかんだまた4万円台の部屋に決まった。
しかも、なかなか良い部屋である代わりに、「4年以上住む方限定」という条件付きだった。だから、僕は結局、家賃4万円台の部屋で30歳を迎えることになる。
もうがっつり引越し作業をしなければいけないフェイズに入っているのだが、昨日突如「30歳。」と思ってブルーになってきたので、引越し用のテンションを上げるために香山哲『ビルドの説』を再読した。
「ビルド」とは何か。
例えば新しいアパートに引っ越してきて、必需品とかを買い足したりしていって
そこに無かったはずの自分の快適が新しく発生するのが好きなんだ。
そういうのを組み上げていくことを、「ビルド」とよびます。…僕は。
ビルドには色々な形があります。
「自分の快適や充実を、無い場所に作りだすこと」なら大体どんなものでもビルドだからね。
めちゃ良い漫画なんでぜひ読んでみてください。例に出されているように、引越し、および新住居への対応は、代表的なビルドだ。
読み終えて無事、新生活へのモチベが上がり、鍵を受取済みの新しい部屋に、サイズを測りに行った。
すると、部屋の内見のときには気づかなかった、ちっちゃなちっちゃなフックを見つけた。前の住人が粘着テープで取り付けて、引越すときに外し忘れたのだろう。もちろん、今は何もかかっていない。照明やクーラーのリモコンをかける場所でもないようである。
さらに、ユニットバス前の天井にはつっぱり棒が。
『ビルドの説』読みたての自分の心が、静かに喜びで震えるのがわかった。これは前の住人のビルドだ。前の住人は、フックとつっぱり棒で自分のための快適で便利な城を作り上げたんだ。
しかも、今となっては何のためのフックとつっぱり棒なのか、全くわからないのがロマンがある。僕はいつか住んでいくうちに、「ああ、ここにつっぱり棒があってよかった!」と思う日が来るんだろうか。きっと思うんだろう、30歳を迎えるまでには。
そう思うと、僕が今の部屋で気づいて・築いてきたビルドも愛おしくなってきた。
安い物件なので、もちろんユニットバスなのだが、激安物件なので、もっと不便だ。明かりと換気扇が連動して、一つのスイッチで動くのである。明かりを消したあとに、換気扇はしばらく動いたのち、止まる。
同じ仕組みのスイッチは、風呂トイレ別物件でなら、一度見たことがある。しかも、かなり上等な一軒家のトイレで。明かりを消したあとも換気扇が回しっぱなしになって電気代が無駄になる、ということがなくて便利なんだろう。
でも、ユニットバスにそれを搭載するのはアホだ。風呂場が湿気って湿気ってしかたがない。
でも電気をつけっぱなしにするわけにはいかないので、住んでから1年ぐらいは、ユニットバスの扉を全開にすることでなんとか湿気に対処しようとしていたように思う。
だがある日、スイッチを「半押し」にすると、電気だけ消え、換気扇だけを回し続けられることを発見した。
※全押しのスイッチ(上)と半押しのスイッチ(下)。
これを発見したときは小躍りしたな。こういうコツも「ビルド」だ。
コツタイプのビルドで思い出した。
激安物件のご多分に漏れず、風呂は水と熱湯の量を調整するタイプ(サーモスタット混合栓というらしい)なのだが、今の部屋は特にシビアなバランス感覚が要求された。
あまりに難しいので、引っ越してきて3日間ぐらいは熱湯だけを出し、自分はバスタブにしゃがみ、シャワーヘッドから床に落ちるまでのちょっと冷めた温度でシャワーを浴びていた。
前の部屋もこのタイプのシャワーだったが、やはり「水の呼吸」が聞こえるようになるまでには1週間はかかる。なお、熱湯を安定する「閾値」まで出した後に、水をちょっとずつ足すのがコツだと思われる。
6年かけてビルドを構築したこの部屋とも、明後日でお別れかあ。
そう思うと、最寄り駅の不便さと、風呂のあまりの汚さ(「エプロン」付のものすごく掃除しづらい作りになっていて、夏場になるとチョウバエが湧く)に絶望して引越しを決意したけど、総合的には良い部屋だった気がする。
次に住む未来の住人も、どうかこの部屋のビルド方法に気づいていってほしい。手元で止水できるシャワーヘッドは君に託そう。僕は僕で、フックとつっぱり棒の謎に挑むから。
研究経費(書籍、文房具、機材、映像資料など)のために使わせていただきます。