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霜降りの宇宙飛行士

昨日の伊集院光のラジオ「深夜の馬鹿力」で、興味深い話を聞いた。

宇宙における牛の便利さである。


伊集院光が「コズミックフロント☆NEXT」という番組で、火星移住の「移(移動)・食・住」について研究者とトークしたらしい。

研究者によれば、ロケットに乗る人間は、無駄を極力減らすために、複数の役割を果たせる方がよい。そして、その役割というのも、実は「ムードメーカー役」とかが意外と大事だったりするのである。

というのも、狭い閉鎖空間で共同生活するのは、人間に想像以上のストレスがかかるからだ。気難しい人が集まったら、すぐに気が狂ってしまう。

だから、単に工学やら地学やら医学やらのエキスパートを乗せればいいわけではない。エキスパートでかつ面白い人じゃないと、宇宙飛行士にはなれないのだ。


と、まあ、ここまでは『宇宙兄弟』でも読んでいれば知っている話だ。大事なのはここからである。


人と同様、食料もコスパよく運ばなければならない。だから、これからの時代は、加工済み宇宙食を日数分ひたすら積み込むなんてことはせずに、ロケットの中で「つくる」のだ。工場栽培みたいにして野菜を育てたりするらしいのである。


以上の話を聞いた伊集院光は、番組本番前の休憩時間に、「じゃあ、牛ってすごくないですか?」と言ってみたそうだ。

牛は、馬やラクダのように、人・モノの移動に使うことができる。

そして、人間に牛乳を供給してくれる。餌となる干し草は腐らない。

かつ、いざとなれば火を通して肉として食える。

つまり牛は、宇宙空間に適した、複数の役割を同時に果たしてくれる食料であるわけだ。「しかも牛は面白い!」と伊集院は言っていた。面白い????


偉い研究者の方々も、「これはすごい!」と伊集院の発想力を褒めてくれたらしい。たしかに、牛を「便利」という価値観で捉えたことはなかった。


ここからさらに、「食べられる乗組員」って最高なのでは!!? と伊集院がひらめいた。

ロケットを安全に発射させる技術などは誰よりも優れていて、いざその役割を果たし終えたら、食ってしまう。しかも超おいしい。霜降りだ。


まあ当然というか何というか、さすがに研究者はドン引きだったらしい。

「仲間」を食べることは、倫理的にどうなのか? 

いざ、ある分野においてはその場の誰よりも賢い、その「人じゃない人」を食べる段になって、宇宙飛行士は「彼(女)」を本当に食べられるか……?

どんよりとした空気のまま、本番の撮影が始まってしまった……という話だった。


「鳴き声が『オイシイヨ!』だったら?」

「模様が食品メーカーのロゴっぽければ大丈夫なんじゃ?」

と、ラジオで伊集院光の妄想はさらに加速していったが、これという答えは出ないまま、次のコーナーへと移ってしまった。



以上のトークを聞いて、思い出した記事があった。

自分自身やマツコ・デラックスにそっくりなアンドロイドを作ったりしている超有名ロボット工学者・石黒浩先生が、グルメサイトのインタビューに答えた記事だ。

《あの石黒浩教授にサシ飲みインタビュー! ロボット社会における食の未来はどうなる?》


読んでもらえばわかるが、石黒先生は本当に天才だ。発想力が違う。

「メールでもらった『食とロボット』ってテーマが気になってね。なんやったっけ? 質問、先にいっぺん全部言うて」

と言って、用意されていた質問を全部聞き終わると、しばらく考えた末におもむろに口を開き、「食に関するロボットってね、3通りあるんですよ」と話し始める。

まず1つは、ごはんを食べて味が分かるロボット。これはすでに、九州大学で作られている。

2つ目に、ごはんを作るロボット。これもすでに、回転寿司のシャリをいい感じに用意してくれるものなどが実用化している。


そして3つ目が、食べられるロボットだ。

石黒「食べられるロボットっていうのはできることはできるんです。金属でロボット作らないといけないというルールはないので。だから食べられるものを部品にして動くロボットを作る。
もちろん動力源も食べられる。たとえば草食べて成長するようなロボットができるかもしれない。現にハエを食べて酵素で分解してエネルギーで動くロボットがイギリスで開発されているんです」
――どういうときにつかうんですか?
石黒「だって食べてみたいと思わない? ロボット。食べてみたいでしょ。お菓子やったら最高やん。ロボットの踊り食いみたいなんできる」
踊り食い。発想のパンチが効きすぎている……。この日は石黒先生の仲間であり共同でロボット製作をしているヴイストン(vstone)株式会社の方々も同席されていたのだが、全員ポカーンである。


要するに、僕の中でこの2つの話題が結びつき、「食べられるロボット」をロケットに積めばいいじゃん! と思ったのだ。

たとえば、火星に着いたら、それに石なんかを拾わせる。無事に役割を果たしたら、人間が食べる。賢い「人じゃない人」を食べるより罪悪感がなさそうだし、動物に芸を教え込むより、機械を食材でつくるほうがよっぽど簡単そうだ。

これはすごい! と自分にほれぼれした。


だが、石黒先生は続ける。

でもね、ロボットが食べれるようになったらすごく生物的な感じがするはずだよ。だってロボットの目的って生物じゃん。生き物っぽくしようってやってたわけでしょ。生き物のひとつの定義は食えるってことだからね。だから食べれるロボット作ったら急に生モノっぽくなる。


食べられるロボットは、「生物」に近づく。「生きている」感じがする。

もしも、ソフトバンクのPepper君みたいな「食べられるロボット」がロケットに乗っていて、尋常じゃないストレスがかかる極限状態のなか、チームの仲間として長い時間を共に過ごしたら……? 宇宙飛行士はやっぱり、「彼」を食べる気にはならないかもしれない。


結局、食料に宇宙生活技術をプラスしても、宇宙生活技術に食料であることをプラスしても、同じ倫理的問題が発生してしまう気がするのだ。

うーん、どうすればいいのだろう。なるほど、火星移住とはかくも難しいものなのか。



まあ、いざとなれば、伊集院光を宇宙に連れていけばいいと思う。

可食部も多いし、霜降りだ。しかも面白い。



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