リベンジ・トロピカル-対称化(2)
トロピカルに無理矢理マイナスを入れよう。
そんな気持ちから解説をはじめたリベンジ・トロピカル、対称化トロピカル演算の今回は第二回です。
前回の記事はこちら。
あらすじ
トロピカル演算にはマイナスがない。
・和$${\oplus}$$をmaxにし、積$${\otimes}$$を通常和とみなした計算ルール
・積単位元は0,零元は$${-\infty}$$にするよ!
ここまでが普通のトロピカル。
対称化に際して計算規則が変わるよって話で、
$$
A=\begin{pmatrix}a\\b\end{pmatrix},\;\boxminus A=\begin{pmatrix}b\\a\end{pmatrix},\;A^\bullet=\begin{pmatrix}a\oplus b\\b\oplus a\end{pmatrix}
$$
という二成分の数を用意し、マイナスとバランスと呼ばれる演算
$$
\boxminus A=\begin{pmatrix}b\\a\end{pmatrix},\;A^\bullet=\begin{pmatrix}a\oplus b\\b\oplus a\end{pmatrix}
$$
を定義した上で、
$$
\begin{array}{}\begin{pmatrix}a\\b\end{pmatrix}\boxplus\begin{pmatrix}c\\d\end{pmatrix}&=&\begin{pmatrix}a\oplus c\\b\oplus d\end{pmatrix}\\\begin{pmatrix}a\\b\end{pmatrix}\boxtimes\begin{pmatrix}c\\d\end{pmatrix}&=&\begin{pmatrix}a\otimes c\oplus b\otimes d\\a\otimes d\oplus b\otimes c\end{pmatrix}\end{array}
$$
と定め、こやつの零元と積単位元は
$$
O=\begin{pmatrix}-\infty\\-\infty\end{pmatrix},\;I=\begin{pmatrix}0\\-\infty\end{pmatrix}
$$
とするっていうのがルールでした。
長い! 複雑!
ゼロ(零元ではなく)をバランスした数で表す。
そういう事情(結論?)があるので、いわゆる等式の概念まで変えていくことになります。
そのためにバランス演算というものを考えます。
$${A=\begin{pmatrix}a\\b\end{pmatrix},P=\begin{pmatrix}p\\q\end{pmatrix}}$$とします。
で、バランス演算$${A\overset{\mathcal B}{\triangledown}P}$$とは、
$$
\begin{array}{}A\overset{\mathcal B}{\triangledown}P:\begin{cases}A\bigtriangledown P&(a\neq bかつp\neq qのとき, &a\oplus q=b\oplus pならば)\\A=P&(a=bまたはp=qのとき, &a=pかつb=qならば)\end{cases}\end{array}
$$
うわっ。長っ。
なんだかとても複雑な分岐です。
ちょっと書くのが難しいんですが、要はまず成分間の関係として、
$$
\begin{array}{}a\neq bかつp\neq q&\Rightarrow&A\bigtriangledown Pの判定&(a\oplus q=b\oplus pなのか)\\a=bまたはp=q&\Rightarrow&A=Pの判定&(a=pかつb=qなのか)\end{array}
$$
で、いずれかの判定基準を満たせれば$${A\overset{\mathcal B}{\triangledown}P}$$と書ける、ということです。
なぜこんなことになってしまったのかというと、
じつは本来最初に導入されるバランス演算(元祖)は$${\bigtriangledown}$$なのです。
しかしこのバランス演算$${\bigtriangledown}$$は推移律を満たしません。
推移律というのは、
$$
A=BかつB=C\Rightarrow A=C
$$
というものです。
等号で書いたらそんなの当たり前じゃんって感じですが、そりゃ数学が推移律をなるべく満たすように作られているからであって、もっともっと身近で曖昧な例だと成り立たないことが多々あるんです。
実際この元祖バランス演算は、
$$
\begin{pmatrix}3\\3\end{pmatrix}\bigtriangledown\begin{pmatrix}3\\1\end{pmatrix},\begin{pmatrix}3\\3\end{pmatrix}\bigtriangledown\begin{pmatrix}1\\1\end{pmatrix}
$$
ですが、
$$
\begin{pmatrix}3\\1\end{pmatrix}\cancel{\bigtriangledown}\begin{pmatrix}1\\1\end{pmatrix}
$$
です。
つまり
$$
A\bigtriangledown B,B\bigtriangledown C,C\cancel{\bigtriangledown} A
$$
ということですから推移律が不成立ですね。
たとえば、ある推理小説に出てくるのですが、
「AとBが似ていて、またBとCが似ているならば、AとCも似ているとは言わなくともある程度の相似があるのではないか」
これはたしかに曖昧な「似ている」という関係性を推移させたから、「AとCはまあまあ似ている程度」となるわけです。
数学の相似みたいな厳密な世界じゃありません。
(ちなみに数学の相似や合同はちゃんとやっぱり推移律を満たしています)
ちなみに推移律で面白いのは、熱力学第〇法則。
「AとB、BとCが熱平衡状態にあるならばAとCも熱平衡状態にある」
いわゆる「温度計の定義」ですが、これも推移律です。
これ、熱力学の体系ができた後に「これ必要だよなぁ」ということです付け加えられたんです。
それで第"〇"法則なんです。
なんだか推移律とか反射律という論理の基本になる法則(に似たもの)が物理にあるのって珍しいような気がするんです。
熱力学は最も完成された論理をもつ物理の分野とよくいいますが、この辺りの根本的な法則も内包しているあたり、たしかに一番数学に依拠せず「数学的な論理構成」ができる分野かもしれません。
この辺りは新井朝雄の「熱力学の数理」あたりが参考になるかもしれません。
(ただしこの本は既存の熱力学を数理的にまとめ直しただけなので、何か未知の新しいことが言えるっていう本ではありません。新しい"まとめ方"の話です)
話を戻しましょう。
まあつまり、元祖バランス演算$${\bigtriangledown}$$は等号の役割を担うには不十分。
だから改良した$${\overset{\mathcal B}{\triangledown}}$$を考えるんですね。
これだと、先ほどの例は
$$
\begin{pmatrix}3\\3\end{pmatrix}\cancel{\overset{\mathcal B}{\triangledown}}\begin{pmatrix}3\\1\end{pmatrix},\begin{pmatrix}3\\3\end{pmatrix}\cancel{\overset{\mathcal B}{\triangledown}}\begin{pmatrix}1\\1\end{pmatrix}
$$
なので、そもそも推移律の対象にはならないというわけです。
一方で例えば
$$
\begin{pmatrix}3\\2\end{pmatrix}{\overset{\mathcal B}{\triangledown}}\begin{pmatrix}3\\1\end{pmatrix}{\overset{\mathcal B}{\triangledown}}\begin{pmatrix}3\\0\end{pmatrix}{\overset{\mathcal B}{\triangledown}}…{\overset{\mathcal B}{\triangledown}}\begin{pmatrix}3\\-\infty\end{pmatrix}
$$
このような列は全てバランス演算で結ばれます。
どんな数のペアがこのバランス演算の列で結ばれるかというと、「成分が異なり、かつ大きい方の成分が同一なペア」なら結べると、試してみるとわかると思います。
そこで、バランス演算で結ばれるペアを同一視することを考えてみます。
上のバランス演算の列は大きい方が3なので、「3」という分類にまとめる、ということです。小さい方の成分は3未満であればなんでも構わないので、ここは思い切って$${-\infty}$$を代表させましょう。
そうすると、数のペアの集合が大きく三つの集合に分けられるとわかります。
$$
\begin{array}{}B^+:\begin{pmatrix}n\\-\infty\end{pmatrix}\\\\B^-:\begin{pmatrix}-\infty\\n\end{pmatrix}\\\\B^\bullet:\begin{pmatrix}n\\n\end{pmatrix}\end{array}
$$
この三つの集合(同値類)はそれぞれおおよそ$${n}$$と同じ数あるはずです。
そこでこの三種類の同値類に対し、その特徴づけをする$${n}$$との対応関係を決めます。
$$
\begin{array}{}n=\begin{pmatrix}n\\-\infty\end{pmatrix}\\\\\boxminus n=\begin{pmatrix}-\infty\\n\end{pmatrix}\\\\n^\bullet=\begin{pmatrix}n\\n\end{pmatrix}\end{array}
$$
こうしてできた三タイプの数と、前回導入した各種演算で構成される代数を対象化max-plus代数といいます。
この代数の中での零元はというと、いずれの集合でも$${a\to-\infty}$$とすると、共通して$${\begin{pmatrix}-\infty\\-\infty\end{pmatrix}=:\varepsilon}$$になります。
つまり、数の集合$${N}$$,マイナスの集合$${N^\boxminus}$$、バランス数の集合$${N^\bullet}$$について、
$$
N\cap N^\boxminus\cap N^\bullet=\{\varepsilon\}
$$
ということになります。
一応トロピカルの住人はそろっているんですね。
さて、以上のように対称化max-plus代数は数の概念を三倍に広げています。
うまいのは対称化と言った時に二倍にするのではなく、三倍にしてしまうところでしょうか。
しかしこうした以上、演算はかなり面倒なことになります。
次回はこの辺りを見ていきましょう。