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燃えたコオロギの複合的化学反応

国家予算6兆円投入というデマ

 日本において昆虫食は、全国的にポピュラーなものではないにしても、イナゴの佃煮やハチノコにあるよう、地方に根付く食文化としてはそう珍しいものではないだろう。そんな昆虫食が「SDGs」というものに内包されたあたりから、雲行きは怪しかったのかもしれない。

「日本国政府がコオロギの食糧化に国家予算6兆円を投入」
「昆虫食は補助金を出されゴリ押されている」
「政府は畜産を衰退させ、私たちにコオロギを食べさせようとしてる」

 そんな言説がSNSに飛び交ったのが、2023年3月初旬だ。結論から言うと、これらは無根拠なデマである。情報の出処は、どうやら思想強い系ユーザーが鼻息荒く叫んだ根拠のない思い込みツイートのようで、言うまでもなく、そのような事実を示す一次情報は存在しない。スナック感覚で義憤を楽しめる、娯楽性の強い陰謀論の域を出ていないだろう。

 事の発端は、徳島県小松市の高校の調理実習において、食用コオロギ粉末を使用したコロッケを生徒が戸惑いつつも美味しく食べた、という記事である。

 記事では「給食」と記述されているが、一般的な小中学校で全生徒に食事として振舞われる形式のものではなく、あくまでも高校の調理実習で生徒が作り、食べたい生徒が食券を買い選択して食べる「学食形式」のものだった。甲殻アレルギーへの説明も添えたうえ、「嫌なら食べる必要はない。無理に食べなくていい」という任意もと行われた試食会のようなものと思えば、そう変なものでもないだろう。

 まあ食用コオロギの調理実習提供を発案した教師の話見ると、どうも首をかしげたくなる論理が目立つ。形式だけの任意で、実態は選択肢のない選択制だったのではないかと邪推もできるが、半強制性や同調圧力を持っての提供でないならば、特に非常識なものでもないように思える。

 とはいえ「給食で食用コオロギ」という字面は非常にインパクトが強く、そしてインターネットならではの邪推(前述の補助金云々)や陰謀論が大きく絡まり、SNSを中心に批判の声が巻き起こった。小松市の高校への抗議の他、昆虫食ベンチャー企業への誹謗中傷が行われ、各所に様々な傷跡を残す結果となってしまった。

 筆者自身、食用コオロギを食べたことはあるのだが…あくまでも「食べたい人は勝手に食べれば良いんじゃないかな?自分は積極的に食べるつもりはないけど。」程度に思ってる。決して不味い訳ではなく、見た目や心理的嫌悪感さえ乗り越えてしまえば、特に忌避する食材でもない。

 しかし、好んで食べる程美味しいかと言われるとそうでもなく(これは調理法の問題かもしれないが)、値段の高さと「昆虫」という心理的敷居の高さを鑑みると…わざわざ選り好んでコオロギを食べる事は、まず無いだろう。仮にスーパーのお惣菜コーナーに50%OFFのシールが貼られたコオロギコロッケがあったとしても、手に取る事は恐らく無い。

 とはいえ、数ある嗜好品の一部と考えればそこまで目くじらを立てる事もないように思える。禁止されてる訳でもない物を、食べたい人が勝手に食べる…それに反対する人は、世の中そう多くないだろう。特に税金や補助金でゴリ押されてる物でもないなら「勝手にすれば?」で済む事である。

 何より、専門家たち自身が昆虫食を「嗜好品」と言い切ってしまってるあたり、結局のところそういうものなのである。一部の人が娯楽として「SDGsに貢献してるor考えてる自己肯定感」を味わえる嗜好品と考えれば、多少高い食材でも安いものだろう。

 とはいえ、SNS上における昆虫食への意見は批判的なものが大半を締めており、擁護意見も「食べたい人が好きにすれば?」と消極的なものが多い。「SDGsへの貢献だ!!未来食の正解系だ!」と礼賛する人は、一部のマスコミや怪しい環境保護団体、そういうのが大好きな「いかにもな人」くらいだろう。

 なぜ今回ここまで昆虫食が嫌われ、炎上してしまったのか…という点を見ていくと、単なる生理的嫌悪感以外にも、複合的要因が絡んでいるようにも見える。

胡散臭いSDGsという土壌

 SDGsという言葉が世の中に叫ばれるようになったのは、おおよそ2010年代後半辺りからである。それからというもの、なんか環境に良いっぽいモノの御旗には「SDGs」の文字が誇らしく掲げられるのが流行だ。今では単なる企業のコストカット施策にも「SDGsのためだから!!」ともっともらしい枕詞がつけられるようになっている。

 果ては悪質な無免許交通違反を繰り返し、所属する会派を追放されても尚、議席にしがみつき醜態を晒した東京都議の某議員が立ち上げた一人会派にも「SDGs」という言葉が添えられていた。とりあえず「SDGs」とつけておけば、何だか良い事をしているアピールにもなるし、それで高揚感が得られるのだろう。

 昆虫食についても同様で、その宣伝文句には誇らしく「SDGs」という福音の文字が輝かしく添えられている。曰く環境への負荷が既存の畜産動物に比べると低く、必要資源も汎用で、そして飼育が容易だから「SDGs」だそうだ。昨今流行りの「動物福祉」という面倒な価値観も、何故かコオロギに向かうことは無いので、確かにやりやすいのかもしれない。

 とはいえ、そのSDGsという単語自体が、既に「胡散臭い」というイメージが付き始めているのも否めない。SDGsにおける17個の目標を見ると、「ゼロにする」「すべてを」と言ったやたら極端かつ一方的な単語が目立つ。「誰もおいていかない」という目標も、裏を返せば全体主義的な単一性の礼賛だ。内容も全体的にやたらスケールが大きく、(おそらく正しいのだろうけど)勇ましい美辞麗句ばかりが並ぶ。心の清く無垢な子供の感性を持った人は、きっとこういうのが好きかもしれないが……筆者のような俗人には、なんだか怪しい宗教の経典にも見えてしまう。

 そんな世間からの視線を「SDGs側」も感じ取ってるのか、猜疑の解決法を大真面目に記事にしたりしているのだが…何というか、やはりズレてる感が否めない。

 曰く解消法は以下のようだ
・いいから信じるべき(目標としてSDGsを据えるのは、もはや疑うべくもない大前提。皆やれ)
・いいから知るべき(正しいのだから知れ)
・いいからSDGsに投資しろ

 なんとまあ…抱える矛盾の解決を内省的に考えるのではなく、あくまでも外部に求めるあたり「いかにも」と言ったところだろう。これでは胡散臭いと言われても仕方が無い。

 という感じで、国連という機能不全組織が輝かしい美辞麗句と音頭を取って始めたSDGsも、すっかり「胡散臭い」というネガティブイメージがそれなりの面積でこびり付いてしまった。

 胡散臭い「SDGs」というキーワードと、心理的敷居の高い&嫌悪感を持ちやすい「昆虫食」、これらがセットにされた時点で、既になかなかの発火性を持っていたように思える。

早期淘汰支援政策との共鳴 

 2022年11月、農水省は牛乳の供給改善施策として、補正予算で早期淘汰支援政策を発表した。乳量が少ないなどの低能力牛を早期に淘汰する場合、一頭ごとに補助金を交付する事業である。

 こう聞くと、政府は乳牛を早期に廃棄させ、酪農衰退を加速させようとしてる!!と邪推大好きなネットユーザーは噴き上がってしまうのだが、実態は少し異なる。

 まず農水省が発表した施策は、なにも早期淘汰支援政策だけではない。餌対策として激変緩和措置、高騰している輸入の粗飼料価格への対策、そして早期淘汰支援政策の3点セットである。

 早期淘汰支援政策により供給問題に対処しつつ、激変緩和措置と粗飼料価格への対策で生産コストの増大に対処する、ということである。ここではその政策の是非については論じないが、なんにせよ少々引火性のある政策の実施が決定していたのである。

 さて話を昆虫食に戻して…。タイミングの悪いことに、この早期淘汰支援政策が始まったのが2023年3月。そう、この炎上騒動とほぼ同時期なのである。

「政府は乳牛の破棄を推奨してやがる!!」 

 というネットユーザーの邪推と、SDGsという胡散臭いキーワードが掲げられた食料問題への解決法「昆虫食」。方や供給問題として乳牛を減らし、方や食料問題としてコオロギを推奨する…という構図が歪に結びつき「乳牛を破棄させて生産量を減らしてるくせに、食糧問題としてコオロギを食べるなんて!」とネットユーザーは噴き上がってしまったのである。

 引火性のある昆虫食という土壌に、たまたま近くに置かれた早期淘汰支援政策という燃料が不運にも共鳴してしまった形だ。

乱暴で雑な報道記事

 引火性のある土壌に、たまたま近くに置かれた燃料。あとは着火があれば、炎上の出来上がりである。着火となったのは、言うまでもなく雑な報道記事だろう。

 前述の通り、徳島県小松島市の高校で振る舞われた「食用コオロギの粉末使ったコロッケ」は、決して一般的な給食の形で振る舞われたものではない。数あるメニューの中の一部で、それを口にするか否かは生徒個人の判断のもと行われた実質「学食」である。

 しかし、コオロギコロッケ報道記事の大半は、あくまでも「給食」という単語を用いていた。一般的に給食というと、小中学校のように全員に振る舞われ食べるもの、という広義のイメージが強い。狭義の意味では学食もある種「給食」なのかもしれないが、給食という単語を選択して紹介してしまった事がミスリードに繋がってしまったわけだ。

 そして致命的だったのは、「食べるかどうかは学生が任意で選ぶことが出来た」「全員に振る舞われたのではなく、あくまでも選択した生徒が美味しそうに食べていた」といった任意性の部分を、いずれの記事でも省いてしまった点である。

 おそらく紙面や文字数の都合で省かれてしまった情報なのであろうが、これがあると無いでは、かなり印象が変わってしまう。ましてや給食という「全員で同じ食事を食べるもの」と広義のイメージが強い単語を使ってしまったのだから、明らかな単語の選択ミスだろう。これでは、給食で生徒全員にコオロギコロッケを食べさせた…と誤解されても仕方が無い。

 理由はどうあれ、重要な背景が省かれてしまった状態で、不適切な「給食」という単語を用いて紹介してしまった乱暴で雑な報道記事が、今回の騒動の着火になってしまったように思える。

雑な礼賛は不信と猜疑の素

 SDGsと結びついた色々と引火性の高い「昆虫食」という土壌。早期淘汰支援政策という、全く関係ないけどタイミング的に結びつきやすい発火性のある燃料。そして雑で乱暴な記事による着火で、今回昆虫食は燃えに燃えてしまった。

 炎上間もなく、マスコミは「給食だけど、全員に無理やり食べさせた訳じゃないんだよ!生徒が自分自身の選択で食べたんだよ!」と慌てて補足するような報道を行ったのだが、時既に遅し。昆虫食ベンチャー企業への誹謗中傷を招くどころか、昆虫食という文化そのものまで延焼させる惨事となってしまった。

 筆者個人としては好んで昆虫食を取りたいとは思わないが、そういった文化の存在自体は否定しないし、多様性の一つとして存在するのは大いにありだと思っている。珍味の一つとしてたまに摘むのは悪く無いかもしれないし、手に取りやすい価格になれば、もしかすると仕事帰りのコンビニで酔狂に買ってしまうこともあるかもしれない。

 とはいえ、こういう炎上があると今ひとつ気が引けてしまうのも頷ける。SDGsという輝かしく福音を添えるのは結構、それを礼賛するのも結構なのだが…稚拙で雑な手法だと、やはり胡散臭さの上塗りとなってしまうのだろう。

 早期淘汰支援政策という全く関係ない要素と結び付いてしまったのは運が悪かったと言えるだろうが、多少恣意的でも重要な情報を添えた丁寧な報道があれば、おそらくここまで炎上はしなかったようにも思える。

 SDGsをはじめとした「先進的に見える何か」を礼賛したくなるのは良いのだが、それを市井に浸透させるためには正論や美辞麗句、正しさでゴリ押すのではなく、真摯で地道な啓蒙がありきである。

 ましてや心理的敷居の高い昆虫食なのだから
もう少しアプローチは丁寧さが求められるのだろう。SDGsや昆虫食に限った話ではないが、正しさや美しさだけでは、人は其れを信じ切ることは出来ない。

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