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太鼓の凡人

先日、『書くことに関する お喋り会』である参加者の方に「ホッシーさん最近、noteあんまり書かれてないですよね?」と聞かれて、少しドキッとした。自分にも自覚はある。別に書くことについて飽きてきたわけではない。


先月後半は書店イベントに備えて本を読んでいたのもあるが

以前、noteでも書いた、長年離れていたドラムを再開したことも関係している。音楽スタジオでドラムを叩いたり、スタジオに入ってなくてもドラムのことを考える時間が日常の中に帰ってきたのだ。

実はドラムを再開した理由の一つには、 phaさんの『パーティーが終わって中年が始まる』で phaさんがドラムを叩くことについて書かれていたのを読んで、触発されたのもある。

 木製のスティックの先端はつるつると丸みを帯びたままなのだけど、その下あたりはささくれのようになっていて、撫でるとざらざらしている。ドラムスティックは金属でできたシンバルを叩いているうちに、だんだんと消耗してこうなっていく。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p137

スタジオに入るたび、またここに帰ってきた、という気持ちがするようになってきた。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p138

こういう感覚が懐かしいだけでなく、無性に恋しくなった。そこはかつて自分にとっても「居場所」だったのだ。

そして、以前ドラムをやっていたときは「自分の目指すスタイルではない」として、手を出さなかったこともやってみようと思った。
これもまた以前、noteで書いた中学時代に聴いていた音楽を聴いて思いついたことだ。


スプラッシュシンバルというこんな小さなシンバルや

ツインペダルというキックペダル(バスドラムを足で演奏するための機材)

これを使うと両足を使ってバスドラムを演奏できるので、バスドラムを二台置いた、いわゆる「ツーバスセット」を使うような演奏が、一台のバスドラムで出来るという便利グッズである。

今まで使わなかった楽器、機材を取り入れると、同じドラムという楽器でも、初心に帰る部分がある。実際に今までと違う演奏方法も取りいれないといけなくなるので、ある意味初心者のように取り組める新鮮さもある。

以前バンドをやっていたときの自分の演奏は、バンドのスタイルに合わせてシンプルな形にまとめようと思っていて(シンプルなスタイルのバンドやドラマーにかっこよさを感じるのもあったが)、それでも自分が思ったようなレベルの演奏には程遠く感じて、とてもじゃないがさらに色々な要素を増やそうとは思わなかった。
楽器類を買うにしろ、練習スタジオに入るにしろお金がかかるという、今でいうコスパ、タイパみたいなことも考えていた。

しかし、今はバンドもやっていないし完全に趣味としてドラムをやろうとしている。金銭的に制限はあるものの、いついつまでにこの演奏を出来るようにならないといけない、というような縛りはない。自由に気ままに続けてみようと思う。


あと、先月末にあったササキアイさんの『花火と残響』の出版イベントに こだまさんも登壇されたのだが、イベントのチケットが気が付いたときには完売していて行けなかった無念さをドラムで紛らわせていた。(スタジオ二回分くらい)


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