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 日本の夏 中二の夏       (『いりえで書く』8月お題「夏のやらかし」)

 暑い日が続きますね。すっかり真夏です。
いきなりですが、皆さんは中二病に罹ったことがありますか? 僕はあります。
いつもと文体が違うのは、今回は自分も参加している共同マガジン『いりえで書く』の8月のお題「夏のやらかし」を書こうと思っているからです。
そろそろ、いつもの感じに戻します。

 
 
 自分は小5のときに、一学年上の先輩から「生意気だ」と体育用具室でリンチを食らった。
自分が小6のときは中学では負けたくないと筋トレに励んだ。中学校の入学式のときには後から思えば「逆に笑ってまうやろ」ってぐらいガンつけ(睨み)顔で臨んで、後から一学年上のリーダー格の先輩から呼び出しを食らった。
とはいっても、小学生のときに自分をリンチした連中のリーダーは転校していなくなっていて、違う小学校出身の人がリーダーだった。
頭がおかしいと思われたのか、面白いやつだと思われたのか、その人からは「入学式のときの顔、超気合入ってて怖かったんだけど!仲良くしようぜ!」と笑顔で言われただけだった。

そんなこともあって、初めは上級生からイジメられないように気を張っていたのが、いつの間にか同級生の中でヤンチャぶっているグループに属していた。

 昭和生まれ、途中から平成育ちの自分が中学生になったとき、少年向けマンガ雑誌にはヤンキーものが必ず2本は入っていた。テレビなどで「今のヤンチャな若者のスタイルはヤンキーじゃなくてチーマーだ」と言ってても、チーマーっぽいヤンチャ系を地元で見かけることはなかった。
そして、地元の中学でちょっとヤンチャぶった奴らの間では何故かX JAPAN や LUNA SEA などの後にビジュアル系と呼ばれるバンドが流行っていた。
こういうバンドの曲や歌詞が、思春期の不安定な気分にマッチするような感じだったり、ライブのMCがオラオラ系だったり、YOSHKIが自ら率いるインディーレーベルのライブイベントで特攻服を着ていたり、不良っぽいお姉さま方がファンに多かったからかもしれない。



そういったヤンキーもののマンガやら、ビジュアル系のバンドの影響もあってか「髪の色を変える」ことに自然と興味を持ち始めた。
当時は今ほど染髪が一般的なおしゃれとして認知されていなかったが、学校近くのディスカウントストアでヘアケア用品のコーナーに行ってみると茶髪から金髪まで髪の明るさに応じてヘアブリーチ、ヘアダイ用品が売られていた。

中二の春、使っているうちに徐々に染まるリンス(コンディショナーではない)というのを見つけて買った。色は「明るい栗色」である。
使い始めて一か月を過ぎようかというとき、母に髪の色の変化に気付かれてうるさく言われて使うのをやめた。

そして、思春期の少年がいろいろ「やらかし」がちな夏休みが来た。

当時、一番つるんでいた悪友が「余ったヘアブリーチ剤があるんだけど、いらない?」と聞いてきた。髪が長い女性でも充分な量が入っていたらしく、ボトルにはまだ用剤が半分くらい余っていた。
悪友の頭は見事な茶髪になっていた。

 ブリーチ剤をタダで手に入れた。後は実行あるのみ。
家に帰って来たことを家族に気付かれないように忍び足で二階の自室へ向かう。すでに夕方で日が暮れ始めて部屋の中は暗くなりかけていたが、電気は点けない。自分の部屋は障子戸だったので光が漏れて部屋に居ることがバレないようにだ。

説明書きを読むのもそこそこに、髪というより頭全体にブリーチ剤を振りかけていく。しばらく待ってみても変化は感じられない。あまり、時間はかけたくない。改めて説明を見ると、変化が乏しいときはドライヤーを使えと書いてあった。

ドライヤーの音で部屋にいるのが気付かれたのか、母が部屋の戸を開けてきた。「お前、髪になんかしたの?色が変じゃない?」と騒ぎだす。
「何もしてねぇよ。整髪料塗ってドライヤーかけてただけだよ。」と、咄嗟に嘘をつく。
髪に色の着く整髪料を使っていると思った母は「いいから頭洗って!」と、うるさく言い立てる。どのみち頭は洗わなければいけないので風呂場に向かう。

脱衣場にある洗面台の鏡を見て、母が騒ぐのも納得した。
自分の部屋は暗かったのでよくわからなかったが、蛍光灯の明かりの下で映し出された自分の頭はギラギラとした赤茶色になっていた。

とりあえず頭を洗って風呂場を出る。頭を見た母が「色が落ちてないじゃない。」と震え出しそうな声で困ったような顔をする。
色付けたんじゃなくて、抜いたんだから当たり前だろ。と思いながら「知らねぇよ。」とだけ答える。

「髪切って来い。スポーツ刈りだ。」と世間体を人一倍気にする母は事もなげに言ってきた。
猫っ毛で小さな頃からやや長めの髪型にしていた自分は、毛の短い髪型に抵抗があった。しかしこれから毎日、母にこんな剣幕で騒がれたらたまらないし、夏休みも後半になってきてどっちにしろこのままの頭で学校に行ったら問題になるだろう。仕方なく次の日に床屋に行くことにした。

この前、髪を切ってからそんなに間は空いていない。店に入ると、他の客はいなかった。
床屋のおやじさんは一瞬、チラッと自分の頭に目をやったようだが、特に何も言わずにいつも通りに席に案内してくれた。
「スポーツ刈りでお願いします。」と自分が言うと、おやじさんは困った顔で「この髪質だと上手くいくかなー?」と言った。物心ついたときから通っている床屋だ。自分の髪質はよく知っているだろう。
櫛で梳かしながら、髪の束を作っては引っ張って持ち上げ、考え込みと二、三回繰り返しているおやじさんに「坊主でもいいです。とにかく短くしてもらえませんか?」と聞くと、「どうなってもいいなら、とりあえず切るよ?」と言ってきた。 プロな訳だし、虎刈りにはならないだろうと自分に言い聞かせ「お願いします。」と頼む。

「こんな感じだけど、どう?」とバリカンの音が止まったときには、まごうことなき坊主頭の中二男子がそこにいた。
髪が短くなったせいか、色もそんなに目立たない気がした。
「これでいいです。」自分の感覚からしたらダサくなってしまったが仕方ない。

 家に帰ると母が生活指導の教員のようにチェックしてきた。「まだ、髪が赤いな。」 頭にぶっかけるようにブリーチ剤を使ったせいで、髪の根本まで色が抜けていた。
しかし、これ以上短くすると本当の坊主頭というかスキンヘッドになってしまうし、自然派志向の母からは黒く染めるようにも言われなかった。

 そして、特に何か盛り上がりをみせることもなく夏休みが終わり、二学期が始まった。

いきなり坊主頭になったのと、色が赤茶なので自分の頭は逆に注目の的になった。特に日光の強い明かりに当たると例のギラつくような色合いが目立つらしい。 
そのうち、同級生が「桜木花道」と呼びだした。

好奇心旺盛な女子数人に「頭触らせて~。」と言われて、「ほれ」と頭を傾ける。「わー、タワシみたい~。」とかやってるうちに当然、担任の教師の目にも留まった。

担任は近づいてくるなり、喉になんか詰まっているような小さな声で「お前、髪の毛染めただろ。」と言ってきた。
「いや、染めてないっすよ。」(色を「抜いた」んだから嘘じゃない、とも思ってるので強気)と返すと、苦笑いする担任から離れるように他の同級生がたむろっている方へ歩き出した。

なんだかんだやっぱり目立つらしく、小学生のときにリンチしてきた残党もまたなんか言っているという話が伝わってきた。
目立たないために思い切って髪を短くしたのに、逆に凄みを利かせてるような風に受け取られたらしい。

例の一個上のリーダーに呼ばれる。「どうしちゃったの?これー?」とやはり笑顔で頭をジョリジョリされる。
「なんか思ったより色が抜けちゃって。」
「俺は別にいいんだけどさー。なんか気に入らないってー奴らもいてさー。」
「髪伸びてきたら、すぐ切るんで。」
「うん。頼むわ。それまではそいつら抑えとくからさー。」
というやり取りで終わった。

他の同級生は一学年上の先輩に何か気にいらないと呼び出されてはボコられたりしていたらしいが、何故か自分はリーダーの人に守られていたっぽい。中学を卒業した後にその先輩に会ったことは一度もなく、どうしてそこまでしてもらっていたのかは未だにわからないが、ありがたいことである。

 その後は特に何もなく、髪は伸び、元の髪型に戻っていったように思う。

 髪を短くしてみて、改めて自分の頭を見てみると絶壁なのがよくわかるし、髪が細いのである程度の長さがないと毛が薄く見えるということが分かった。
そして、髪の脱色、染毛は禿げる原因にもなるということも知り、段々と「髪の色を変える」ことを控えようと思い始める。

決定的だったのは十代後半だった当時、憧れていたドラマーの一人であるテリー・ボジオが金髪から黒髪になったことである。

            
            こんな感じから

               ⇩
             こんな感じに 


「結局、無いものねだりなのか。」と髪の色を変えることは(髪を残すためにも)完全に興味を無くす。
※テリー・ボジオは金髪のときも根本は黒いので、元々黒髪っぽい。

 今の自分は白髪が生えてても、そのままで染めることもなく、髪質は相変わらず細いがとりあえずそれなりに残っている。

当時、聴いていた音楽と今、主に好きで聴いている音楽は毛色が違うので普段は遠ざかっているが、時々思い出したように聴いてみると一瞬であのときの気分に引き戻される。


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