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人新生の資本論 (その一)

空想的社会主義

人新生の資本論を読んだ。

著者(斎藤氏)の提唱する社会主義は、「空想的社会主義」 である

著者(斎藤氏)が推す「脱成長コミュニズム」は実現のめどがつかない机上の空論だ。

だが、この本は結論こそ賛成できないものの、そこに至る資本主義の本質に対する分析が非常に鋭い。

マルクスの資本論も、その本質は経済の分析であり、資本主義システムへの批判であった。

この、人新生の資本論も、その本質は資本主義への批判だ。



筆者は、自発的に発生するコミュニティ(協同組合)が世界を救うという非現実的な空想を結論にもってきている。

これは絶対に、ありえない。
あるはずない。

奇跡が起こって、日本の全人口の30%の人たちが脱成長コミュニズムに賛成し、脱成長☆協同組合☆に参加したとしよう。
だが、残りの70%にいうことを聞かせるためには、どうしたって暴力装置が必要になる。

脱成長コミュニズムに納得しない連中をどうにかしなければならず、そのためには独裁的な政治形態と、強力な軍隊が必要だ。

だから、民主的に自動的に成立する脱成長コミュニズムはあり得ない。

筆者は、囚人のジレンマのない理想的な社会を空想している。

代わりに僕が現実的なコミュニズムを提案してあげよう。

資本主義の次にくる社会は、弱者男性を中心として結成されるコミュニズム、弱男コミュニズムである。



ここからは、「人新生の資本論」の内容と筆者(地下室)の考えをまとめて、記載していく。

筆者(地下室)によるフィルターが多分に入っているので、「人新生の資本論」の内容を正確に知りたい方は、原著を読んでほしい。



第一章 21世紀の帝国主義


SDGsは大衆のアヘンである

エコバッグや、ハイブリット車の使用は、危機的状況にある地球環境に対してして”何かやった気”になるだけだ。

エコバッグやハイブリット車は見た目とは裏腹に、実際にはより一層地球環境に負荷をかけるだけだ。なのに、エコバッグやハイブリット車を買うことで「何か良いことをした気分」になる。

だからこそ、斎藤氏はSDGsは「大衆のアヘン」であると述べる。

資本主義は、何にでも”価値”をつけたがる。
価値をつけることは資本主義において、”イノベーション”とされ、それは”正義”とみなされる。

例えば、ペットボトルの水である。
ミネラルウォーター”エビアン”は、わざわざフランスから水を運んできて、ボトルにつめて売っているのである。(もっとも、海外からの輸入は、最近の円安の影響か、低迷しているようだ)

いやこれ、水道水をカルキ抜きして、ミネラルを少し入れたら、わからないよね・・・水の味にこだわる人がそんなにいるんだろうか?

日本においては、水道水を浄水器に通せば、それで十分だ。

だが、現実として ”水”は商品になったのである。

同様に、SDGs関連の商品、電気自動車、小規模な太陽光発電パネル、エコをうたった様々な製品たち、これらの商品は、”地球にやさしい”という”価値”を提供することで、高い”価格”をつけている。

SDGsは、”イノベーション”=”価値創造”の手段である。

SDGsの資本主義面での本質は、”価格”を上げること(付加価値をつけること)であり、本当に地球環境保護に役に立つかは、二の次である。

実際に”地球にやさしい”よりも、消費者が”地球にやさしい”と感じて、おカネをつかってくれること、これが最も重要な点だ。

そう考えると、SDGsは「大衆のアヘンである」というと少し大げさである。

資本主義にとっては、この程度、通常運転の範囲内でのイノベーションである。

一方で、SDGsは、資本主義の底のない恐ろしさを示すものでもある。

資本主義は、地球環境の悪化ですらビジネスチャンスにしてしまう。

どちらかというと、資本主義そのものが、人類にとってアヘンのようなヤバさを持っているのである。


先進国の豊かな生活は帝国主義ありき

現在の先進国の生活は、途上国からの搾取によって成り立っている。

例えば、ファストファッションの洋服をつくっているのは、劣悪な環境で働くバングラデシュの労働者であり、原料となる綿花を生産するのは40℃の酷暑で作業をするインドの農民である。

インドの農民は、ファッション業界が指定する高品質な遺伝子組み換え綿花を栽培する必要があるから、遺伝子組み換え種子や化学肥料や除草剤を毎年購入しなければならない。この状況で、干ばつや熱波で不作となれば農民は借金をしなければならず、自殺するものも少なくない。

永遠に抜け出せない貧困の再生産。まるで、ウシジマくんの世界だ・・・・だが搾取するということはすなわち、ウシジマくんの世界を再現するということだ。

先進国の住民は、途上国に負担を押し付けることで、豊かさを享受している。

アメリカの 新 帝国主義(間接統治システム)

第二次世界大戦後に、アジアやアフリカの植民地は、つぎつぎと独立をはたす。一見、帝国主義の時代が終わったかのように見えるし、学校でもそのように教わる。野蛮な帝国主義が、アジア・アフリカの人たちの抵抗に敗北したのだと。

だがしかし、独立後も途上国は貧しく、先進国の豊かな暮らしを支える植民地としての役割をはたし続けている。

なぜこのような、独立したにもかかわらず、植民地と同じ扱いになるのだろうか?

それは、アメリカ VS イギリス・フランスの 対立を考えると理解できる。
アメリカは、第一次世界大戦をきっかけとして、大量の植民地を持つイギリスとフランスを弱体化させるために、植民地の独立を促したのだ。

アメリカは、フィリピンを除いてほとんど植民地を持っていなかった。だが、イギリスとフランスは世界中に大量の植民地をもっていた。だから、植民地の解放運動を進めることで、イギリス・フランスを没落させて、アメリカが世界一の超大国になる戦略であった。

実際に、この戦略は成功し、かつて世界の4分の1を支配した大英帝国は没落し、ヨーロッパ諸国はEUとして、全員まとまってようやくかつての列強1か国分の影響力しかなくなった。

とはいえ、アメリカも植民地の独立をただ単純に応援したわけではなかった。アメリカとしては、イギリス・フランスを弱体化させることが目的だった。途上国が本当に自立してアメリカの資本家が搾取できなくなることは、望んでいなかったのだ。

独立直後の国家には、莫大な資金が必要だ。独立すれば、自前で軍隊や行政システムを構築して維持・運用しなければならない。当然のことながら、借金をする必要がある。もし借金を返せなかった場合、鉱山の採掘権や土地の利用権など、さまざまな権益を奪われることになる。
(中国がスリランカの港湾を借金のカタに99年借りる契約を結んだのと同じである。中国からしてみたら、欧米がさんざんやってきたことと同じことをやってるだけで、お前らに文句を言う資格はない!といいたいところだろう。)

こうして、先進国による途上国の搾取構造が形成されたのである。


”正しさ”、”正義” までをも搾取する

先進国は、途上国を犠牲にして豊かな生活を享受する。

いや、豊かさだけではない。
”正しさ”についても、途上国を犠牲にして”正義”を享受する。

先進国の豊かな生活は、地球に大きな負荷をかけている。にもかかわらず、先進国において、大気汚染や水質汚染、ゴミ処理などの環境問題は少ない。これは環境汚染を引き起こすようなプロセスを途上国に押し付けているからである。

ここでは、CO2排出削減問題を考える。

先進国はCO2の排出削減を”正義”として推進している。

CO2削減のためのもっともよい方法は、産業の高度化である。

原材料の生産など、CO2を大量に放出するプロセスは途上国に移転する。
特に、CO2の大量排出と環境破壊を伴う”鉱業・金属精製”(鉄鉱石や銅・アルミ・亜鉛などの採掘と精製、石炭を大量消費する鉄鋼業など)については、途上国で生産するようにする。

先進国は、IT、商社、自動車のデザイン、広告、不動産など、実際のものづくり以外の仕事をすることで、CO2の排出を大幅削減することができる。

CO2を大量に消費する工程を外部化することで、CO2排出量を減らす。
これにより、グリーンでクリーンな国であると、世間にPRすることができる。

地球のためにがんばっている”意識の高い” 先進国
CO2排出の多い、倫理的に劣った、意識の遅れた途上国という構図をつくって、”倫理的な正しさ”、”正義” さえも途上国から搾取する。

輸出入が存在する条件下で、国別のCO2排出量ランキングなど発表しても無意味である。

EUが偉そうに、日本に対して、石炭を使いすぎだと説教をしているが、原材料生産を植民地に外部化して豊かな暮らしをしている奴らがなにを言っているのだろうかと、思う。

もちろん、日本国でもこの種の欺瞞は存在する。
例えば、バイオマス発電である。

日本では、バイオマス発電は、エコでサステナブルな発電とされ、政府の補助金がでているが、バイオマス発電の主な燃料は、輸入したパームヤシがらである。

途上国のパームヤシ生産のために使われる、肥料・農薬・人件費・パームヤシ畑による環境破壊、輸送の過程で排出されるCO2量、そのすべてを無視して、バイオマス発電の部分だけを切り取って、新たなCO2排出のない、エコでサステナブルな発電であると、そういうことになっているのだ。

犠牲、汚いもの、見たくないもの、そのすべてを見えないところ(途上国)に移転させる。

これが、21世紀の先進諸国のあり方であり、外部化社会といわれる。

未来永劫にわたって途上国を搾取し、豊かな生活を維持したい。
これが先進諸国のホンネである。

フロンティア消滅


服飾ビジネスを考えてみる。
例えば、ユニクロは、海外で服をつくることで価格破壊を引き起こした。
90年代の後半にかけて、デフレの勝ち組として台頭し、今では日本を代表するアパレルメーカーになっている。

ユニクロは、2000年ごろは、人件費の安価な中国で生産をしていた。ところが、中国が経済発展すると人件費が高くなってくる。そうすると、次に人件費が安いベトナムに生産拠点を移した。さらにベトナムが経済発展して、人件費が高くなると、今度はより一層人件費の安いバングラデシュに生産拠点を移した。

このように、生産拠点は、人件費が安い場所を目指してつぎつぎに移転する。

日本→韓国→中国→ベトナム→バングラデシュ ・・・・

だが、当たり前だが、地球は有限である。国の数が右肩上がりに増加することはありえない。

この”人件費が安い場所”をめぐる生産拠点の移動が永遠に続くことはありえない。(日本にいるとわからないが、世界の大半の国では経済成長するのが当たり前なのである。)

2010年ごろから、世界中の国が経済成長をした。
結果、人件費の安い生産拠点の移転先(フロンティア)が徐々に消失してきたのである。

途上国の経済発展による外部化プロセスの終了

先進国の豊かな生活を支えてきた途上国は、経済発展してしまった。その結果、先進国の中間層の豊かな暮らしを支えることができなくなった。

先進国の中間層は、徐々に徐々に、その生活水準を切り下げなければならなくなった。

今はまだ、途上国からの搾取がたくさん存在する。

日本にいる大量の外国人労働者たちも搾取である。若くてイキのいい労働力を、日本語のような難解な言語を学習できる頭の良さをもつ優秀な国民を、途上国から奪っているのである。

今後、途上国からの搾取はますます困難になる。

一方で、先進国の産業は空洞化したままである。


エレファントカーブ


https://dot.asahi.com/articles/photo/125836

エレファントカーブというものがある。
これは、1988年から2008年までの所得を右軸、所得の増加率を縦軸にグラフ化すると、象の形のようになることを示した図である。

生産拠点は、人件費が安い場所をもとめて動く。
だから、人件費が安い場所に工場ができる。
結果、途上国では経済が発展し、所得が増える。

一方で、生産拠点が出ていく先進国の中間層は失業したり、賃金が安い仕事しかないなどの理由で所得は増加しない。
(日本では、失業率こそ高くならなかったものの、非正規雇用が拡大し、氷河期世代を中心に中間層が没落している)

先進国のトップ層は、資本家として途上国に投資をしたリターンを得る。世界すべての利益を集め、ますます富裕になる。
金融などの資本家を手助けする仕事をする連中も、この莫大なリターンの恩恵をうけて富裕になる。

結果として、先進国の中間層は没落し、途上国の中間層は豊かになる。

先進国の超富裕層が一番儲かる。


終わりの始まり ドナルド・トランプ

2016年、アメリカ大統領選挙で、大番狂わせが発生した。
本命であり、民主党オバマ政権の後継者であったヒラリー・クリントンが、泡沫候補とされたドナルド・トランプに敗北したのである。

ドナルド・トランプが勝利した背景には、プア・ホワイト、貧しい白人層の支持があった。

先進国の代表であるアメリカは、安い製品を海外から輸入してきた。当然、国内での雇用がなくなり、中間層が没落して貧困化した。

もちろん、ITや金融ビジネスを牛耳っているのはアメリカだから、アメリカ全体としての富は増加し続けた。だが、この富がごく一部に集中して中間層にまわってこなかったため、結果として貧しい白人が増加した。

ヒラリー・クリントンは、支配階層にとって正しい候補者だった。
女性であり、支配者にとって都合がいいマイノリティ(黒人・女性・移民など)の当事者でもある。

支配者たちは、分断して支配する。マイノリティを重用し、マジョリティから搾取する。社会を分断して、自分たちの支配を強固なものにする。

当然ながら、支配者は、白人男性などマジョリティ層には冷淡だ。

その一方で、マジョリティ層に対しては、メディアを通じて洗脳を行う。
お前たちは ”正しくない”から、  ”落ちぶれたのは自己責任”だから、などと洗脳を行い、現状を変える気概を失わせる。

だが2016年の大統領選挙では、思ったよりもバカじゃない白人男性の支持を集め、ドナルド・トランプが大統領に就任した。

先進国において、中間層が”現状”に対して、反抗の意志を示したのである。



途上国の中間層

先進国の中間層は没落し、途上国の中間層は豊かになった。

この途上国の中間層は、幸福になれたのだろうか?

答えは、”否”である。

豊かになった途上国の代表である、中国を考えてみよう。

中国では、豊かになった結果、子供に教育を与えることができるようになった。

子供を塾に通わせて、よい高校・よい大学に入学させ、立派な学歴をつけることができれば、子供を幸せにすることができると、親世代は真剣にそう考えた。

そのために親世代は、一生懸命に労働をするのだ。

※稲作社会と狩猟社会

特に、東アジアにおいて子供や孫のために、めちゃくちゃな努力をする親世代が存在する。
一方で、ヨーロッパでは、子供や孫のために、親世代が粉骨砕身 努力することはあまりない。

例えば、アメリカなどでは、大学の学費は本人が負担する。奨学金を使うことに加え、軍隊などでまとまったカネを稼いで、そこから大学に戻るパターンが存在するのである。

一方で、東アジア、中国・韓国・日本においては、親世代が子供や孫のために努力を重ねて、子供や孫に偉くなってほしいと願う。

この原因は、稲作文化に存在する。水田を整備するためには、多大な労力と時間がかかる。親世代が努力をして水田を開墾・整備したとしても、その成果を受け取れるのは、子供や孫の代である。そのような環境でも、地道に子供や孫のために額に汗して働くことができる、そんな人間だけしか生き残れなかった。

だから、中国・韓国・日本では、親世代がまとまったカネを手にしたとたん、その大半を子供への教育投資(将来への投資。水田の整備に相当する)にぶち込むのである。

欧米社会は、ゲルマン人の文化である。ゲルマン人は森林で狩猟採集を生業にして生活してきた。努力をして狩りをして、たくさん獲物をとったとしても食べきれずに腐らせてしまって終わりである。だから、欧米において子供や孫のために、親世代の大半が額に汗してはたらくなどの現象は発生しないのである。

だが、途上国の中間層が豊かになるのは、ほとんど同じタイミングである。そして、教育投資を開始するのはみな同じである。悪いことに子供の教育を主導する女性は、共感能力と同調圧力が高い。ママ友が子供を塾に通わせたらウチも通わせなきゃと焦る。

その結果、受験競争は激しさを増す。

さらに、過酷な受験競争を勝ち抜き、偏差値の高い大学を卒業したとしても、まわりには大量の高学歴エリートの若者が存在するのである。

一方で、みんながやりたがるような割りのいい仕事には限りがある。


結果として、豊かになった途上国の中間層は、その豊かさを有効活用できずに、子供に過剰な(無駄な)教育投資をするだけに終わることになる。

のみならず、厳しい受験教育は、子供にも巨大なサンクコスト(呪い)をかけてしまう。これだけ頑張ったのだから、よい仕事について当然だ。こんなに頑張って大学を卒業したのに、高卒・中卒でもできる仕事につきたくない。

結果として、大量のニート(躺平族=寝そべり族)を生産することになった。

同じことは、韓国やベトナムにも言える。
厳しい受験競争を勝ち抜いて、よい大学を卒業しても、満足のいくような仕事がないのである。

将来的に、中国のニート(寝そべり族)は深刻な問題になる。
(日本でいうところの8050問題に相当する。)

今はまだ、ニート(寝そべり族)は20代であり、若い。だが、寝そべり族も年を取る。その結果、親のカネをあてにして、30代、40代、50代と年を重ねていき、同時に親は衰えていき、最終的にはにっちもさっちもいかなくなる。社会のお荷物になってしまうのだ。

中国社会がニート(躺平族=寝そべり族)問題の恐ろしさを実体験するのはその時である。

途上国の中間層は、一部は高等教育を受けることで、世界の富裕層の仲間入りをすることができた。

だが、ほとんどの人たちにとって、過剰な教育投資の結果、受験戦争に苦しみ、就職できずに苦しみ、受験に投資した努力が無駄だったと、自分自身を否定できずに苦しむ。

結局のところ、途上国の中間層は、豊かになっても幸福にはなっていない。


第一章 まとめ


先進国の豊かな暮らしは、途上国からの搾取により成立している。

だが、途上国が経済発展したとこで、途上国からの搾取は難しくなりつつある。

同時に、先進国では産業が途上国に流出したため、中間層が没落し、貧富の差が増加した。これを不満に思う連中がドナルド・トランプを当選させるなど、反抗の意志を示しだした。

経済発展した途上国は、その豊かさを無駄な教育投資に浪費し、ニートを大量生産しつつある。

唯一、先進国の超富裕層のみが、力を増大させ続けている。

2024年 現在こそ、まさに人類の歴史の分かれ目のときだ。

次の世界秩序はいったいどうなる?

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