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書評:コンビニ人間

コンビニ人間を読んだ!


コンビニ人間は、普通とは何か?を問う文学作品みたいである。

普通に生きるとは、どういうことか?
世の中、自由だ、多様性だといわれながら、実は狭い価値観にとらえられている。
これは、世の中の課題だ!
問題だ!
という形の意見が多い。


僕は、そうは思わない。

この作品のテーマとして、読み取ったのはこの2点

①感覚的演算能力の重要性
 (そして、感覚的演算能力がない人間に対して、きわめて冷淡な現代社会)
②幸せの形、どうすれば人間は幸せになれるのか?

である。


コンビニ人間の主人公、古倉は36歳、独身女性のコンビニアルバイト店員だ。
彼女は、きわめて合理的な人間だ。

彼女は、きわめて合理的だが、人間の感覚的演算能力とでもいうべき、無意識領域の演算能力が弱い。

”なんとなく正解がわかる”という能力がない。

感覚的演算能力がないから、それを補うために、頭脳と理性を一生懸命に使って生きていこうとする。

理論的に考えないと、どう行動するべきか、わからないのだ。


子供のころから、感覚的演算能力に劣る主人公は、”普通”、”正常”な行動を脳で直感的に演算できずに、苦労に苦労を重ねてしまう。

そうか、だから治らなくてはならないんだ。治らないと、正常な人達に削除されるんだ。  家族がどうしてあんなに私を治そうとしてくれているのか、やっとわかったような気がした。

村田 沙耶香. コンビニ人間 (文春文庫) (p.65). 文藝春秋. Kindle 版.


そんな主人公にとって、マニュアルが整備されたコンビニという職場は最高の環境であった。
コンビニでは、どう行動するべきか、一挙手一投足までマニュアルが整備されている。
だから、感覚的演算能力が弱い主人公でも、どう行動したらいいかを理解することができた。

「コンビニに居続けるには『店員』になるしかないですよね。それは簡単なことです、制服を着てマニュアル通りに振る舞うこと。世界が縄文だというなら、縄文の中でもそうです。普通の人間という皮をかぶって、そのマニュアル通りに振る舞えばムラを追い出されることも、邪魔者扱いされることもない」

村田 沙耶香. コンビニ人間 (文春文庫) (p.73). 文藝春秋. Kindle 版.


コンビニ以外の世界では、誰もどう行動すべきかを教えてくれない。
みな、感覚的演算能力によって、どう行動したらよいか、直感的に何が正解で何が不正解になるのかを理解しているのだ。

その世界においては、主人公は宇宙人扱いである。

「じゃあ、私は店員をやめれば治るの? やっていた方が治ってるの? 白羽さんを家から追い出したほうが治るの? 置いておいたほうが治ってるの? ねえ、指示をくれればわたしはどうだっていいんだよ。ちゃんと的確に教えてよ」

村田 沙耶香. コンビニ人間 (文春文庫) (p.101). 文藝春秋. Kindle 版.

家族である妹ですら、カウンセリングで姉を治してほしいという。
おかしな姉をどう扱っていいのかわからないと泣いてしまう。
主人公もツラいし、妹もツラい。

子供なんて作らないほうがよいと、関係者から言われたときにも、それを素直に受け取る。
それはいいが、何をして生きればよいかとの疑問には誰も答えてくれないのだ。

私の遺伝子は、うっかりどこかに残さないように気を付けて寿命まで運んで、ちゃんと死ぬときに処分しよう。そう決意する一方で、途方に暮れてもいた。それは解ったが、そのときまで私は何をして過ごせばいいのだろう。

村田 沙耶香. コンビニ人間 (文春文庫) (p.116). 文藝春秋. Kindle 版.


最終的には、主人公はコンビニが唯一の居場所であると納得する。
コンビニの「声」が聞こえるようになり、コンビニのために生きることを誓うのだった。

「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」

村田 沙耶香. コンビニ人間 (文春文庫) (p.122). 文藝春秋. Kindle 版.

ハッピーエンドである。

彼女は、自分の生きるための場所、生きるための信念、生きるための理由を見つけ出した。

コンビニの声を聴き、コンビニのために生きるのが天命なのだと。

彼女は幸運だった。
生きる理由、生きがいをコンビニに見つけることができたのだ。

それでも、彼女のように生まれつき感覚的演算能力が弱い人間は大量に存在する。

例えば、主人公古倉に飼われることになった、無職の白羽も感覚的演算能力が弱い人間だ。
感覚的演算能力が弱いから、現実を直視できずに、うまく生きていくことができない。
言葉あそびに終始して、ひたすら世の中が間違っていると恨み言ばかりいう。
頭でっかちで、行動が伴わない。
彼は、世界に居場所を見つけられていない。
不幸のままである。


古倉は、コンビニに出会うまで、出会ってからも”普通”がわからずに苦労した。
もし、仮に古倉が子供の段階で、どう行動すべきか、詳細な規範を記載したマニュアルを受け取っていたらどうだろうか?
古倉は、マニュアルをしっかり守って、普通、もしくは規範を守る優良市民として、堂々と生きていくことができただろう。

白羽だって、自分にできること、自分の器・自分の限界をちゃんと受け入れることができただろう。こういう風に生きろという指示を、彼が人生をこじらせる前に受けとっていれば、違った生き方ができたはずだ。

何をすべきか、何がしたいか、自分で考えて生きていってくれ!
という自由主義的な、不親切極まりない世界では、感覚的演算能力が弱い人間は生きていくのに苦労する。

自由主義と感覚的演算能力が弱い人間は、きわめて相性が悪い。


主人公の古倉も、無職の白羽も、変わった人間とか、特別な人間とか、邪悪な人間、へんな人間ではない。

ただ単に、感覚的演算能力が弱いだけだ。

中世までの農業社会や、インドのカースト制度がある社会では、彼らも”普通”の人間だったことだろう。
何をやるべきか、一挙手一投足まで、伝統により決められているのだから。

古倉も、白羽も、現代日本の自由主義のダークサイドである。

快適でキラキラした世界の裏側で、古倉や白羽のような人間が生きづらさを抱えて呻吟しているのだ。

中世までの農業社会やインドのカースト制度がある身分制の国家のほうが、幸福度の総量は、大きかったことだろう。


幸せとは?

人はパンのみにて生きるにあらず。
人間には、ストーリーが必要だ。
人間には宗教が必要だ。

だが、日本では宗教はうさんくさいものとされている。

アメリカやヨーロッパは、キリスト教、
イスラムはイスラム教
インドはヒンズー教と
世界では、宗教を持つのが当たり前なのだ。

たとえば、海外に行くためにVISAを申請したり、入国書類を書いたりする際には、宗教を書かないといけない場合もある。
(とりあえず、仏教と書いたりするが、、)

主人公の古倉は、自分が何者であるか
自分が何のために、誰のために生きたらいいのかを知ることができた。
コンビニの声を聞き、コンビニのために生きることが、自分の役割だと知ることができた。

古倉は、間違いなく自分自身の宗教を知り、そして宗教のために生きることができ、さらに宗教と整合する仕事も与えてもらい、生きていけている。

間違いなく幸せだろう。

一方で、古倉に飼われていた白羽は不幸である。
白羽は、古倉ほど、振り切れていない。
白羽は、古倉よりは、感覚的演算能力をもっていて、普通の人間の感覚も理解できているが、それゆえに中途半端である。

彼は、中途半端に世間の”普通”というものの影響を受けてしまうから、世間の”普通”を意識して、自分の”役割”を知ることが難しくなっている。
演算能力が弱いから、何が正解か知ることができないのだ。

大半の人間は、白羽程度だろう。


白羽に救いはあるか?

白羽は意外と行動力がある。
コンビニに婚活のために就職して、常連客の女性をストーカーしようとする。
また、古倉の家に住み着いた後では、古倉を焚き付けて、コンビニを辞めさせて、正社員として就職させようと画策する。

この白羽こそ、ちゃんとしたマニュアルさえ与えてあげれば、活躍できそうだ。
まずは、地方の工場に就職して、そこで実績を積んで社会の一員として、まっとうに生きていくことは十分可能だろう。

問題は、本人の無駄なプライドである。

あぁ、シビュラシステムのような、システムが、、、
あるいは、村の長老のような権威が、
あるいは、一族の長のような権威が、
彼をきっちり導いてさえあげれば、あのような生き方をしなくて済んだだろうに・・・・

怖い。

僕も、プライドだけは人一倍ある。
頭でっかちで、感覚的演算能力が弱い人間だから。

お前は、この程度の人間だ!とちゃんとわからせる仕組みが必要なのである。

この社会は、不健全で残酷である。

白羽は、自由主義の社会では救われない。
封建主義や権威主義や、シビュラシステムのようなディストピアでこそ、白羽は救われるだろう。


個人的に望む世界

僕は、自由主義反対である。

全員に遺伝子検査を行い、その結果に応じて役割を与える全体主義国家のほうが、みんな幸せになれるはずだ。

今の、自由主義では、感覚的演算能力が弱い人間が、どんどん不幸になる。

そして不幸な人の数は右肩上がりに増え続けるのだ。

実際に、自由の代価として、精神疾患を有する患者数は右肩上がりに増加している。

https://rescho.co.jp/recruit/about/context.html


需要拡大を受けて、精神科を標榜する診療所数も増加

https://rescho.co.jp/recruit/about/context.html


人が不幸になる自由主義は、正しくても好きになれない。


個人的な対処方法

とはいえ、世の中が変わってくれるわけもない。
だから、自己防衛が必要である。
(なんというか、厳しい世界である)

・まず、自分自身が頭でっかちで、感覚的演算能力が弱い人間だと自覚する
・仕事をがんばる
・古倉のような、信じることができる宗教を探す。
 社会の構造と矛盾しない、生きていくことを邪魔しない”神”を探す。


今のところ、仏教が本命かと思っている。
諸行無常
生きることはツラい
それでも、今を生きる。
ツラさのなかに、少しでも楽しみを見いだせるように努力する
など

仏教を参考にしながら、自分自身の宗教を構築していくしかない。

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