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アンパンマンじゃだめなんだ


"同じような種類"の職につく友人が 
ある時自分のことを

『弱い 性格悪い』と話していた

それについては黙って聞いていたけど
内心
「だから何?」って思ってた笑

言いたいことはわかるけどさ、って

"そんなことないって本当はわかってるけど…けど"

って文字が顔浮き出て来たのが私には見えたから
黙って待つことにした


どうせそのうち

その嘘に苦しくなって
自分で何に向き合うべきか気づくだろうし

堕ちるか上がるか選ぶなら

いや 
その仕事に誇りを持つ彼女なら

いつかは
選ばねばならぬ時が来るはずだから

その時に落ちそうになったとしても
間違いなく彼女なら

是が非でも這い上がることを選ぶだろうと

彼女の中の真のエネルギーの
回復と成長を信じていたから


数日後


案の定

『弱いって言葉で言い訳してた』

と切り出し
あれから考えたんだよね、と話し出す

年月にしたらまだ付き合いは浅いが
おそらく誰にも相談しないであろうタイプの彼女が

滞っている(ようにみえた)
自分の胸のうちと現状を

言葉を選びながら
ゆっくりとしっかりと話す

その姿からは
数週間前とは見違えるような
強い意思を感じとれた

私が以前
「紙に書けば?」と言った後で

『すぐに書いたんだ』

と言う彼女はやっぱり凄かったし
安心した

目的地が違っても
見たい景色は多分同じだ


こうして
リスペクトし合うところがある人と
友人だと言い合えることと
意見が違っても話し合えることって
代え難く嬉しいことだと思う


紙に書き出し明確化することで


『弱い』と言い続ける
自分の"本当の声"に辿り着いたようだ



腑に落とす、と言うけれど

昨今 
呆れるほどの膨大な量とスピードで あらゆる情報が錯綜してるせいで 

頭が中心の思考になりがちな人が増えすぎるのは
美容師を長年する間に
深く目の当たりにせざるを得ないからこそ
強く危険性を感じているところ

最近 自分にも
その危険性と危うさ
それとの付き合い方や眺め方 
などなどを話してくれる人がいてくれるおかげでまた
腑に落ちて立ち位置の見直しや
目標までの道のりが見えてくる

共感出来る人と出会う幸せを感じていたところ

これも"有難い"ことだと
奥の方からそう思う




ダメージの改善、予防
似合う探し
老けたくない、や
若さを維持したい

などなどの相談に
常々 美容室の営業でも

腑に落とすこと
自覚することが大事だと

目的達成の為の段取りを
お話させていただくことがある

多くは
現状把握もせずに
髪質を過去の記憶を元に自己判断し
もっと〇〇しなきゃ
もっと〇〇にならなきゃと

なりたい自分を決めずに
自分ではない
誰かを基準に走り出す
(または走り疲れて立ち止まる)


魅せ方よりも
不安からの消去法で決めてから

何が似合いますか?と
表面上、言葉だけに踊らされて
似合う探しに奔走しても
目的を持たない場合
息切れして狼狽え落ち込む


『そこ』から脱したいのであれば
幾らでも方法もあるし道も案内出来るが

一番大事なことは

本人がそうする、と決めて
動くこと 

だと思う


腹を決めて現状と向き合い
過去を捨て

未来どうなりたいか
どんな風に歳を重ねたいか
希望を持たせ導く代わりに

なりたい自分になる
   "覚悟"を決めろ

と発破をかけることは

結構勇気もいるし
エネルギーを消費する

嫌いじゃないが
楽だとは思わない


基礎体力や基礎技術を身につける前に勢いだけで爆走しては
必ずと言っていいと思うほど
まぁまぁな確率で壁にぶち当たる

ほんでもってそういう時って
頭でっかちなもんだから
まんま 頭から突っ込んで

ばぁ〜んと仰向けに倒れ
天を仰ぎ

あーやっぱり自分には
出来ないんだー
無理なんだーって諦める


こんなパターンて意外にも
多くの事に当てはまるのではなかろうか?

やり方が違っているだけなのに
可能性まで潰す必要あるのかな?



頭でっかちほど

己のしてきたことを変えられず
己の培ってきた内容を見直さず

一つの答えにしがみつき
決定し諦める

まぁ、諦められる程度の願いなら
それでいいのかも知れないけれど

髪の扱いも
似合う探しも
体づくりも
生き方探しも
何もかも

根底は結局 同じところへ流れ着く




車の運転と同じだと書きながらふと思う


驕り高ぶる奴ほど危うく横暴で
事故率も高い


運動神経、反射神経が
笑うほど鈍いと自覚する私は

順調に無事故無違反で
ゴールド免許を何年も維持してこれた



要は学歴だの才能、姿形だのよりも

目の前のことにどれだけ真剣に向き合うか

驕らず自覚すること

"今"に覚醒し続けること

しがみつくのではなく

俯瞰すること

目的を持つこと

見直す勇気を持つこと

試すくらいの緩さを持つこと

嫌なら、飽きたら途中だってやめていいと 知ること

間違ったら直す素直さを持つこと

自分じゃ無理なら誰かの力を借りること

任せること、委ねること

待つこと、譲ること

が、大事なんじゃないのーと思って自分に言い聞かせているよ

人生で何度も言われて来たが
再びここに来て

『緩むこと』がめちゃくちゃ大事だとある人から教えてもらい 

うんうん、そうだな!!って改めて思うので 
なりたい自分リストの項目に入れる事にした



彼女も私も 
もともと持つ使命感や
人生で果たしたい目的が決まっている(であろう)事と

それに向かうための力が
まだまだ弱く脆い事が共通点で
(だよね?)

本当は強くなりたいと願うからこそ
先に腹を括っている私のところに
彼女はやって来たのだと思ってて

誰かのために強くなろうとする決意や
弱いと感じる経験
その無力感に打ちひしがれることがあろうとも

その思いを持つ事や
実行すること
トライ&エラーの繰り返しであろうとも

出来るかどうかを"やる前に判断"するより


都度となく立ち上がり
学びがあれば
納得があっていいと思う

もともと「強い人」の中には
そんなことを考えつかないかもしれないし

だとしたら
無事目的のゴールに辿り着いた時
"手持ちのカード"は弱い私達の方が
ボロボロになってるはずだ

それを誇りと共に持っていたいと私は思う

弱いと自覚するから
強くなりたいと憧れて願えるわけだし

強くなれれば 
弱かったからこそ
弱い者の気持ちを理解できるはず

私たちの"したい仕事"においては
必要不可欠な財産となるはずだ

もともと強い、
特に環境面で恵まれた場合なんかは
車の運転と同じく
その力の使い方を初めから間違う者だっているじゃないか

だから弱いところから始める事は
逆に伸びしろがあるって事だし

うずくまってその場から動かないよりも 
経験と共に見える景色は
格段に増えるし 
おのずと質も変わるだろう

それだけでも挑戦する価値があると好奇心から思ってしまうのは私だけかも知れないが

各々のにある"気質"だろうから

決して良い悪いで判断されるべきものでもない

そして

弱いかどうかはどうでも良くて

それを堂々と口にしてる時点で
図々しいと

ある程度、いやかなり笑
強くなったと自覚のある私は思うんだ

「弱ってる」と言ってくれたら
いくらでも支えてやる

だからこの先もう二度と自分をみくびるな


今ちょうど私には
自分が新たな壁を登りたいなーと
あちこち目を向けて歩いていたら
出会った人たちがいる

手を差し伸べてもらっている最中なのだと感じているし

その力を借りて行きたい壁の向こう側へ必ず行くつもりだ

また更にその経験は
"誰か"に手を差し伸べる事も今までよりもっと楽に出来るようになると思う、と

そんな私の今の気持ちを
彼女にも話した



結論


アンパンマンは
ジャムおじさんがいるから
(アニメだしさ)
顔をちぎってもいいけど

ウチらはそれしたらダメだよ
身体は人間だもの


「顔」じゃない部分を磨き上げ
それぞれの
仕事を通して誰かに分けていこう

足りなくなったら
補い合えばいいんじゃないの

だから1人で頑張るな




望む場所へ共に行こうよと笑い別れたあの日から

また互いのステージに今日も立つ



きっといつの日かこれを読むであろう(サンキュウ)

同士である友人への手紙でした

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