漠然とした夢

私は教員を目指していた頃がありました。

臨時講師として学校に携わり、私には体力と精神的に続けていくのが難しい職業だと感じて目指すことをやめました。
現在は月に数回、外国語の授業をお手伝いで小学校に行って『楽しいな』と思える贅沢な関わり方をさせてもらってます。

 私は日本人ですが、授業中は英語で対応しているので廊下で会ったり、教室に入ってくる時は「ハロー」と声をかけてきてくれます。

日本語話せるの?とよく聞かれます
「何か日本語しゃべってみて~」と必ずリクエストされます

たまあに、「次の英語の時間も来る?」と嬉しい言葉を聞くこともあります。

文科相は少人数学級を目指しているはずですが、現場は全く違います。

40人近い子どもたちを1人の担任が見ている所が多いように感じます。
数年前よりそういう学級が増えているのではないかな?と実感してます

 先生たちも理想の教師像があるはず
もっとニコニコして毎日を過ごしたいはず

だけれど、疲れている先生が多いです。

見ていてそれぞれの先生たちは一生懸命で頑張っているのがよくわかります。
そして、それだけ余裕がないのもわかります。

もっと緩んでもいいのではないのかな?と思うことがあります。
しかし、クラスをまとめるには一律にしなければならないことも十分理解できます。それで厳しくなってしまう場面もあるでしょう。

夏休みが終わって「学校に行きたくない」という声もあって、「無理して行かなくてもいい」という言葉をネットニュースでよく目にします。

『学校に行く』
『学校に行かない』
というどちらかの一つの選択ではなくて、

『学校に行ってもいい』
『学校に行かなくてもいい』
という気持ちの余白があるような選択だったらいいのかなと感じます。

学校が先生も子供たちもみんな笑顔でいられるようなゆったりとした空間であるよう、間接的にでも教育に関わっていきたい

フリースクールも一つの居場所だと思う。
なんだけど、たまに学校と不登校の子たちが対立しているような感じを受けることがある。

中には学校に行きたくても行けない子たちがいると思う。
だからそういう子たちと学校を結ぶようなパイプになることができたらなと考えている。

まだ考えは漠然としているけれど、先生も子供たちも笑顔でいられるよう陰ながら何かできないか模索中