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自分らしい終活ってなんでしょう

終活と聞いて皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか?お金に関することでしょうか?健康でいることでしょうか?はたまた孤独にならないようにすることでしょうか?

縁起でもないと敬遠する方、まだまだ若いから関係ないと思う方、人それぞれに感じ方、捉え方もさまざまでしょう。

身内をこれまで何人も見送ってきた自分自身の体験と法律職として20数年にわたって他人の相続相談や昨今だと終活の相談に対応してきた経験を踏まえて今回は終活についてお伝えしたいと思います。

■終活に対するイメージ

終活に対する一般的なイメージはこんなところでしょう。
・資産家が行う相続税対策
・身寄りのない方が準備する老後対策
・身の回りの整理
・遺言書を書くこと
・認知症対策
・介護が必要になった時や入院した時の処置の希望を考えること
・葬儀やお墓のことを考えること
・元気なうちに好きなことを好きなだけすること

全部当てはまりますし、なにもしないよりやっておいた方がいいことばかりです。終活と言うと、何となく税金や法律などの対策みたいなことが多い印象ですね。

税金や法律のことは知らないよりも、知っておいた方が良いと思いますし、具体的な対策というのもしないよりはしておいた方がいいと思います。現実に亡くなった後にご家族が苦労するのもたくさん見てきたので間違いないです。

ただ、終活は「死に支度」という何となく暗いイメージが伴いやすいものなのでどうしても考えたくないし、先送りにしたいというのも人として当たり前の気持ちだとも思います。

■終活をする目的

終活をする目的というのは大きく分けて二つの理由があります。理由のひとつは残した家族や親族のため、もうひとつは自分のためです。

家族や親族のためというのは納税準備や各種手続きの煩雑さを軽減し、迷惑をかけないようにという文脈で語られることが多いです。

世の中で語られる終活をフラットな気持ちで眺めると、もうひとつの理由である自分のためという観点で語られることは案外少ないものです。

保険会社や銀行、証券会社などの金融機関や税理士さんなどの士業の先生方は「終活=相続対策」という観点から、残した家族に迷惑をかけないためにしっかり準備をしましょうとお伝えすることがほとんどです。

それはそれで正しいことなのですが、専門家の人に難しい用語ばかりの対策や制度の説明を受けても何となくぴんとこないですし、先ほどお伝えしたようにご本人にとっては死に支度という暗いイメージがありますから、なかなか「よしやろう!」という気持ちにはなりにくいことも事実です。

年老いた親に遺言を書いてといくらお願いしても、取り合ってもらえず、喧嘩になってしまったという経験をされた方も多いのではないかと思います。士業の先生方は子どもに依頼されて親の説得を代わりにするなんてことも多いです。

マーケティングで言うところの商品(対策)とベネフィット(恩恵)という概念が終活の現場では皆無なので、当人である親御さんなどもやった方が絶対にいい対策もやらないということが多い気がしています。

■エンディングノートは持ってるけど、書いてませんが実態

終活という言葉の普及とエンディングノートの認知度の高まりはほぼ一緒なのですが、書店の相続対策コーナーにはたくさんの種類のエンディングノートが売られていますし、相続対策セミナーなどに参加すると無料でくれたりするのでエンディングノートをお持ちの方は結構いらっしゃいます。

過去の記事引用です。エンディングノートを「書いた」人は2%という数字が掲載されていますが、実際もこんなところでしょうね。

最近のエンディングノートではデジタル遺品と言う項目が当たり前のようにあって、SNSやネット金融会社、スマホ、PCのID、パスワードも記載する仕様になっていたりします。これはこれで時代を反映した内容ですね。

エンディングノートが書けない理由は終活に対する後ろ向きな気持ちと同じです。項目別になっていて考えることが具体的なのでより考えたくないという気持ちになるのでしょう。

ちなみに、私はエンディングノートを書いてますが、家内には秘密にしています。それでは全く意味がないこととわかっていてもまだしばらく秘密にしておくつもりです。子どもがいない夫婦なので遺言も残しておくのがセオリーではありますが、まだ書いていません。元法律職であってもそんな状態なのが実態です。

■自分のための終活という視点

これも使い古された表現になってしまいますが、「現在までの自分を棚卸しをして、残された時間をより良く生きるための実現ノートのように使ってみましょう」という考え方があります。

個人的にはこの視点の方が好きではありますが、将来を考えた時に明るいイメージを持てるのであればという条件付きかもしれません。

健康や老後資金、自然災害など不安を挙げたらきりがありませんので、なかなかポジティブな気持ちで将来をイメージし、目標を立てるのは難しいからです。

目標がない人生なんてあり得ないという考え方の人も世の中にはたくさんいるでしょうけれど、個人的には現役で仕事を続けている間の仕事上の目標以外は実はありません。強いて言うなら、毎日穏やかに過ごせたらいいなくらいしか考えていません。

ですので、死ぬまでにたくさん海外旅行をしたいとか達成したい願望のようなものがほとんどない人の場合には自分のための終活という視点も訴求としては弱いかもしれません。

■では終活をどんな視点で受け止めるのか

・何も伝えていないと絶対に迷惑をかけるだろうことを伝えること
・きちんとお礼や感謝の気持ちを伝えておきたい人に伝えること

礼儀という視点でやり残さないことを考えるのもひとつです。

参考までにこんな記事も引用しておきます。

自分もそうですが、死の直前に後悔することはきっと多いと思います。けれども、過去についてたらればを言っても仕方がないという割り切りはありますし、望んでも実現できないことの方が多く、人生悔いなしと言えることだけが最高でもないと思っているので、多分、「まあこんなものかな」と考えるのだろうと思います。

なので、終活をするのであれば、自分の目指す最後の在り方を想像して、自分にとって大事なことを逆算してできる限り実行するというのが素直な考え方ではないかと思います。

終活という名の取組みを他人から強要されて嫌々やるのでは前に進みません。

自分の人生をどうしたいのか、考えたことをやるのか、やらないのか、簡単に言うとそれに尽きます。やらないことの後悔や不利益も含めて自分の人生です。他人がとやかく言うことではありません。

私にも「終活とはかくあるべき」といった強い信念のようなものはありません。終活は結局のところ、自分の人生との向き合い方の問題だと思っているからです。

まとまりのない話になっていますが、最後に法律的な観点で対策をしておいた方がいいケースを一つだけお伝えすると、

・相続人となる人が行方不明もしくは認知症や障がい等で判断能力がない場合には遺言書は絶対に書いておく

最後までお読みいただきありがとうございます。