見出し画像

超商業化資本主義とWeb3の関係

技術(テクロノジー)による未来を創造する時は、僕は常に学問的な研究、歴史的考察を技術進歩と一緒に考えないと使い物にならないと信じている。経済学を専門として学び、テクノロジー起業家・投資家としての自分の立場を考えると、アイデンティティーといえるような考え方であり、そこが自分のユニークさだとも思っている。

Web3の世界にどういう可能性と未来がありえるのか。その未来をより良いものにする時に、どういった事が必要になるのかを、経済学的な見地を含め考察してみた。以下の、3部構成となる。

(10分で読める量にしているので一気にどうぞ!)

1部:超商業化資本主義は止まるのか
2部:資本主義は進化できるのか
3部:Web3の可能性

1部:超商業化資本主義は止まるのか


そもそも20世紀後半からグローバリズムが台頭し、超商業化資本主義が加速され、世界の主軸たるシステムとなった。この点に疑問はない一方で、世界は格差を広げ問題となっている。正確には先進国の中間層を最も貧しくしたわけであるので、この格好の餌食となった日本は失われた30年を過ごし、日に日に貧しくなっている。

有名な所では、所得分配の推移を示したエレファントカーブがわかり易い。


エレファントカーブ(Source : Nikkei)

自由資本主義の先頭を切る米国でも問題は噴出し、大変不安定な情勢となっている中、若い世代や貧しい世代を筆頭に、社会主義への回帰を押す声が広まっている。

これは、当然な憤りと言える。もう格差はうんざりである。

資本主義を脱却しよう。

これは偶像的な理想論でしかない。

資本主義以外、他の選択肢は存在しない。

これが結論である。

様々な選択肢を試してきた人類が行き着いた先が、超商業化資本主義で、人間の平均的生活水準は著しく改善した。

資本主義を捨てるという事は、技術進歩(テクノロジーの進歩)が減速し、様々な利点(モノやサービス)を失う事である。

資本主義を捨てて、この利点を残しながら、権威主義や社会主義しいては共産主義への転換がうまくいくなんてことはあり得ないと歴史が証明をしている。

「いや、日本は優しい国民性で、お金への執着もないから、きっと成立する」

なんていうのは、人気取りか、Well being信者の戯言である。

日本が資本主義を捨て、貧しくなれば何が起きるかというと、まず金が底をつき、それどころではなくなる。次に、海外の富裕国が押し寄せてきて、土地や日本の財産を買い占めて、日本の文化や歴史も含めて壊滅的となる。

今日のイタリアを見れば、事は分かりやすい。イタリアの美や市街はアメリカ人、中国人など外国人富裕層に占有されつつある。もはや、イタリアの美は本来の住民が楽しむものではなくなってしまっている。

一つ、超商業化資本主義を回避する方法は、完全に鎖国をする事である。その為には、自給自足を完全に成立させる必要がある。しかし食料自給率が40%を切り、エネルギーの輸入比率が90%近い日本には到底無理な話ではある。

僕はいつもこの話をする時に、

”日本はブータンにはなれないし、なるべきでもない”

という事を言う。

人口80万人にも満たない国で、国民の多くが農業に勤しむ国と人口1億2000万人超の先進国日本を一緒にする事は、あまりにも未来に対して無責任である。

そう、超商業化資本主義はもう止まらない。不可逆なのである。

因みに、書籍で集中的にこのあたりの経済を学びたい方にはこちらの本がおすすめ。

”Capitalism Alone” Branko Milanovic

2部:資本主義は進化できるのか


さて、ではこの超商業化資本主義を進化させる事ができるのか?といった事を考えたい。

確かに選択肢は他にないとはいえ、現状が最善かというと、全くそうではない。

答えは”できる”である。

しかし、民間の力ではできない。

という現実がある。

政府による政治マターとなるというのが答えである。

ESGも脱炭素も結局は民間においては金儲けや株式価値向上の施作でしかない。

民間は結局、利益の追求を捨てるインセンティブ構造が働かず、成立しない。

資本主義なのだから、資本を増やそうというのは当たり前。

買い付け騒動における、囚人のジレンマを考えてほしい。

協力した方が利得は高いのに、逸脱した者が利得を得るのであれば、協力できないのである。

では、政治的な方法で格差の減少や所得の向上を狙える方法が何かとあると、ブランコ・ミラノヴィッチ氏の意見を参考とすると、

  • 中間層の金融資産と住宅資産への減税。富裕層への増税と相続税の引き上げ(資本/労働所得割合の上昇への対応。持つものがより富、持たざるものがより貧しくなる現状への対応)

  • 公教育と医療の無償化(中間層、貧困層の世代間移動性を高める)

  • 移民問題に対して、自国民と移民間の市民プレミアムの段階を儲ける
    (グローバル時代における、自国民の保護と、移民の受け入れのバランスをとる)

  • 富裕層からの政治資金の制限
    (エリート層の政治権力への影響の根絶により、富裕層へ不利な政策を実行可能にする)

となる。(分析など、詳細は割愛)

確かに全てしっくりくる政策ではあるが、民間人の私達には何もできない、する事がないという絶望感もある。

3部 Web3の可能性


ここからWeb3について考えてみる。

Web3はもしかすると民間の技術(テクノロジー)の力で、この超商業化資本主義を進化させる事ができるものではないかと、僕自身大変ワクワクしている。

僕は33歳で超資本主義から脱落している。
利益のみでしか測れない世界に落胆し、何か他の喜びを見つけ飛び出した。

実際、物質的な欲が薄く、ミニマリスト気味な僕には違和感があった。

一方、この揺るがないシステムを諦めず、勝ち残りながらも、次の形を示す事はできないのかとずっと思索してきた。

決して逃げずに、勝つ。即ち、資本獲得というゲームで勝利しながらも、このシステムを進化をさせたいと願ってきた。

そして、ついに民衆的な資本主義という進化系が示される可能性が出てきたのではないかと今感じている。

最終的な目的は資本主義において全ての人の”所得”の向上、”富の分配=格差の減少”、を”幸福感を高めながら達成する”である。

Web2におけるギグエコノミーは個人の余暇を商品化させ、所得向上に貢献したが、問題点はプラットフォーマーへの利益集中と、業務内容の陳腐化と人間のコモディティー化である。これは、片手落ちである。

Web3の世界観の一つであるNFTについて考察すると、

(source: a16z)

実際に世界最大のNFTプラットフォームOpenSeaのtake rateは2.5%程度なっており、Web2時代のプラットフォーマーより著しく低くなっている。NFTを使って、独自の創造性の下、商品を作り上げ販売できるというのは、UBERでデリバリーするよりも確実に人を幸せにする工程であるのは疑いようもない。

GameFiの世界ではPlay to Earnが大流行してきている。遊びながら所得が稼げるなんて世界は凄い事になったと思う。

DAOは推し活的な話で、熱狂しながら貢献した分だけ、自分への報酬が返ってくる可能性がある。

要は、超商業化資本主義には代替システムは存在しない中、極めて合理的で人間の本性と適合する進化した資本主義が、テクロノジーにより生まれる可能性が出てきたという事である。グローバル資本主義の中でも、先進国中間層が所得を上げる手段が生まれてきた。という話を内包している。

国家間のグローバルシステムでは恩恵に預かれず、グローバルサウスの労働力に惨敗した、先進国の労働力が自身を商品化し、余暇や創造力で所得をあげる絶好の機会であるという事である。

国家という枠組みを超える、もう一つの世界が誕生しつつある。

話はそれるが人の生きる目的は幸福を感じる事であり、
その主たる方法は”創造する事”である。

詳細は割愛するが、このあたりを学びたい方は美学(aestethics)を学ぶ事をおすすめ。

参考図書はこちら。

佐々木健一著 美学への招待

創造しながら経済が回る”Creators Economy” 
なんて素晴らしいことだろうか。

ただ、ここでまた問題が起きるのは、民間は制御が効かず、資本最大化を繰り返すという事である。本来あるべきWeb3の世界を投機的な世界へと変え、バブル化させ、結局は創業者とベンチャーキャピタルへの富の集中を加速させる可能性は高い。

ここでは政府によるWeb3規制緩和と有効的な規制の実施という対応がきっと求められる。

Web3は特効薬ではない。既に、NFTはバブル的な動きも強く、投機性に満ち、かつ既に稼げるプレーヤーが限定され富の集中がおきている。GameFiで稼げている人も、まだかなり限定的という。

結論、ベンチャーキャピタリストとしてどう振る舞うべきかの難しさやジレンマ。Web3がただのbull shitなる不安はある。

しかし進化した資本主義の下での産業を作るという、ワクワクの方が断然大きく、テクノロジーが人類を進歩させると信じて疑わないし、信じた物事しか実現しないとも思っている。

グローバルな超商業化資本主義と真剣に向き合いながらも、民衆的な資本主義の実現と人類の幸福の増加に、貢献していけるかもしれない機会を大切にしたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?