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マスプロ授業とアクティブラーニング

知人のFacebookに次のようなtogetterがシェアされていました。

■学生の選んだベスト授業が古風な「板書講義」だったという話が面白い→みんなグループワークやプレゼンに疲れてる?

最近の大学の講義は、グループワーク、ディスカッション、それを基にしたプレゼンテーションなどが重視されており、それに学生が疲れているのではないか、と言う趣旨でした。

疲れているのかどうかは知りませんが、言われている内容には思い当たる部分があります。少なくとも『古風な「板書講義」』が楽だからベストに選ばれたわけでないと思います。

■マスプロ授業は悪?

僕が学生だった頃の講義は、クラス単位の語学・体育とゼミ(研修室)以外はほぼ全部マスプロ授業(講義)だったと記憶しています。当時からすでにマスプロ授業(講義)の弊害が声高に主張されていて、「もっと双方向性のある講義でないとダメだ」と言われていました。当時は、物理的な問題もあったでしょうから、そう言われつつも、ほぼマスプロ授業(講義)だけで卒業したと思います。

ただ、マスプロ授業(講義)がそれほど悪いのか、との疑問は持っていました。マスプロ授業(講義)にもいいところがあるじゃないか、と思っていたのです。僕はそれを大学ではなく予備校(代々木ゼミナール)で体感していました。当時の代々木で受講していた講義は、ほとんど500名、600名入る教室で行われていました。それでも僕は、人生の中で有意義な時間を過ごさせてもらえたと思っています。

人が学ぶ動機は3つあると考えています。一般に言われているのは、競争動機と理解動機です。競争動機は誰かよりもできるようになりたい、いい点数が取りたいという気持ち、理解動機は、学んでいる内容自体の理解が進み、学び自体が楽しくなってくるというものです。ただ僕は、もう一つあると思っています。それが「感染動機」です。

「感染動機」とはつまり「憧れ」です。内容ではなく、それをやっている「人」、教えてくれる「人」に感染するわけです。
当時の代々木には、強烈な個性を持った講師が数多いて、そうした人たちの講義から濃厚に影響を受けました。「この人みたいになりたい」と思える人に教えてもらっていたのです。そう思わせてくれるような人を僕は「師匠」と呼んでいます。

こう言っては悪いですが、たまたま近くに座った、自分と同級生(同じくらいのレベル人)から強烈な刺激を受け、感染してしまうことなど滅多に起きるはずがありません(ゼロとは言いません。ときどき現われます、もの凄く強烈な同級生が)

そう考えると、アクティブラーニングが万能のように言われるのは違和感しか覚えないのです。

■インプットなくしてアウトプットなし

アクティブラーニングでは、アウトプットが重視されます。自分なりの意見の表明は必要不可欠でしょう。しかし、インプットされた一定の知識がなければアウトプットなどできないでしょう。

修士論文を仕上げていない僕が言うのもなんですが、論文を書くには「先行研究レビュー」が必要です。まず「すでに知られていることを知る」ことが必要です。オリジナルな意見とは、ゼロから生み出されるわけがありません。すでに知られていることを知り、それと自分が考えの差を突き詰めていく中でオリジナリティのある意見となっていきます。ですから、インプットがないまま、アクティブラーニングを進めて効果は薄いと思います。

もちろん例外もあるでしょう。アクティブラーニングを通して自分の無知さを知り、インプットに力を入れるようになる場合もあるからです。しかし、現状、多くのアクティブラーニングはそうなっていないと思います。

■ほとんどの人間には独創性などない

コンサルタントなどをしているとときどき「私が開発したメソッド」「独自のノウハウ」をうたい文句にする人にであいます。はっきり言って、そのほとんどはインチキです。たまに本当に素晴らしい方にも出会います。そうした人は、本人が意識してか無意識かはわかりませんが、ちゃんと先人の英知を踏まえた上に自分なりメソッドを作り上げています。

インプットだけをしていればそれはただの趣味ですから、社会的価値はほぼ生まない。一方、中身がスカスカのアウトプットをされてもこれまた社会的価値を生みません。結局、インプットもアウトプットも両方とも大切だ、というありきたりの結論になります。

昨今は「アウトプットを前提にしてインプットをしろ」と言われます。試験勉強も、試験で点数が取れるようになるというアウトプットを想定しないインプットは、無駄とは言いませんが遠回りになります。だから普段は、アウトプットする場を想定してインプットするように努めています。

しかしそれだけだと、必要に迫られたことだけをインプットしているような気がしてきます。時に「面白そうだから」「この人は凄い人みたいだから」という理由だけでインプットしてみるのも良いのではないかと考えています。そうしないと、幅が広がらない。幅が広がらないと、想定内の人にしかなれません。なにかに変革を起こせる人、想定外の事態を引き起こせる人は、一見無駄と思えるインプットをしてきた人だと思います。


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