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浪人時代

僕はプロフィールに、次のように書くことがあります。

高校卒業後、代々木ゼミナールに3年間通う。

つまり、3浪したということです(苦笑) 僕にとっては、隠すことでもなく、卑下することもでもありません。まあ、積極的に誇示する話でもないですけど。

なんでこんなことを書いているかというと、先日、さとなおさんが浪人時代を振り返る文章を書かれていて、それに触発をされたからです。

僕にとっても浪人時代は、貴重な経験でした。3年もやることはないですが(笑) できる環境なら1年は経験した方がいいと本気で思っています。それはいまも変わりません。

僕は予備校で「学問の入り口」に立てました。高校時代、まるで勉強しなかったのでそこに立つまでに2年かかったのですが(普通の友人たちは1年目からそれを感じた人が多かった)、とにもかくにもそこに立てたことは、浪人生活を楽しいものに変えてくれました。つまり「学ぶ」ことの楽しさを初めて知ったのです。
当時勉強したことが現在、直接役立っている部分は少ないです。現代文を通じて身につけた「文章の読み方」と世界史の基礎知識くらいです、役に立っているのは。英語はもっと活かせるように継続しておけば良かったと後悔はしています。しかし、具体的な勉強内容ではなく、「学ぶ」こと時代の楽しさを知ったことがいまにつながります。

それを教えてくれたのは、予備校の講師たちでした。駿台にも魅惑的な講師がたくさんいたのは噂で聞いていましたが、当時の代ゼミはそれを上回るほど、変は講師がたくさんいました。名前を出すと懐かしがる人がいるかもしれないので僕が師事した方を列挙すると、英語は潮田、芦川、現代文が堀木、田村、古文が土屋、椿本、国広、漢文が中野、世界史が山村、という面々です(敬称略)

英語や現代文、古文の読み方を習いながら、人生を学んでいたとのだと思います。ものの見方・考え方について濃厚に影響を受けています。

そしてもう一つ「漠然とした不安」に耐える訓練ができました。人は大きな困難が来襲した場合、必死に抗うか、必死に逃げるか、選択肢は決まってきます。大切なのは「何でもない日常の中で、先が見ない漠然とした不安」にどう対処するか、です。
当時の代ゼミは「予備校文化」と称されるほど明るい雰囲気があふれていました。しかし、翌年の2月には確実にやってくる次の入学試験を不安に感じない人はいなかったと思います(感じていないような人はそもそも大学に受からない)。僕も学ぶ楽しさを知り、明るく楽しく3浪生活を謳歌していましたが、現実の受験では後がないわけです。模試でいくら前年までと違ってある程度の点数がとれるようになっていても、不安が消えることはありませんでした。
そんな経験を社会に出る前に経験できて本当に良かったと思います。30代後半の荒んだ生活から抜け出せたのは、このときの経験があったからこそだと思っています。

僕が浪人生だったのは30年以上前です。予備校が置かれている状況は大きく変わっています。僕が感じたような「学問の入り口」をいまも感じることができるのかどうかわかりません。
それでもなお、「環境が許せば浪人した方がいい」と言うのは、漠然とした不安に耐える経験は、いまも変わらずできると思っているからです。

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