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なぜあなたが「セミナー」を主催するのですか?

2010年から2015年頃まで、「HalfBleed」という名前でセミナーを主催していました。名前の由来はたいした理由はなく、美崎栄一郎さんが主催されてたセミナー「アンダーグランド」が「UG」と略されていたので、こっちは「HB」の略称が使えると思ったからです。
というのは後付けの理由ですけど(笑) 強いて言えば「異質なものが混じり合うことであらたなものが生まれる」可能性を探るという意味を込めていました。

飽きてきてしまったのと、診断士として忙しくなったのと、なにより「もう自分が主催してやる意味が感じられない」と思ってしまったので、自然消滅状態にしてあります。
そんな経験があるからか、最近のセミナー告知を見ると
「なんだかなあ」
と思うことが増えました。

Zoomをはじめとするオンラインが定着するに従って、セミナーを開催する敷居が低くなっているのかなと思います。なにより、会場を押えなくて良いので、それだけでも気楽に始められるとは思います。Clubhouseの登場は、この傾向をさらに加速するのだろうと予想しています。

参入する人が増えれば全体の質の平均値は下がる、のは経済の基本法則ですが、それにしてもなあ、と思うことが度々あります。

■それを語る資格があるのか

自分で講師をするなら、そのテーマについて自分に語る資格があるのかどうか、よく考えてから始めて欲しい。副業をろくにしたこともなく全然稼げていない人に
「これからのサラリーマンは副業が必須だ」
と言われてもなんのリアリティを感じません。金融投資の初心者に、投資指南を語られても、だからどうした、と言うことになるでしょう。

初心者だからダメ、素人だからダメ、というわけではありません。友人がFacebookにくれたコメントに

「『投資初心者が1年で100万円溶かしたセキララな話』なんでセミナーがあったらそれはそれで聞きたくなります。

とありました。僕も同じように思います。他人の失敗談はとても勉強になるし、コンテンツとしても成立するでしょう。しかし、自分では何も行動を起こしておらず、書籍やセミナーで仕入れたちょっとして知識だけでセミナーを主催し、自ら講師をやろうとするのは理解を超えています。その度胸は評価しますけど(苦笑)

■なぜそのセミナーを主催するのか

上記とは別に、講師を招聘するか自分でやるかは別にして、きちんとしたコンテンツでありながら残念な告知になっているものも散見します。内容の説明に終始して、最後まで誰が登壇するのかわからないものを多々見かけるのです。


内容はもちろん大切です。しかし、セミナーにおいては何を話すか以上に「誰が」話すかのほうが重要になります。登壇するに値する知見や実績、経験を持っているかどうかが大切なのです。

最後まで読むと、登壇される人は十分講師を務めるに値すると思われるのですが、それがまったく伝わってこないに告知になっているのもが多い。非常にもったいないと思います。

なぜそのセミナーをやると思ったのか、根本の「想い」を伝える努力をしないと告知にならないと思っています。それは他人を呼んでくるせよ自分で登壇するにせよ、同じです。どんな理由があってその人を呼んできて話をしてもらおうと思ったのか、どうして自分が講師をしてこのセミナーをしようと思ったのか、その想いを伝えていく必要があるし、想いが伝わればそれが集客につながるとのだと考えています。

HalfBleedをしている頃、慎泰俊さんに講演をお願いしたことがあります。

当時、起業される前の慎泰俊さんは、代表をされていたNPOの活動告知も兼ねて、時々講演をされていました。そうした中で、僕が慎泰俊を呼んできてセミナーを企画する想いはなにか、それが明確でなければ差別化はできません。繰り返し繰り返し、暑苦しいと思われるくらいにFacebookやTwitterで告知をして、伝わるように努めました。まあ暑苦しすぎて引いた人もいると思いますが(苦笑) 結果的に一定の集客ができ、赤字を出すこともなく慎さんのNPO(Living In peace)に寄付をすることもできました。

自分の中にある熱い想いすらも利用できる冷静なマーケティング視点を持ち、集客につなげていく。ある程度の集客がなければ想いの伝えようがないわけですから、集客できることで結果的に想いは伝わっていく。そうした視点が主催者には必要だと思っています。




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