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出会いなおし〜舞台「宝飾時計」観劇記録〜

「出会いなおし」

ちょうど読んでいた本『出会いなおし』(森絵都)や、わたし自身の考えていたことらとリンクすることがあまりにたくさんで、いろんな思考や感情を巡らさずにはいられなかった。

このタイミングでこの演目と出会えてほんっっっとうによかった。

閉幕して、お隣さんが肌寒かったと言ってる脇でわたしはなんだか体がほてって暑かった。
ロビーで涼まないとコートを着れないほど。(発熱かと不安がよぎったけど、それは大丈夫だった。)そのくらい昂ってしまったのかも。

もう一度、いや何遍も繰り返しこの作品を観たい執着と、生ものという刹那を尊びたい気持ちが心の中で喧嘩してて収拾がつかない。

以下、長ったらしい感想文
※ネタバレありあり

2023年1月28日(土)舞台『宝飾時計』@東京芸術劇場 ソワレ

結婚や仕事に関する30代の悩みを描く作品はたくさんある。小説でもドラマでも映画でも。この作品もそういう類のものだと思っていた。
だけど、実際に観劇してみると、まったく違う印象を受けた。結婚や仕事は人生の中で重大な要素。だけど、それだけで語れるほど人生は単純じゃない。そんなことを言われた気がした。

家庭を持つことや仕事の成功、経済的な豊かさは、側から見たら押し並べて「幸せ」とみなされやすい。でも、当の本人の幸せが、外野の定義づけた幸せとイコールとは限らない。
(そんなことを前にも思ったな。そうだ、オードリー・ヘップバーンのドキュメンタリー映画を見たときだ。)
それに、幸せ100%なんてことは有り得なくて、苦楽とか感謝と不満はいつもセット(万理絵が言うように)。そういう複雑さを複雑なままで受け入れる覚悟みたいなものがわたしには伝わってきた。

たぶん、ラスト数分が違う展開(あるいは手前で終幕)だったら、全く違う感想を持ったと思う。もしかしたら、ありきたりな常套句的作品だと思ってしまっていたかもしれない。

そのラストは、ゆりかの脳内でのやりとり、または幻想かもしれない。あるいは実際の出来事かもしれない。私でも3通りくらいの解釈が浮かんだから、他の人に聞いたらまた違う捉え方をしているかもしれない。そのくらい、余白がある終わりだった。

私は、こういう余白のある作品が好き。説明過多が増加傾向にあるように感じつ昨今、作中の余白はそのまま余裕のように感じるし、観客の想像力に委ねられているようで、作り手と受け手が信頼感で結ばれているように感じる。幾通りにも考えられる中で、じゃあ自分はどれを選びたいか、何を信じたいか、そういう選択肢も残してくれているようにも思う。

●俳優さんたちと構成

時間の行き来が激しい本作。はじめはその構成の流れに追いつくのに必死だったけれど、時間軸が変わっているのだけは確かにわかった。それは、演者さんたちが声のトーンを使い分けているからだとハタとに気づく。分単位で変わる場面もあるし、交差している時もあるのに、その切り替えのテンポよさ。セリフとして入れ込まずとも観客に伝える力。「すごい…」しか出てこなかった。

時間軸の交差プラス、緩急の幅も本作の構成上の特徴ではないかな。

1幕は笑いどころ満載で、まさかこんなに笑えるとは思わなかった。特に関と万理絵のコンビが大好きすぎた。一発爆笑ホームランというよりも、軽い笑いがポンポンッと連続ヒットしていく感じ。関はピエロっぽい役どころだけど、こういう人って現実世界でも必要な存在よねって愛おしさすら感じた。面倒臭いし腹立つのは間違いないんだけど…。

そんな軽やかな前半から一転、2幕では全く異なる空気へと転換。舞台セットが変わらないだけに、演者さんらのテンションやトーンでその空気の変化が伝わってくる。特段悲しい展開というわけでもないのに、体内が熱を持ち始めて、気づいたら理由もわからない涙がどんどん出てしまっていた。

一応役としては、主役陣と脇を固める人たちとで分かれるのだろうが、本作においては、舞台に上がっている俳優・演奏者みなさん一人ひとりの存在感が立っていた。
全員が絵の具みたいに混ざり合うのではなく、モザイクみたいに個々が際立ったまま成立しているような印象だった。

●大小路祐太郎

1幕を見ながら、なぜこの役に成田凌くんを据えたんだろうって疑問に思っていた。捉えどころがなくて、重みを感じない。ゆりかとの会話も噛み合ってない違和感。メインの役どころとあまり思えない…。

だけど、2幕になって、実はものすごく複雑な人!成田くんの演技が…すっ…すごい…と驚き圧倒された。ど素人感想だが、なかなかに厄介な役ではないか。捉えどころのなさと深みが共存した人。

祐太郎みたいな面倒臭い人、案外嫌いじゃない。わたしも面倒臭い人だし。すごくすごくゆりかのことを大切にしたいだよねって、結構彼に感情移入してしまったところがある。
でも、だけれども、相手の言葉を聞いているようで実は受け止めきれてないんじゃないかな。大切にしたい気持ちが強すぎるせいで臆病になりすぎて、相手の気持ちを脇に置いて自分にしか目を向けられていないんじゃないかな。そのせいで…って。思い出すだけでも胸がキリキリ痛い。

●苺のショートケーキ

ゆりかと勇大は、一番好きなものを人に言うのが恥ずかしい。ケーキを選ぶときも、一番食べたいショートケーキを言うことができない。だけど、勇大のためならショートケーキを選べるというゆりか。

なんて、なんて素敵な想い方だろう。わたしは今までそんな風に誰かを想えたことがあったかしらって、今後こんな風に誰かを想えるかしら、想えたらいいなぁって、喉がカラカラのときに飲む水みたいに、自分の中に染み入ったセリフだった。一番強烈に印象的に残ったシーンだったかも。

わたしも、一番好きなものをなかなか言えない子供だったから、ゆりかや勇大の気持ちが少しわかる気がする。いや、今でも、大事にしている気持ちほど口に出すのを躊躇ってしまいがちな節がある。一番大切なものを自分の中で留めがち。でも、ゆりかみたいに、大切な人のためになら、そういった躊躇いも振り切れる人になれたら、とてもいいなぁって思う。

●テーマ曲「青春の続き」

椎名林檎さん書き下ろし。観劇前に聞いたときは、難解な曲だと思って正直よくわからなかった。だけど、舞台を一度見てから聞き直すと、印象が変わってしまったどころでなくて、しんどいほど自分の中に入り込みすぎてしまう曲になってしまった。特にBメロ以降。
カギカッコの部分は、大切な人へ(ゆりか→勇大)のようにも、過去の自分から今のわたしへの言葉のようにも聞こえる。

音源自体も聞き応えどっぷりなんだけれど、高畑充希ちゃんが舞台上で歌ったときは、その何倍何十倍とえげつないほど威力が凄まじかった。一曲の中で喜怒哀楽すべてが網羅されてると感じたのは初めてかもしれない。少しばかり恐れを感じてしまったほど、圧倒された。

●タイトル「宝飾時計」

観劇後、このタイトルの示すところを熟考しまくっているのだけど、全然ピンとこれていない。飾り立てられた時間ということだろうか、いや違う気がする。自分の中での解答を見つけたいのだけど、しっくりくるものが出てこない。悔しい。引き続き、考え続ける。

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