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倫理は、自分と仲良くすることから生まれる

ビジネスの現場では、常に悩ましい意思決定の岐路の連続だ。

右は倫理的に正しそうだがかなり難しそうな道。一方の左は倫理的に怪しさが残るが楽そうな道。
もちろん、何もない状態でフラットに聞かれれば右と答えるが、経営の当事者の立場になれば、左もありかな、と思える瞬間がある。いや、むしろ左の方が積極的に良いのではないか、と感じてしまうタイミングすらあるだろう。

私も、先日似たような岐路にぶつかった。
とてもおいしいビジネス機会のオファーをいただいたのだ。
しかし、僕がやるには大義に欠ける。やる理由がなかった。

心は断るべきだと言っている。おそらく長期的に考えればそっちの方が正しい。
しかし、冷静に考えればもったいない。

そんなことを考えているうちに、その機会がぐんと魅力的に見えてくるのだ。
ここでこのオプションを手放すのは惜しい…。
そんな逡巡を一通り経て、最終的に出した結論は、やっぱり断ることだった。

もちろんそれが正解なのか分からない。
ただ、自問自答の結果でもあり、それが自分にとってのベターな結論と思っている。

哲学者であり思想家でもあるハンナ・アーレントは、『責任と判断』にて、「道徳的」と見られていた多くの人たちがなぜ安易にヒトラー体制に協力したのか、ということを考察する。
そして、その一つの理由として、その立派な人たちは「道徳的基準」を盲目的に固持したことにあるとアーレントは結論づけた。

人々が、道徳的には完全に崩壊したという事実が教えてくれたのは、こうした状況においては、価値を大切にして、道徳的な規範や基準を固持する人々は信頼できないということでした。
わたしたちは今では、道徳的な規格や基準は一夜にして変わること、そして一夜にして変動が生じた後は、何かを固持するという習慣だけが残されるのだということを学んでいます。

ヒトラー体制において「尊敬すべき」社会の
『責任と判断』独裁体制のもとでの個人の責任 P.73

「何が道徳的か」という基準は、政情に大きな影響を受ける。
だから、その基準は当時のドイツのように「一夜にして」変わりうる。
そこに身を委ねている人は、大きく時代が変わるタイミングにおいては、本人も気付かぬうちに危険人物になり得る可能性を持つのだ。

ではどうすれば良いのか?
アーレントはこう続ける。

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