2023年夏
先日まで仕事で使う資格の勉強のため、図書館にこもりっぱなしだった。夏休みの宿題を早々に終わらせようと頑張る小学生や、部活帰りの汗だくのまま机に向かう中学生、受験のために参考書を積み上げている高校生に肩を並べ勉強をした。通っていると、何となく「この子頑張ってるな」とか、「この子が帰るまで頑張ろう」とか、謎の連帯感が生まれてきた。
久々の勉強期間、辛かったけどある意味楽だったかもしれない。未来に対する漠然とする不安を感じることなく、足元見て着々と一歩を進めている感覚、いい意味で視野が狭くなったというか。もっと自分のことだけ考えていればいいんだろうな。周りを気にせずに(それがむずかしい)。
試験が終わってすぐに「きりこについて」を読む。私も主人公のきりこのように、他人と比べることで自分自身が可愛くない理由を明確に説明できるようになり、卑屈になっていった気がする。今でこそ一重の目やそばかすを好きになったが、私がどんな容姿であっても、他人にどう思われていても、私は私でそれ以上でも以下でもなく、ただここに生きているものだと思えたらどんなに楽か。学生時代の多感な時期にこの本に出てくるラムセス2世(ねこ)のように、この本がそばにいてくれたらよかったな。
27年間生きてきて初めてCD(アルバム)を買った。歌詞カードを見ながら音楽を聞くのってめちゃくちゃいい。こんなに楽しいことなんて知らなかったな。サブスクで気になる音楽があったらすぐに聞ける、シャッフル再生で流れてきた音楽に一目ぼれ(?)できる今の環境もいいけど、一曲一曲をゆっくりと大事に聞くのもまたいいなと思った。情報量が多いとすべての価値が軽くなってしまう気がする。
新しい洋服を買ったときに、それまで気に入っていた洋服のことがどうでもよくなってしまう現象って何なんだろう。横並びで好きなものが増えていくのが理想だけど、ランキング形式になってしまうのはなんでなんだろう。洋服だけに限らず、好きな音楽、ラジオ、食べ物なんでもそう。人間そういう生き物?多趣味な人ってどんな感じなんだろう。両手にあふれるくらい好きなもので埋め尽くせたらいいのに。
好きなものを、知識量とか、かけた金額とかで図ろうとしないでほしいといつも思っている。他人に対してそんな指標で図らないで、という気持ちもあるけど、一番は自分に対して思うこと。そんなに時間もお金もかけてないとか、あんまり知らないとか、後ろめたく思って好きだと言えない時がある自分に対して強く思う。「ミーハー」、「にわか」というといい印象はない気もするけど、好きなものが多いに越したことはないし、興味がなくてもすっとその輪に入っていける柔軟さがうらやましい。それに誰だって最初はにわかでミーハーだから。自分が楽しかったらそれでいいし、胸をはっていいのよ。
以前、好きなものの話をしていた時に「全然詳しくないじゃん」と笑われたことがあった。その話を友人にした際、「ミーハーだっていいじゃん!楽しければいいんだよ!」と半ば怒りながら話していて、だからこの子と友達なんだなと思った。
今日はどんなメイクにしようかとドレッサーを見るような生活に憧れたりはしなくて、同じものを大事に大事に使い、使い切ることに美徳を感じている。本当にいいものをひとつふたつ持ってればいいなぁという考え。最近、友人からリップをもらった。絶対にチャレンジしない色だけれど、これがまたかわいくて、なんだか自分に似合っている気がする。リップはこれ、アイシャドウはこれだと決め込んでいたけれど、新しいものを取り入れたくなった。落ち着くにはまだ早いのかも、何事も。
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