curiosity : 2023.01.31


小学生の頃、学校の理科準備室が好きだった。

思えば当時の理科準備室での時間が今の自分を形作っている気もしなくもない。


その先生はわたしが小学校4年生の頃に中学校から転任してきた。

レーシングカーに乗って通勤してきたり、授業中に「実は水って猛毒なんですよ、H2Oを経口摂取した人間は200年以内に100%死に至ります」みたいなことを言い出したり、とにかくめちゃくちゃで「先生」と呼ぶには馬鹿げたような人だった。

当然と言うべきかあらゆる児童に好かれていて、昼休みに理科準備室に行くとその先生に会えることをわたしとわたしの友達だけが知っていた。

ことあるごとに理科準備室に遊びに行ったのを覚えている。
細かい話題は忘れてしまったけど、多分わたしの人格のどこかに絡み付いている。


同じぐらい図書室が好きだった。

中学校の図書室は3年生の教室の隣で、割と荒れている学校だったから、図書室に入り浸っていたのは小学生の頃までだったかな。

同級生が好んで借りた漫画や伝記、間違い探し、そういったものを借りることはほとんどなくて、借りた本のほとんどが物語小説だった。

当時から偏食家だったので気に入ったシリーズを何度も繰り返して読んだ。ぼくらシリーズとか大好きだったもんな、好きそうでしょ?



中学生になって本を読まなくなったかと言えばそういうわけではなくて、入学時に「朝読書用の本を持ってくること」みたく言われていたからオタクらしくライトノベルを持ち込んだり、表紙がボロボロになるまで何度も読んだりした。

当時は全然ライトノベル程度なら1冊2,3時間あれば読めていたので、およそ「本が好きな方」「読書が得意な方」に属していたと思う。



ところでわたしは本を読むのが本当に苦手である。

ここまでの話はどこへ行ったのかと眉を顰められてしまいそうだけど、本を1冊通して読めることがほとんどない。

少し読んでは集中を切らして別の何かに浮気し、本の存在ごと忘れたまま数ヶ月……なんてことを繰り返すうちに興味のある本が増えるばかり。


これをわたしは長らく「本を読むのが苦手」だと思っていたのだけれど、実際昔は本を読むのが好きだったわけで、自然に考えると「苦手」なわけはないだろう、とも思っていた。

今考えると「本を読むのが苦手」なのではなく、時代や環境、生活様式が変化して、「いつでも自分の興味のあるものにアクセスできるようになった結果昔ほどのまとまった集中が得られなくなった」が正しい答えのように思う。
わたしは読書が苦手なわけではない。やった!


好きだった読書にのめり込めないほどこの世界には面白いもの、興味を惹かれるものが溢れている。
インターネットだけではなく、技術とか、アート作品とか、あらゆる文脈においてそう思う。








生きていてそう少なくない時間を「もう何もしたくない」とか「全部諦めたい」みたいなどうしようもない無力感と過ごしている。

では実際何もしていないかと言えば全然そんなことなくて、結局常に何かしてないと気が済まないたちなので今日も無気力を抑え込んで本を読んでいた。


「好奇心は猫をも殺す」ということわざがあり、度々これに準えて「好奇心に殺される猫」を自称する。

自分でも強く自覚があるほど好奇心の強い方で、その結果知らなくて良いことを知ったり見なくて良いものを見たり、好奇心任せで突っ込んだ首が抜けなくなって窒息死しそうになるような場面も少なくない。

そう思うと「好奇心」ってほどほどがいいんだな、といつも思う。


…‥反面、わたしが「もう何もしたくない」に負けずになんとか元気であろうとしがみついているのは「好きだった読書よりも興味を惹かれるものが大量にある」と思える病的好奇心によるものなのかもしれない、と思ったりもする。

好奇心は猫をも殺す、でもわたしは好奇心に生かされている。
猛毒みたいだ、小学校の理科の授業を思い出す。

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