関わる者皆幸せにする母なる女への道
このnoteを更新することは少し空気が読めないことかもしれませんが、完全に個人的な日記なので多めに見てください。
ここ最近、私が関わる大好きな人たちの活動が止まりました。
実は数組。(なのでこのnoteは特定の人について言及しているわけではないよ)
しかも知らされたタイミングが結構重なり、持ち前の演技力でカバーしていましたが長い間目が真っ黒の状態で生きていました。こうなった時、作家やディレクターという立場はあまりに無力。
他人より側で見ているからこそ表面化されていない葛藤を聞いたり、聞かなくとも空気の変化を感じたり、その上で少し嫌な予感がしたりしました。
私の本能はそこですぐに、私が思う彼らの魅力を目の前で揚言して彼らの葛藤を蹴散らしに行きたがったのですが、「作家(ディレクター)は客観的な視点を持った存在でいなくてはならない!どんなに強い思いを持っていても当事者ではない!」と理性が思いとどまらせ、以降私はどの程度踏み込むべきなのか、これからどう関わるべきなのか、ずっと考えていました。
報告や相談を受けた時には、悩みすぎると極論しか出なくなるのでなるべく多くの選択肢を提示してみたり、プレッシャーになるかもと思いつつ気持ちをぶつけてみたり、「まあそうなるよな」と納得したりしてみましたが、それが正解だったのか今もぜんっぜん分かりません。
(こうして私が悩んでいること自体、本人たちからしたら負担でしかないかもしれないけど、当事者じゃないにしてもチームの一員ではあるので考える権利くらいは欲しいな)
結果、少し形を変えて続けていくことを選んだところもあれば、生ハムと焼うどんで言う「断食」を選んだところもあり、跡形もなく完全に散り散りになったところもありました。
もうその結果を局外者が悔しがってもしょうがないので、ひとまず私はそれらの選択が正解になるように動いていくしかないです。
そして「やりたいことや良い悪ふざけが少しでも浮かんだらいつでも招集できる人」として、動画にならないことや世に出す気がないようなことでも呼び出されたらしっぽ振って交通費全負担で向かうのです。
あとは彼らがアップデートしている間に、私も大好きなものを守れるくらい大きくなっておこうと思います。実績と母性をすくすく育てます。
奨学金返済に充てます。