「元号」という文化を大切にしたい

日本の”令和”フィーバーを海外から少し冷静に、少し疎外感を感じながら見ているのだが、面白い事に「元号」をただの名前ではなく、文化として捉えている人が多い事に気付く。

特に面白いのが元号否定派というか「(運転免許や各種書類に)西暦を使えよ!」と言っている人ですら、この元号の移行については何らかの感慨を覚えているという点。

本来時間の流れというのは連続的であり、1日、1週間、1ヶ月、1年などの区切りは人為的なものである。元号は上記の世界的・標準的区切りとは違い、日本特有の、かつ文化に非常に強く関連した「区切り」である。人はこの連続的な流れの中にあって、こういった「区切り」を活用して、これまでを振り返り、これからの生き方を見直している。素晴らしい文化ではないか。

ただの年次を示す為の言葉ではなく、文化としての元号を大切にしたい。


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