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二十歳過ぎてある日突然将棋にハマったおたくの話①

もしおたく遍歴を書くおたく履歴書があったとしたら、間違いなく面接官におたく歴のとっ散らかり具合を突っ込まれるであろう人生を送ってきた。
いや、おたく履歴書なんてものはないし、そもそもいったいなんの面接なんだ。与太はさておき、わたしは小学校中学年くらいのころにおたくを自覚してからいまに至るまで、いろんなジャンルを渡り歩き、ときには同時進行してきた。漫画、アニメ、ゲーム、V系バンド、宝塚、女子アイドル、2.5次元舞台、LDH、そして将棋。
おたくであればわかると思うが、上に挙げたうちで「ハマろうと思ってハマった」ものなんて一つもない。全て「気がついたらなんだか大変なことになっていた」のである。出会い頭に跳ね飛ばされたようなものだ。
そんなおたく人生のなかでも、とくに将棋は「いきなり跳ね飛ばされ度」が高かった。最近将棋にハマってて、と言うと付き合いの長い友人(だいたいバンギャル=V系バンドのファンである)には一人残らず驚かれた。そりゃそうだ。ハイローからLDH(EXILE)にハマったときも、人生なにがあるかわからないと思ったものだが、その後もっとわからないことがあるとは……。

ここ最近、おたくとして、そしてかつて美術家を志し、挫折した人間として、胸が痛むことが多い。不要不急とされるものがいかにわたしの心を慰め、救ってきたか。くだらないと思われることを覚悟で書くが、中学生のころ、わたしを生かしてくれたのは好きな音楽だった。親の不倫、借金、離婚。妹は母親と一緒に家を出て、わたしは父親のもとに残った。そのあともいろいろあって、居場所のない(と当時のわたしは思っていた)家の代わりに、好きなバンドとそのファンのコミュニティがあった。
あー、あのころ携帯小説まだ流行ってたし、適当に脚色してぶちあげたら一山当てられたかもな、なんて笑える程度には図太くサバイブしたが、それも音楽やサブカルチャーのおかげだ。他人から見てとるに足らないなにかでも、誰かの魂を救っていることはある。

なんだか話が重くなってしまった。
わたしは、いまだからこそ、くだらないおたく話をしたいし、聞きたいし、読みたいと思う。他人の推しプレゼンを受けたいし、10倍くらいの自分の推しプレゼンをかえす刀でかましたい。絶対負けねえ、引きずり込んでみせる(そういう勝負ではない)。

そんなわけで、バンギャルでヅカヲタでハイローが好きで半在宅アケカスだったわたしが、数年で山本博志沼に垂直に入水するまでの様子を、数回に分けて更新していきたいと思う。暇潰しにでも読んでもらえれば幸いである。
もし万が一面白いと思ってくれたおたくがいたら、聞かせてほしい、あなたの推しの話を。noteにまとめてTwitterに放流してくれ。見つけ次第家で読むから。

さて、数年前の四月のことだ。
わたしは39度の熱を出し、寝込んでいた。これが今でも忘れられないほどになんとも間の悪い風邪で、発熱したのが金曜日の夜だった。その時点で39度5分を超えていたのだが、意識ははっきりしているし、発熱以外の重篤な症状はない。
もしこれがいま、2020年のことであれば生きた心地もしなかっただろうが、当時はSARS? そんなのもあったね、というような具合である。一晩寝て解熱しなければ病院に行こう、そう思って横になった。
朝、体温は37度台に下がっていた。わたしは平熱が高いので、このくらいではほとんどしんどさも感じない。病院は行かなくてもよさそうだな。そう思ってのんびりしていたら、夕方ごろからまた39度台の熱が出た。なんで午前診療終わってから出るんだ! 救急にかかるか悩んだが、やはり発熱以外の症状は軽い。もういいや、面倒だからひたすら寝て治そう。そうして数年前のわたしは週末を延々とベッドの上で過ごすことになったのだった。
といっても、もともと眠りの浅いたちであるわたしは、日曜の朝にはすでに眠れなくなっていた。熱は38度まで下がったが、倦怠感がピークに達し、座っているのも辛い。けど、横になっても眠れない。自然、わたしはニコニコ動画を徘徊し始めた。当時はもう少しニコニコも元気だったし、わたしも(二次元ジャンルの)おたくとして元気だったので、好きなアニメのMADや雑学系動画を見ているとかなりの時間が潰せた。

そして、気がついたら、あの「NHK杯 羽生善治ー加藤一二三戦」のダイジェスト動画を観ていたのである……。
きっかけは本当に覚えていない。将棋星人にアブダクションされた可能性も微粒子レベルで存在しているが、おすすめに出てなんとなく観てみた、あたりが現実的なラインだろうか。

当時のわたしは将棋について、「歩は一個ずつ前に進めて敵陣でと金になる(でも敵陣って具体的にどこなのかは知らない)」「羽生善治は一応知ってる」くらいの知識しか持っていなかった。それがいったい、なにをどうして対局動画に行き着いたのか。例の5二銀の凄さがわからないとか、それ以前にまずほとんどルールを知らないのだ。
正直に言えばそんな状態で(早指しとはいえ)よく最後まで観たな、と思うが、いまにしてみれば米長先生の軽妙な解説がかなり大きく影響していたと思う。
実際にはわかっていなくても、わかったような気にさせる弁舌とでも言いましょうか。よくわからないが、なにかすごい技が放たれたらしい……。この、いかにもベテランという感じの風貌のひとが叫ぶようなすごい技が! あっ、解説だ……ふうん、なるほどね(もちろんまったくわかっていない)。

そしてもうひとつ。羽生先生の手が恐ろしく美しかったことが、そのあとのわたしの運命を決定づけた。
高校一年生のころから美大を志し、予備校でひたすらデッサンと油彩に明け暮れる十代を過ごしたわたしにとって、手は「よく描くモチーフ」だった。自分の手も作品の中の手も、人一倍見てきたつもりである。けれど、盤上を蝶のように舞う羽生先生の手には、いままで見てきたどの手とも違う美しさがあった。
と書くとなにやら高尚な雰囲気が出るが、有り体にいえば「こりゃ手フェチにはたまりませんなあ」ということだ。わたしはフェチというほどパーツとしての手に思い入れはないが、それでもグッとくる何かがあった。ジャケット、シャツ、そこから覗く手首、すらっとした指! 他意はないが乙一の「GOTH」を思い出した。誓って他意はない。

木下晋という、鉛筆画専門の画家がいる。彼の作品のなかに、合掌する手を描いたすばらしい作品がある。わたしはこれを、手に宿る美というものの、ひとつの究極を表現した画だと考えているが、将棋指しの手に宿る美はまた違う方向に研ぎ澄まされた美しさだと思う。もっと眺めてみたくなった。
幸い(?)将棋には天井カメラがあって、手は見放題である。なんて優しいコンテンツなんだ!

そのあと、38度の熱を出しながら、わたしはほぼ一日中わかりもしない将棋をひたすら観ていた。その日一日でいろんな棋士の名前を覚えた。熱が下がり、日常に戻ってもニコニコの将棋タグはお気に入りのコンテンツであり続けた。
自分でも指してみようかな、と思ったのはその日からひと月経とうかというころだった。とりあえず詰将棋とかいうのをやってみよう。無料アプリをダウンロードし、詰将棋三十題を日課にした。駒の動かし方が怪しいので、ひたすら虱潰しにトライアンドエラーで解いていた。数独が好きなので、結構楽しかった。
そこからさらにひと月経って、やっぱり人と指したいな、と思うようになった。駒の動かし方はわかったけれど、このまま一人でやっていても将棋が指せるようになる気がしないし……。そこで、将棋教室を探すことにした。電話が面倒だったので、ネットで申し込みが済ませられるところを見つけたかった。いまでこそそういう教室はたくさんあるが、当時は大人初心者向けのところ自体が少なかったし、うまく情報にリーチする方法もわからなかったので苦心した。

検索しまくって、ようやく条件に合致する教室が見つかった。場所は少し遠いが、しょうがない。ホームページや教室の写真が飛び抜けて明るくおしゃれで、とっつきやすそうなのも良かった。夏に初心者教室を開講するのだという。
場所は吉祥寺。「将棋の森」という名前のその教室に、わたしは体験申し込みメールを送ったのであった……。(②に続く)


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